第八話: 「佐江実咲②」
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1940年――。
美咲はトンネルに閉じ込められてから、すでに8年という歳月が過ぎ去っていた。
18歳の誕生日が近づく頃、美咲は心の奥底まで絶望に覆われ、生きる意味を見失いかけていた。
長い年月の孤独と暗闇――それは容赦なく私を蝕み、生きる希望をほとんど消し去ってしまった。
日々はただ淡々と過ぎ去るだけ。生きる意味を探す気力さえなくなり、自ら命を断つ力すらも失っていた。
私は、ただ時間が流れるのを感じるだけの存在となっていた。
しかし――。
ある日、不意に聞き慣れない音がトンネルの周囲から響いた。
それは、どれほど長い間耳にしていなかっただろう。人の気配――それを感じさせる音だった。
心の奥にかすかに残る感覚が目を覚まし、その音に引き寄せられるように、足を動かした。
錆びついた鉄格子の近くへと進むたび、音が次第にはっきりと聞こえてくる。
そして――トンネルの外に、その姿が見えた。
そこには、一人の若者が立っていた。
光を背にしたその姿は、美咲にとってあまりにも非現実的で、まるで夢を見ているかのようだった。
暗闇の中に閉じ込められていた彼女の世界に、久しく消え去っていた“人”の存在が差し込んだ瞬間だった――。
その若者の名は山本光一。
日本最大の製薬会社、矢島製薬に所属する若き研究者だった。
優秀な成績を収め、早くから注目を浴びていた彼は、ある特別な任務を与えられていた。
それは、鳴興戸村でしか採取できないと言われる、伝説の希少植物「ナナツホシ」を探し出すことだった。
ナナツホシは古くから特別な治癒能力を持つ植物として知られており、その効能は数々の民間伝承に語り継がれてきた。
しかし、その存在は謎に包まれており、実際に見た者はほとんどいないという。
時代は戦時下――。医療資源が枯渇する中、この植物は製薬会社にとって極めて重要で、計り知れない価値を持つとされていた。
それを手に入れることができれば、会社だけでなく国にとっても大きな利益となる。
山本はその任務を果たすため、鳴興戸村を訪れた。
しかし、ナナツホシの採集には村の族長の許可が必要だった。
族長との交渉を試みる山本だったが、村人たちは外部の人間に対して強い警戒心を抱いていた。
この小さな村は外の世界とほとんど接点を持たず、閉鎖的な共同体を築き上げていた。
「外の人間が村に入り込むことで、不吉なことが起こる」
そんな迷信めいた考えが、村の人々の間で根深く残っていたのだ。
それでも山本は、粘り強く族長との交渉を続けながら、村の中での滞在を余儀なくされていた――。
ある晩、山本光一は、村の外れにひっそりと佇む古びた廃トンネルに気づいた。
その場所は不気味な雰囲気をまとい、まるで長い年月に取り憑かれたかのような静けさが漂っていた。
村人たちもそのトンネルには決して近づかなかった。
「呪われた場所」――村人たちはそう呼び、恐れるようにそこを避けていた。
しかし、その夜、満月の光に照らされたトンネルを見た瞬間、山本は言葉にできない感覚に引き寄せられた。
何かが――その先に何かがあると直感したのだ。
トンネルの近くまで足を運んだ彼は、耳を澄ませる。
すると、冷たい風に混じってかすかな声が聞こえた。
それは、助けを求めるようなか細い声だった。
「……誰か、助けて……」
その声に突き動かされるように、山本は迷うことなくトンネルの奥へと進んでいった。
薄暗い空間の中、ひんやりとした湿気が彼の頬をなぞる。
どこかで滴る水音が、彼の足音と共鳴し、不気味なほどに響き渡る。
そして――彼はその声の主を見つけた。
トンネルの奥に佇む一人の女性――痩せ細り、乱れた長い髪が彼女の顔を隠していたが、その目にはかすかに希望の光が宿っていた。
山本が慎重に近づくと、女性の顔には驚きと期待が入り混じった表情が浮かんだ。
「君はここで何をしているんだ? なぜ、こんなところに……」
彼が問いかけると、女性は震える声で答えた。
「……助けて……助けてください……」
その声は弱々しくも、長い間押し殺してきた切実な思いが込められていた。
その瞬間、山本の胸に深い同情の念が込み上げた。
この女性を放っておくわけにはいかない――彼はそう決意した。
「君をここから助け出す。大丈夫だ、僕が必ず助ける」
山本が優しく語りかけると、女性の顔に僅かな希望が宿った。
「君の名前は?」
彼が尋ねると、女性はか細い声で答えた。
「さ、佐江実咲です……」
その名前を聞いた山本は、彼女の存在を心に深く刻んだ。
そして、彼女を助けるための準備を始める決意を胸に、静かにその場を後にした――。
