第六話:「呪いの闇姫の贈り物」
呪いの闇姫からの言葉は、あまりにも驚くべき依頼だった。
「俺が、その子の親代わりになるだって?」
信じられない思いで問い返す俺に、闇姫は静かに頷いた。
「そうだ。オマエに、我が子を託したい」
やはり、あの赤ん坊は闇姫の子供だったのか――。
その事実がじわじわと胸にのしかかる。
「いや、確かに俺は“できる範囲で助ける”とは言ったよ。でもそれは無理だ。第一に……俺はガキが嫌いなんだよ」
声を張り上げるつもりはなかったが、自然と語気が強まっていた。
しかし、闇姫はそんな俺の言葉に微動だにせず、ただ真っ直ぐに俺を見つめていた。
「それでも――ワタシはオマエにしか頼めない」
その瞳には、切実さと必死さが滲んでいた。
呪いの闇姫――冷酷で恐れられる存在だった彼女が、ここまで追い詰められた表情を見せるとは思いもしなかった。
俺は言葉を失い、その視線に引き込まれる。
その奥にある深い感情と切迫感が、否応なしに伝わってくるのを感じた。
「でもなんで俺なんかより、もっと他に頼める奴や相応しい奴がいるだろ?」
思わず問いかける俺の声には、困惑が混じっていた。
「他の人間にも助けを求めた。しかし、トンネルに入ってくる人間は、ワタシを見ると怯えて逃げ出してしまう。逃げなかった人間は、お前が初めてだ」
闇姫の言葉は静かだったが、その響きには重い真実が込められていた。
――闇姫はずっと、人間に助けを求めていたのか。
ふと、ユウキの言葉が頭をよぎる。
「呪いの闇姫は、どこか哀しくも見えた」
そう言っていたのは、こういうことだったのかもしれない。
彼女が抱えていた悲しみや孤独は、きっと誰にも伝わらず、拒絶され続けてきたのだろう。
その長い歳月の果てに、巡り巡って、俺の元へ繋がった――。
目の前の闇姫の姿が、なぜか今は違って見えた。俺に向けられる視線は、呪いの使い手としての威圧ではなく、ただ必死に何かを伝えようとする者のものだった。
「さっき、その赤ん坊はアンタの子だって言ったよな。それじゃあ、その子も幽霊なのか?」
俺は正面から闇姫を見据えながら問いかけた。
闇姫は少しの間、赤ん坊を抱きしめるようにしながら黙っていたが、やがて低い声で答えた。
「半分はそうだ。そして、もう半分は人間だ」
「……どういうことだ?」
俺は思わず眉をしかめる。言葉の意味を理解しようとするが、頭の中がぐるぐると回るばかりだ。
つまり、幽霊と人間のハーフってことか?
そんな“鬼太郎”じゃあるまいし――。
それじゃ、あれか?
親は“目玉おやじ”でした、ってか?
一瞬、頭の中でふざけた想像が浮かぶが、すぐに振り払った。
さすがにそんなアホな話があるわけない。だが、それでも目の前の現実を前にして、俺の常識はすでに揺らいでいる。
「……人間と幽霊の子供なんて、そんなことが本当にありえるのか?」
自分の声が少し震えているのに気づいた。
「ワタシは、元々人間だった。正確には、忌み子ともいうべき存在だろうか……」
呪いの闇姫は静かに言葉を紡ぎ始めた。
「ワタシは、超能力を持って生まれたがゆえに、村人たちから恐れられ、迫害を受け続けてきた。しかし――そんなワタシを救い出してくれる人間が現れたのだ。彼は、後にワタシの最愛の人となり、そして……この子を授かった」
そう語ると、彼女は腕に抱いた赤ん坊へと視線を落とした。その瞳には、かすかな温もりが宿っている。
「なんだ、めでたい話じゃないか」
俺は思わず言った。少なくともそこまでは幸福な話に思えたからだ。
だが、闇姫はゆっくりと首を振り、重い声で続けた。
「ああ、ここまではな……。だが、ワタシと彼は村人たちの憎しみによって命を奪われた。村人たちはワタシたちを許さなかった。このトンネルで、ワタシたちは殺されたのだ。そして――ワタシは呪いの霊として蘇った」
闇姫の声は淡々としていたが、その中に押し殺した怒りと悲しみが混じっているのを感じた。
「ワタシは憎しみの矛先を向けるため、このトンネルに入る人間たちを次々と呪い、命を奪っていった。そうしていつしか、人々から『呪いの闇姫』と呼ばれるようになった」
彼女は微かに笑みを浮かべたが、その表情には計り知れない悲しみが漂っていた。
俺は何も言えなかった。目の前の“呪いの闇姫”と呼ばれる存在が、恐ろしい霊ではなく、一人の哀れな女性に見えてくる。愛を知り、家族を得た彼女が、どうしてこんな絶望の果てに行き着かねばならなかったのか――。
「そんなある時だった。霊であるワタシのお腹に子供がいることがわかったのだ」
闇姫の言葉に、俺は思わず息を呑んだ。
「どういうことだ? 霊になった状態で、アンタが産んだってことなのか?」
混乱しながら問い返す俺に、闇姫は静かに頷いた。
「そうだ。ワタシも驚いた。まさか自分が死んだ後も、この子が生きているとは思わなかったからだ。もしかしたら――死ぬ間際に、この子だけは守りたいというワタシの強い想いが叶ったのかもしれない」
彼女の声には、どこか穏やかささえ宿っていた。
「ワタシが生きていたころの強い意志が、この子を生かす力になったのだ。あるいは、私の深い願いと愛が、この子に命を与えたのかもしれない」
トンネルに響くその言葉は、不思議と冷たさや恐ろしさを感じさせない。むしろ、どこか温かさすら感じさせるものだった。
「にわかには信じ難い話だな……」
俺はそう答えながらも、否定することができなかった。目の前で静かに眠る赤ん坊の存在そのものが、その奇跡の証明に思えたからだ。
――つまり、呪いの闇姫の子供に対する強い愛情や願望が、奇跡的な現象を引き起こし、この子を守り、生かし続けたってことか?
