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哀と光のトンネルで  作者: 蒼月 想
第一章 無子男
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第九話: 「佐江実咲③」

――美咲視点――


村を出てから三年。

私は光一さんと共に、静かな田舎の一軒家で暮らしている。


21歳になった私は、ようやく穏やかな日常を手に入れた。

光一さんは、私を救うために製薬会社を辞め、自分のすべてを投げ打ってこの新たな生活を選んでくれた。


彼のその決断には、言葉にできないほどの感謝と敬意を抱いている。けれど、それを口にするのはなんだか気恥ずかしく、いつも胸の奥にしまい込んでいる。


私たちは、誰も使わなくなった畑を再生させ、農業を営みながら自給自足の生活を送っていた。

周囲の住人たちはとても親切で、村での生活とはまるで違う温かさに包まれている。


毎日が静かで、楽しくて、幸せだった。

光一さんは外の世界のことをいろいろと教えてくれた。私が知らなかったこと、見たことのないもの、すべてが新鮮で、彼の楽しそうな顔を見るたびに私の心も躍った。


彼の笑顔、困った顔、真剣な顔――そして、時々見せるお茶目な一面。

そのどれもが私にとって愛おしかった。


「この先も、ずっと一緒にいたい」


そう願わずにはいられなかった。

初めて心の底から誰かを愛する気持ちを知った。


光一さんは、私にとって唯一の光だ。

彼がいるだけで、どんな暗闇も消えてしまう。


この日々が永遠に続けばいい。私はそう思いながら、彼と手を取り合い、新しい未来を静かに歩んでいた。


そんなある日、私たちにとって待ち望んでいた知らせが届いた。


――妊娠している、と小さな村の医師から告げられたのだ。


その瞬間、胸の奥から抑えきれない感情が込み上げてきた。

頬を伝う涙を止めることができなかった。


「よかった……本当に、よかった」


手のひらをそっとお腹に当てると、小さな命の存在が確かに感じられる気がした。

この世界に生まれてくる命。それは私と光一さんが一緒に紡いだ未来の証。


喜びと感動が心の中を波のように押し寄せ、私はその場で何度も涙を拭いながら笑った。

今まで感じたことのない幸福感が、体中を満たしていた。


この命を大切に育てたい。光一さんとともに、手を取り合って――そう心に誓った。


しかし、幸せは長くは続かなかった。


妊娠が判明してから三ヶ月が経ったある日、光一さんが突然帰ってこなくなった。


理由はわからない。

いつも通り朝に出かけていき、夕方には笑顔で帰ってくる――そのはずだったのに。


それから、光一さんのいない日々が始まった。

時間が経つほどに不安と恐怖が膨らんでいく。


「何か悪いことが起きたのだろうか?」

「もしかして――私を見捨てたのだろうか?」


考えれば考えるほど、嫌な想像ばかりが頭を巡る。


一人きりでいた頃の孤独が再び襲いかかり、私はその恐怖に押し潰されそうだった。

お腹に宿った新しい命を感じるたび、どうしようもない不安が私の心を締めつける。


日々の絶望感に、涙が止まらない。


光一さんの存在の大きさを、私は痛いほど思い知らされていた。

その温かさも、優しさも、今では手の届かない場所にある。


ただ、もう一度――彼に会いたい。

それだけが私の願いだった。


そんなある日、家のポストに一通の手紙が届いた。


差出人を確認した瞬間、私は思わず息を呑んだ。

――あの忌まわしい村の村長の名前が書かれていた。


手紙を震える手で開くと、そこにはこう記されていた。


佐江実咲よ。

今すぐ村に戻ってこい。村が窮地に陥った。

貴様の力が必要だ。今こそ村のために役立てろ。

貴様がこの手紙を無視できぬよう、山本は我が村で預かっておる。

貴様なら、この意味がわかるはずだ。

その瞬間、私の心には怒りが沸き上がり、胸が煮えたぎるようだった。


あれほど私を追い詰め、忌み嫌い、冷たく扱ってきた村が――今になって私を必要とし、私の力を利用しようとしている。


それだけではない。

彼らは光一さんを人質に取っている。


「……ふざけないで」


震える声でそう呟いた。手紙を握りしめる手が力に任せて震えている。


彼らは私の命も未来も何一つ気にかけることなく奪い去り、今また、私から大切なものを奪おうとしている。


光一さんを守らなければ――たとえ、私の身に何が起きようとも。

このお腹の命と、光一さんを守るために、私は再びあの村へ足を踏み入れる覚悟を決めた。


-------


私は久しぶりに、あの忌まわしい村へ足を踏み入れた。


目の前に広がる風景は、三年前と何一つ変わらない。

古びた家々、じめじめとした空気、そして薄暗い小道――すべてが嫌な記憶を鮮明に呼び起こし、胸の奥に不快感を植え付けていく。


目に映る景色は、過去の恐怖と孤独そのものだった。


しかし、私がこの場所に戻った理由はただ一つ。

光一さんを救い出すこと――それだけだ。


村の事情がどうなっていようと、どんなに困窮していようと、私には関係ない。

彼らが私に何を求めようと、そんなものに付き合うつもりはさらさらない。


「光一さんさえいれば、それでいい」


心の中でそう言い聞かせ、私は前を向く。

過去の傷が胸を軋ませるたびに、お腹の命と光一さんの笑顔を思い浮かべた。