――美咲視点――
突如と彼がわたしの前に現れて、数週間後の夜、再び彼は古びたトンネルの前に現れた。
その手には、小さな鍵がしっかりと握られていた。
「これは……?」
トンネルの奥から問いかける実咲に、彼は鍵を掲げながら答えた。
「このトンネルの鍵だ」
彼の声は少し疲れた様子だったが、その瞳には確固たる決意が宿っていた。
「一体どうやって……?」
わたしが驚きの声を漏らすと、彼は少し肩をすくめながら言った。
「ある女性が鍵を渡してくれたんだ。確か名は……真理子といっていたような」
「ま、真理子ちゃん……が?」
その名前を聞いた瞬間、胸にざわつくような感情が広がった。
「……なんで?」
小さな声で問い返すわたしに、彼は少し眉をひそめた。
「友人じゃないのか?」
「い、いや……わからない……」
わたしは顔を伏せ、震える声で答えた。その返答に、彼は一瞬呆気に取られたようだったが、すぐに小さく笑った。
「なんだそりゃ。でもまあいいさ。これで君を救える」
彼はそう言うと、鍵を錠前に差し込み、静かに回した。
錆びついていた錠前が重い音を立てて開くと、トンネルの中にひんやりとした外の空気が流れ込んだ。
彼は手を差し出し、優しい笑顔を浮かべた。
「さあ、ここから出よう」
その手を見つめたわたしは、一瞬ためらった。
しかし、彼の差し出す手が月光を浴びて輝いているのを見たとき、胸の奥にあった迷いが消えた。
わたしはそっと彼の手を取り、足を踏み出した。
暗闇に閉じ込められていたわたしを導く彼の姿は、まるで光そのもののように見えた。
冷たい石の壁に囲まれた日々は、この瞬間、終わりを迎えたのだ。
その瞬間、外の世界がわたしの目に飛び込んできた。
暗闇に閉ざされていた8年間――その間、忘れかけていた空の広さや、月明かりの美しさ、夜風の冷たさが、一気にわたしの心を満たしていった。
長い暗闇から解放された感動が胸に溢れ、思わず足が震えた。
その時、母がわたしに残してくれた言葉が、はっきりと蘇った。
『いつか、必ずあなたをこの村から救う人が現れるはずよ。だから信じて、待ち続けなさい。その人が……あなたの光となるから』
その言葉が胸の奥で大きく響き、わたしは確信した。
――彼―こそが、その「光」だと。
彼の手をしっかりと握りながら、わたしたちは村を抜け出すために夜道を駆け抜けた。
久しぶりに感じる地面の冷たさや、夜風の心地よさが、身体に自由を教えてくれるようだった。
閉じ込められていた8年間で足腰は弱り、不安定にふらつきながらも、彼の手を頼りに、わたしは必死に走り続けた。
その感覚が、ただ逃げるためのものなのか、それとももっと深い意味を持つのか――その時は分からなかった。
ただ一つだけ分かるのは、わたしはどうしてもこの人の名前を知りたいという気持ちに駆られていた。
「ハア……ハア……あ、あの……!」
息を切らしながらも、勇気を振り絞って声を絞り出す。
「あなたのお名前を……教えてください!」
彼は振り返り、息を切らしながらも笑顔を見せて答えた。
「俺の名前は山本光一だ!よろしくたのむ!」
「山本光一……光一さん……ひか……光……!」
わたしはその名前を口の中でそっと繰り返した。
山本さんには聞こえないように、何度も呟きながら、胸が熱くなるのを感じた。
気づけば、涙が溢れていた。
どうして涙が出ているのか、自分でも分からなかった。
喜びなのか、安堵なのか、それとも、ずっと堪え続けていた感情が一気に溢れたのか――。
わたしは慌てて手で顔を拭い、どうにか隠そうとした。
涙脆いと思われるのではないかと心配だったが、胸の中は感謝と喜びでいっぱいだった。
「ありがとう……ありがとう……!」
声にならない言葉を胸の中で繰り返しながら、わたしはその手を離さないように、ただ前へと走り続けた――。
「まずいな、外が騒がしくなってきた」
村の方から松明を掲げた村人たちの怒声が響いてくる。どうやら、トンネルの鍵を盗まれたことに気づいたらしい。
山本と美咲は、村を抜け出すために必死で走り続けていた。村を出るための抜け道はわずか二つ。このままでは両方とも塞がれてしまう恐れがある。
もし鍵を盗んで美咲の脱走を手助けしたことがバレれば、ただでは済まないだろう――そのことは二人ともわかっていた。
現在向かっているのは、村の祭壇から一番離れた出口だ。追っ手を振り切るには、ここしかない。
「見えてきた!」
息を切らしながら、山本が前方を指さす。村外への出口が目の前に迫っていた。だが、その時。
出口のすぐ前に、女性の影が立ちはだかっているのが見えた。
「――真理子ちゃん?」
