表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

創造的選択 

作者: Tetrami

創造的選択

全人格、全生命を賭けて行う選択のこと。

「もう、あなたは人生の幸せの80%は手に入れたから、あとはお仕事頑張ってね」

ぽんぽん!と手を肩におき、ピカピカの笑顔で沙季は言った。

ドアを開けて、訪問者の顔を確かめ、泣き腫らした真っ赤な目をして。

「結婚してください」

プロポーズの言葉を言う機会を俺はまた逸した


 絋大(こうた) 大手不動産会社勤務 28歳

 沙季(さき) 歯科衛生士 25歳


 どのように出会ったか詳しくは割愛するが、同じオフィスビルの歯科医院へ治療に通っていた時に、偶然別の場所で会うラブストーリーの儘である。


 それは夏も終わる8月の末だった。


 深大寺にて、仏前結婚式をした。

両親、兄妹とそれぞれの友達を2人ずつに立ち会ってもらった。


 幾度となく心の惑いを聞いてもらいに行った。

ここで自分の気持ちを吐き出して気持ちを確かめた。

己を落ち着かせ鎮めてもらった。


 創造的選択を報告し、先の人生に結んでいただいた縁に誓いを立てた事を見ていただく深大寺であった。


 栗拾いに行きたい、深大寺へ。

「子供の頃は毎年行っていたの。

幼稚園、小学校の遠足は決まって深大寺と神代植物公園よ。」

世田谷から深大寺は電車だと乗り継ぎがあり1時間30分強かかるが、車だと20分とかからない。

深大寺から車で10分ほど、栗拾いのできる農園へ行く約束が2人で初めて出かけたところであった。


 平日の休みを共有出来るのは2人の距離を急速に縮めた。

そして、週末の休日には会わないと言うルールも出来上がった。

 沙季とは毎朝の通勤を共にしていた。

まるで顔見知り程度の学友の様に軽く挨拶を交わし、適度な距離で各々携帯でニュースを読んだりし、時々LINEで話す。


 深大寺では蕎麦を食べないと言うルールもあった。

 世田谷に続く野川の水は清流でおいしく、江戸時代から深大寺では蕎麦が栽培され蕎麦粉は寺に納められていた。

蕎麦は深大寺名物である。

細く長く、2人にとって余りにも不似合いな蕎麦、

口には出さないが、沙季はそう思っていたのではないだろうか。

俺はそう思っていた。


 千歳烏山の中華料理店で何品かテイクアウトをし、調布のアプリコットたっぷりのドライフルーツのシフォンケーキをデザートに仕入れた。

まず、おいしいものを食べることに真剣になるところが、気の合う2人だった。


 栗拾いといえば、栗の毬を両足で挟んで、割れ目を広げて毬が刺さらないように注意して中の栗の実を取り出す。

あっという間に軽く3キロ越えの収穫。

 ぶどう狩りもやっていたので覗く。

ぶどう狩りは、ぶどうハサミで袋がけされた果実の熟し具合を観察して選び、傷つけないように果実にそっと手を添えて房の少し上の枝から切る。

葡萄狩りは、数日で食べ切れる量のみ4房でしまいとする。


 この辺りは『稲城』梨も特産で、秋になると品川通りには、梨売りのテントが並ぶ。

「次は梨狩りね」沙季が言う。

 梨の果樹園に近い地域は、ビャクシン類の樹木、生垣によく植樹されるカイヅカ(かいずかいぶき)などを植える事は禁止されている。

赤星病をビャクシン類の樹木は中間寄生樹となり、梨の木に赤星病を移してしまうのだ。

「日本中の梨の生産地では梨赤星病防止条例が施行されているんだよ。」

 続けて大学で学んだ事と不動産の仕事で、緑の環境を生活に取り入れたい等思いがある事を熱く語ってしまった。

沙季はよく喋るのだが聞き上手であった。


 実は俺の実家は埼玉のハズレで果樹園を営んでいる。

三男坊で家業は継がないが植物が好きなのだ。

これは話さない、素性の背景の話はしない。

お互い家族構成も親の職業も実家の場所も会話には挙げない。

栗拾いは楽しかった。

 無邪気に栗を拾い、大量の収穫はウキウキとし、久しぶりの感覚だと思った。

 沙季との会話は心地良さがあり、自然体であった。

ダブーを多く抱えているのが不思議であるくらい、それらを全て無いもののように排除された中に成立していた。


 栗と葡萄は、分けて持ち帰るものと思っていたら、

「うちで栗を食べましょう」

と沙季のマンションへ寄ると、

 手際よく栗に切れ目を入れて、パリの街頭で食べるような焼き栗を焼いてくれた。

沙季は料理が得意なようだ、キッチンのスパイスや調理器具を見れば分かった。

けれども、沙季は逢引きに手作り弁当を持ってくるような圧が重いことはしなかった。


 尚更、そして気持ちは恋に落ちていく。

ひとつ、2つと心の引き出しに好きなものを入れていくように。


 2月までの半年間、逢引きは深大寺参りから始まるのだった。

隣に位置する神代寺植物公園で一緒の時間を過ごした。

歩いて話してテイクアウトしてきた美味しいものを食べて、冬は温室でぬくぬくと暖まった。

行き交う人は、人の顔など見ない、人目に神経を尖らせずに2人で居られる場所であった。

知り合いに会う可能性のある目立った場所で会うことも食事をする事も俺にはできない事情があった。


 定年後の今は、俺は世田谷にあるその街の物件のみ扱う不動産屋のオヤジをしている。