私が求めているのは、ただ一つ――

光一さんを見つけ出し、この場所から共に逃げることだけだ。


しかし村中を隅々まで探し回ったが、光一さんの姿はどこにも見当たらなかった。


時間が経つほどに、私の焦りと不安は募り、心は深い闇に沈んでいくようだった。

彼が無事であると信じたかった。けれど、どこに隠されているのか全く見当もつかず、私は途方に暮れていた。


そんな時だった――


目の前に現れたのは、あの不気味な村長だった。


彼は相変わらず冷ややかな目をし、不気味な笑みを浮かべながら私を見下ろしている。

その存在だけで、村に漂う重い空気がさらにのしかかり、胸の奥に新たな不安が押し寄せてきた。


「どこです?」

私の声は怒りと焦燥に震えていた。

「光一さんはどこにいるのですか?どこに隠したんです!」


村長は冷笑を浮かべ、わざとらしく首を傾げた。


「久しぶりに帰ってきたというのに、村のことではなく、その男のことが気になるのか」


その言葉に、胸がじりじりと焼かれるような怒りがこみ上げる。


「この村なんて、私にとってただの汚点でしかありません。光一さんの居場所を教えなさい!」


村長は私の叫びにも動じることなく、静かに、そして薄笑いを浮かべながら言った。


「ふん、そうか。それなら――お前のよく知る場所にいるのではないか?」


「私の、よく知る場所……?」


村長の言葉が耳に残り、脳裏で繰り返される。


嫌な予感が走った。

その場所がすぐに浮かんできてしまう。


――あのトンネル。


私は意識の奥で、その可能性を避けようとしていた。

けれど、村長の冷たい目が確信を伴っているのを見てしまった以上、もう否定することはできなかった。


光一さんは、あの場所にいる。


私は歯を食いしばり、拳を握り締めた。

再びあの忌まわしい場所へ向かわなければならない。


それでも、彼を取り戻すためなら――どんな恐怖も、乗り越えなければならない。


ーーーーーー



トンネルに向かう決意を固めることは、私にとって恐怖そのものであった。


過去の恐怖と孤独が、今もなお私を苦しめ続けている。

それでも、もし光一さんがあの場所に閉じ込められているのなら――

私は再びその暗闇と向き合わなければならない。


トンネルの前に立った瞬間、冷や汗が背中を流れ、心臓が激しく鼓動した。

深呼吸をして気持ちを落ち着け、恐怖を必死に押し込めて足を踏み入れる。


扉は、以前と同じように開いたままだった。

トンネルの中は冷たく、重い暗闇に包まれていた。

その圧倒的な静けさと閉塞感が、心の中に恐怖を押し寄せる。


急いで光一さんを探さなければならないという焦りが、全身を支配していた。


暗闇の中を歩き続けると、次第に目が慣れてきたが、それでも空気は冷たく、重かった。

心臓の鼓動が耳をつんざくように響き、手が震える。

それでも前に進むしかない――

進まなければ、光一さんを見つけることができない。


「光一さん! 光一さん、どこですか!」


必死に呼びかけたが、返事はなかった。

不安が膨らみ、嫌な予感がますます強くなる。


その時、突然、足元に「グチャッ」と不気味な音が響いた。

視界が一瞬歪み、何か厚みのある物を踏んでしまった感覚が伝わってきた。


足元を見下ろすと、目の前に広がる光景が私を凍りつかせた。

真っ赤に流れた血と、無惨に横たわる死体が目に入った。


その死体に見覚えがあった――


「ま……真理子ちゃん?……なんで?」


震える声で名前を呼ぶが、その答えは、もう誰からも返ってこない。


私は驚きのあまり、思わずその場に腰を抜かした。

その瞬間、さらに衝撃的な光景が視界に飛び込んできた。


「……は?」


もう一つの死体が目の前に横たわっていた。

それにも見覚えのある顔があり、言葉を失った。


「う、嘘でしょ? 光一さんなの……?」


冷静になろうと必死に試みるが、心臓は激しく打ち、呼吸は荒く、思考がまるでついていかない。

死体の腕には、確かに光一さんに作ってあげたミサンガが巻かれていた。


これが本当に光一さんだとしたら――

彼はあっけなく命を落としてしまったのか……。


真理子と光一の死に直面した私は、

その瞬間、何かがプツンと切れるような音が私の中で鳴った。

感情が爆発し、無力感に襲われる。


その時、トンネルの出口から、複数の足音が不気味に響き渡った。


足音が近づくにつれ、怒りと悲しみ、そして恐怖が入り混じった感情が一気に押し寄せてきた。

心が壊れそうになる感覚に襲われ、目の前の景色が揺れ始める。


「光一さん……」


震える声で名前を呼んでも、虚しく暗闇に吸い込まれるだけだった。

目の前に横たわる冷たい彼の体を見つめながら、私はこの現実を受け入れなければならないのだと、

頭では理解しつつも、心はそれを拒絶し続けていた。


足音はさらに近づいてくる。

だが、私はその場から一歩も動けなかった。

ただ立ち尽くし、無力感と絶望感に包まれる。


光一さんを取り戻すための希望は、もうどこにも見当たらない。

それどころか、私がこれまで築いてきたすべてが崩れ落ち、足元に虚無が広がるようだった。


冷たい空気が肌を刺し、私の心の中には何もかもが凍りついたかのように、

ただ静かで冷たい虚無だけが広がっていった。

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