驚愕とともに、美咲が立ち止まる。そこにいたのは、紛れもなく真理子だった。
「やっと来たわね」
真理子が低く抑えた声でそう言った。
目の前に立つ彼女と顔を合わせるのは、実に八年ぶりだった。最後に会ったのは、わたしが自分の力を制御できず、真理子を大怪我させてしまったあの日だ。
だが、今目の前にいる真理子には、かつての傷跡らしきものは見当たらない。
幼い面影を残していたあの頃とは違い、彼女は見違えるほど大人びていた。スラリと伸びた体躯に整った顔立ち――彼女は、美しく成長していた。
「良かった……傷跡、残ってなかったんだね」
わたしは思わず胸を撫で下ろした。あの日の罪悪感が、今でも私を苦しめていたからだ。一生ものの傷を負わせたのではないかと、ずっと心の片隅で恐れていた。
「この村で採れるナナツホシを調合した薬で治ったのよ」
真理子が何でもないことのように言う。
「ナナツホシ……やっぱり本当にあったのか」
山本が驚きの声を上げる。彼がこの村に足を踏み入れた理由も、まさにその伝説の薬草だった。
真理子は冷ややかな目で山本を一瞥すると、皮肉気に口を開いた。
「そう、あんたはナナツホシが目当てでこの村に来たんでしょ。それが今じゃ、美咲と駆け落ちだなんて。笑えるわね」
彼女の言葉に、山本は言葉を詰まらせる。私は思わず問いかけた。
「真理子ちゃん……どうしてここに?」
真理子は少しだけ目を細め、静かに答えた。
「私はずっと、あんたに言いたいことがあったのよ。おそらく、これが最後の機会になると思うから」
最後――その言葉が胸を刺す。
「……美咲。ごめん」
静かに、けれど力強く放たれた真理子の言葉に、美咲は驚きの表情を浮かべた。
「えっ?」
思いもよらない謝罪だった。真理子は視線を落としながら、言葉を紡ぐ。
「私は今までずっと、あんたに酷いことをしてきた。アンタは昔から……普通の人とは違う人間だった」
「普通の人とは違う……?」
山本が怪訝そうに眉をひそめる。
「美咲には――超能力があるのよ」
「超能力……?」
山本は驚愕の面持ちで真理子を見た。そして、彼の表情に理解の色が浮かぶ。なぜ美咲が村のトンネルに閉じ込められていたのか、その理由に腑に落ちたようだった。
美咲は小さく俯き、申し訳なさそうに呟いた。
「ごめんなさい、光一さん……黙ってるつもりはなかったんだけど……」
真理子は美咲をまっすぐ見つめると、続けた。
「美咲、アンタはその力のせいで村から孤立して、理不尽な仕打ちを受け続けてきた。それでも、誰にも復讐しようとせず、優しく生きようとした。そんなアンタの姿が――私は許せなかった」
その告白に、美咲は息を飲んだ。
「私にはなかったものを、アンタは持っていた。それが羨ましかった。そして――妬ましかった」
真理子の声はわずかに震えていた。
「アンタの力があれば、私はもっと上手く生きられたかもしれないって思ってた。でも、それが間違いだったのよ」
真理子は一瞬視線を外し、続ける。
「八年前、あの力を目の当たりにした時にわかった。アンタはその力に怯えながら、誰かを傷つけないように必死で自分を抑えて生きてきたんだって」
真理子の言葉に、美咲は小さく首を振りながら応えた。
「真理子ちゃん……私はただ、不器用なだけだよ」
「違う。アンタは強い。私はその強さを――もっと早く理解するべきだった」
真理子は微笑もうとしたが、その瞳には涙が浮かんでいた。
「でも、許してほしいなんて言わないわ。アンタの大事なもの――犬も、親も――私が壊したようなものだから」
美咲は真理子の瞳をまっすぐに見つめた。
「真理子ちゃんのしたことは……許せない。でも、私は真理子ちゃんにも、元気で生きていてほしいと思ってる」
「……本当に、どこまでもお人好しね」
真理子は小さく笑うと、涙を拭い去った。
「さあ、早く行きなさい。この道をまっすぐ行けば、村を抜けられるわ」
「ありがとう、真理子ちゃん……行こう、光一さん」
「ああ」
山本が頷くと、美咲とともに歩き出した。だが、その背中に向けて、真理子が再び声をかけた。
「ちょっと待って、山本光一」
「なんだ?」
振り返った山本に、真理子は静かに告げる。
「勝手なお願いだけど――美咲のこと、頼むわね」
山本は一瞬だけ目を細め、短く答えた。
「ああ」
そして、美咲と山本は静かに村を後にした。
どこへ向かうのかはわからない。けれど、美咲の胸には新たな決意が芽生えていた。山本と共に歩む道なら、どんな困難も乗り越えられる――そんな確信があった。
新たな未来を探す旅路。二人は互いを支えにしながら、未だ見ぬ希望の光へと足を踏み出していった。
ついに、美咲はあの忌々しい村から脱出成功!
山本光一と第二の人生を歩む!!
お幸せに!!