第84話 後半 A
「ごちそうさま」
会計を済ませた後、通りを歩きながらシュティレが紅潮した顔で言った。
屋敷ではあまり見せることのない表情だ、とナハトは思った。
ふと、ナイトウ=ライが言っていた『妖精』という存在と、目の前の小柄で可憐な女性の像が重なった。
この人に想いをよせる男が屋敷内に複数いるのが、今更ながら理解できる気がする。
「? どうかしたの」
「いや――満足してくれたようで安心しただけだ」
「素敵なお店だったわね。少し奥まった場所にあって、でも中はすごくお洒落で、料理もお酒もすごく美味しくて……」
「さんざん食べ歩いているノインが、しきりに褒めていた店だったからな。私用で使う機会があればと記憶していたんだ」
シュティレの表情が強張る。
怒りのような視線が、すぐに影を潜めて下に向く。
「すまない」
咄嗟に出た一言だったが、何が彼女の癇に障ったのかはナハトには判然としていなかった。
「――ひとつ、聞いてもいい?」
ナハトは無言で頷く。
この応答を間違えれば、せっかくの食事の夜が、彼女を傷つけたままで終わるだろう。
まったく、自分の無遠慮さが腹立たしい。
「今回の遠征で、ノインと何かあった?」
「何か?」
「だから、その、同じ屋根の下で、男女二人だったわけだし――」
さっきとは違う頬の赤らめを見て、ナハトが首を振る。
「ない。その、今シュティレが言った「何か」が、男女の関係というか、そういうのを指しているのであれば」
「本当に?」
「本当に」
どちらからともなく立ち止まり、視線が重なる。
風が夏の終わりを告げるように、若干の肌寒さをもって通り過ぎる。
「そっか」
微笑とも言えない程度に口元を緩めて、シュティレがまた歩き始めた。
混乱しそうになる頭の中を懸命に整理して、ナハトは彼女の横に並びながら、ジャケットを脱ぎ、シュティレに羽織らせた。
ハッと目を見開いて、シュティレがナハトを見上げる。
「体を冷やさない方がいい」
「……ありがと」
そう答えたシュティレは、スッとナハトに近寄り、しがみつくように腕を組んだ。
ナハトはそれに応えるように、わずかにシュティレの方に体を傾けた。
その後は二人とも何も言わず、ロアリテートの正門が見えるところまで、その距離も保たれたままだった。