私鉄沿線の急行の停まるそこそこお洒落で高級住宅地のある街、緑地が多く、芸能人の豪邸も多い。

不動産屋の先代は義父で祖父は地主で、ご先祖様の土地を守るために始めたアパート経営からこの商いは始まったそうだ。


 大学でランドスケープを学び、大手不動産会社勤務時代に宅建を取り、敷地内に緑環境を取り入れたマンションプロジェクトで賞をとり、役職付きも経験した。

 俺の人生、どちらを伴侶と連れ添っても、仕舞いの仕事は不動産屋のオヤジと言うことか。


 沙季と夫婦になってからは深大寺へは毎月第3土曜日に参拝し、蕎麦を食べに行く。古井戸や湧水を使う手打ちの深大寺蕎麦は旨い。

申し訳なく、切なくなるほどに俺の人生は幸せである。


 別れの日、

「私を選ばなかった事、一生後悔するから〜」と叫んで踵を返し沙季は去った。


 歯科医院へは、結婚前の検診で行った、問診票へその旨を記入した。半年後に結婚を控えた男性患者であった。

 2月の神代植物公園の梅園で梅を見る日を別れの日とする事を俺は決めていた。


 (まゆみ)婚約者27歳 神社守りをする旧家地主の長女

3月に守り神社にて挙式予定

2月に敷地内に新築された家へ引っ越し、新生活はそこで始まる。

婿入りし、定年後は一族の不動産管理業に従事る。

三男坊売り手市場、何処からともなく持ち込まれた縁談だった。

逆玉の輿?学生時代から付き合っていた彼女と別れ、暫く誰とも出会っておらず、条件よりも檀さんの容姿と利発さにベールをかけたような惹きつけるところと、お互いを知り合いながら穏やかに暮らしていけそうな印象が即決させた。

お受けしますと答えたのみで、結婚へのスケジュールカウントは始まり、プロポーズの言葉は発言していない。


おめでとうございますと初診の時に歯科衛生士は言った。

3月に俺が結婚を控えている事は沙季は認識していた。

通勤電車で会う以外に出かける約束をして動揺したが行きたかった。


何をしているのだろうかと己を責めもした。

もうやめようと毎晩誓うのに、次の約束をしてしまう。

週末には檀さんと新居の設計の打ち合わせや結婚準備をしている。

結婚をやめる事は絶対に出来ない、人としてないだろう。

俺は普通だ、今まで波瀾万丈では無い人生を歩いて来ている。


 スローモーション動画を見ているように沙季と唇を合わせた、

慌てて手を突っぱねて離れると

「自然な事じゃ無いの?心のままに」

心のままに、俺は応えてしまった。

だが理性が性欲に勝る事はない。


 然り、決めていた通り、梅園で梅の花を見た日に

「次の約束はない。もう、会えない、会わない」

気持ちを伝えあった事はない。いや、言葉にしなかっただけか。

「うん、バイバイだね。」

沙季は泣いてない。

そういう気がしていた。

今まで私の事を好きかとか、結婚をやめてほしいとかひと言も言ったことがない。

沙季は車から降りて、歩き出した、俺も車から降りて後ろ姿に別れを重ねていた。

振り向き叫び、後ろ姿でバイバイと手を振って部屋へ入って行った。


 いつもと同じ時間に起床し、引越しの準備を始める。

昼前には檀さんが来て昼食の後手伝ってくれる予定だ。

服が濡れており、涙が出ていること知って驚いた。

俺は泣いている。

俺は自分の心と向き合うと言うこと、頭で処理できない感情が人にはある事を知った。

選ぶ、創造的選択(全人格、全生命をかけて行う選択)をする。


 インタビュー番組であった。

「私27歳の時に破談になりまして、空から自由が降ってきたのです。

 破談はお家大騒動、使い物にならない娘になりました。

婿入りして下さる予定の方に好きな方がいらっしゃるのを知ってしまいドタキャンしました」

「自由が降ってきた?」

「父も母も親戚も体裁を非常に気にする一族で、出来れば家にいて欲しく無いと言うのがひしひしと(笑)

旅行にでもと言われて、海外でも宜しいですか?

と尋ねたら尚宜しい感触、旅費も滞在費も御援助くださるそうで。

 専門的に何かを学ぶ事を禁じられて来たので、数年留学をしたいと言ってみました。

それは良いと両親がホッとしていたのが今思い出しても笑えます。

とっとと渡仏し、パリとロンドンで学びました。

 自分の思うがままに、自分で決める、自分は自分で守る。

自立して生まれ変わったのです。

 恋愛も沢山して、子供は私のような運命を背負わせたく無いので躊躇したりもしたのですが、ボコボコ生まれて(笑)

 元婚約者様、私を振ってくださり感謝しております。

私は幸せになりました。

貴方もお幸せですか?」


 世界で活躍しているキュレーターが実家が守る神社の隣に代々伝わる骨董と現代美術のコラボ美術館をオープンさせたそうだ。


 声をあげて泣いた。

幸せでいてくれてありがとうございます。

君のくれた人生に感謝しています。

幸せです。


「私だって私を見て下さり、共にする日々の心を私にくださる幸せを望みます。

外の好きな方に心を置いてきた方とは歩めません。」

檀さんはあの日、婚約者絋大にそう告げた。


檀のお話はまたの機会に。







人はひとを傷つける。

幸せの中にあっても、罪悪を己に抱えて忘れてはいけない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