そう考えると、目の前の赤ん坊がこの暗いトンネルの中で唯一、生命そのものの輝きを放っているように見える。
俺は複雑な感情に胸を満たされながら、闇姫と赤ん坊を見つめ続けた。
「この子のおかげで、ワタシは憎しみから解放され、自分を見つめ直すことができた。そして……呪いをかけるのをやめ、この子のために生きると誓った」
闇姫は赤ん坊を優しく抱きしめながら語った。その言葉には、母親としての決意と温かさがにじんでいた。
「なら、なんで俺にその子を預けるんだよ。そのまま母子ともに幸せに過ごせばいいじゃねえか」
俺は思わず声を荒げた。正直なところ、なぜ彼女が自分の子供を手放そうとするのか理解できなかった。
だが、彼女は静かに首を振る。
「残念ながら、それは叶わぬ……。ワタシは霊として、この世に存在を留められなくなってしまったのだ。時期に消えてしまうだろう」
「消えるって……なんでだよ」
胸がざわつく。
「ワタシは憎しみのせいで呪いとなり、再びこの世に現れた。しかし、憎しみから解放されたことで――霊としての役割も終えたのだ」
その言葉を聞いて、俺は全てを悟った。
つまり、成仏ということなのだろう。
闇姫は憎しみによって霊として誕生し、このトンネルで恐れられる存在となった。だが、皮肉にも、その彼女の呪いの力が、予期せぬ形で子供に「生きる力」を与えることになったのだろう。
「この子は……ワタシにとって最後の希望だ。だからこそ、この子を守り、育ててほしいのだ。オマエに……」
闇姫の声は次第に弱々しくなりながらも、彼女の瞳には確かな意志が宿っていた。その目に込められた願いを無視することは、きっとできない――。
俺は彼女を見つめ返し、次の言葉をどう返すべきか、ただ迷っていた。
「だから、アンタはその子を俺に預けたいってことか?」
俺は低い声で問いかけた。闇姫の覚悟を確かめるように。
「ああ。ワタシが消えれば、この子の面倒を見る者がいなくなってしまう。この子を独りにさせたくはない……だから、オマエに託したい」
闇姫の声は静かだったが、その中には長い間の苦しみと、消えゆくことへの心残りが滲んでいた。
赤ん坊を抱く彼女の腕は、どこか名残惜しそうに見える。それでも、彼女の瞳に宿る決意は揺らぐことはなかった。
だから俺は闇姫が語った内容に困惑しつつも、彼女の過去についてもっと深く知りたいと思った。
彼女が何者なのか、なぜこの赤ん坊を託そうとするのか――それを理解せずに、この依頼を引き受けることはできない。
「アンタがこの子を預けたいって言うのは分かった。でも、その前にアンタ自身のことをもっと知る必要がある」
俺の言葉に、闇姫は少し目を伏せた。一瞬だけ、躊躇の色がその瞳に浮かぶ。しかし、次第にその表情は決意に満ちたものへと変わっていった。
やがて、彼女の体が淡い光に包まれる。光は柔らかく揺らめきながら、トンネル全体を覆い尽くしていく。何かが始まる――そう感じた瞬間、闇姫が低く静かな声で言った。
「いいだろう」
その一言と共に、空間が大きく変化した。
目の前の景色がゆっくりと歪み、淡い光が過去の記憶を映し出す幕となる。トンネルの冷たい暗闇は、いつの間にか暖かな陽の光に照らされた風景へと変わっていた。
そこに映し出されていたのは、闇姫の過去の姿だった。
まだ人間だった頃の彼女――幼いながらも孤独を背負い、村人たちから迫害を受ける彼女の姿が映る。
闇姫の声が、どこか懐かしさと苦しみを滲ませながら響く。
「これから語るのは、ワタシがどのようにして呪いの霊となったか。そして、この子がどのように生まれたのか――その全てだ」
その言葉に、自然と身が引き締まる。
トンネルの冷たい空気の代わりに、過去の世界のざわめきが耳に届く。
これから語られる物語――それは彼女の苦難と希望、そして愛の記憶だ。俺は息を呑みながら、その始まりを待っていた。
次回からは呪いの闇姫の過去編に突入し、その背景と経緯が明らかにされることになります。
最恐の呪縛霊「呪いの闇姫」の誕生の物語が今……始まる。