第80話 暗剣殺
湖畔都市アハトゥングの街は、その名こそ歴史に長いが、決して安寧の中に時を刻んできたわけではなかった。
古来より、文明は水の寄る辺に発つ。
例にもれずゼー湖には人が集まり、村が、街が、国が建った。
岸を挟んで利権を争い、所有権をめぐって衝突が起きた回数は限りがない。
今の形――グーテ王国とヴァールハイトの両国が互いに所有権を手放すという形に落ち着くまでは、近隣のシュテッペ草原はそこここを度々の戦場とし、血だまりをつくった。
中でも、アハトゥングの街から南に小一時間程歩いた所に在る古戦場は、有名だった。
そこには、古い時代に旅芸人の一座が組んだ、石造りの円形舞台があったためである。
争う両者が一騎打ちで決着とつけんとした際に、そこを選ぶことが常だった。
黒ずんだ石の染みが、これまでに流された血の多さを物語っている。
「ゾルダート=クプファー、この度の決闘を取り仕切る。私が、どちらかが戦闘不能だと判断した際、この決闘は直ちに終了とする。よろしいな」
ナハトとナイトウは頷いた。
どちらも、新たに鎧や甲冑、兜を纏ったりすることなく、かつて共に旅をした時と同様の衣装だ。
周囲には、グラツィア、ノインの二人だけが居た。
決闘があることを知る女中らで、この場に来ようとしたものは皆無だった。みなアンムート家に仕えて長く、こういった貴族社会の出来事に介入してはならないことを経験で、あるいは知識で分かっているものばかりだった。
「このステージから降りた場合は?」
「古来よりのしきたりに則って、逃亡と見做す」
「相手が死んだ場合は?」
「罪には問われぬ」
「武器を手放した場合は?」
「戦闘不能だと、私が判断すれば終了させる。戦意の喪失が認められない場合は、続行だ」
老紳士の鋭い視線を、ナハトはまっすぐ受け止め、深く頷いた。
対して、次に見つめられたナイトウは、眉間に皺を寄せて、浅く頷いた。
「ナハ――」
「既に語る言葉はない」
ナハトは言い捨てるようにして、距離を置いた。
間合いの勝負だ。
相手の化け物じみた攻撃を、何度かは受けなくてはならない。
受けて、近づき、一瞬の隙に、魔法を行使する。
一度きりの勝負だ。
「ふぅ」
呼吸を整える。
集中しろ。
これまで対峙した、どんな相手よりも速く踏み込んでくるはずだ。
あの、魔獣の群れを屠っていった、ナイトウの剣技をかわすのは並大抵のことではない。
「はじめ!」
ゾルダートの声が低く響く。
ナハトが老紳士に与えられた剣を握る。
ナイトウが、鞘に納まったままのカタナに手をかける。
そのまま抜かない――
カタナを抜かないまま戦うつもりなのか?
次の瞬間、ナハトは背すじが凍り付いたような感覚を覚え、剣を握り直した。
ガキィン!
ナイトウのカタナを、ナハトはかろうじて受けた――らしかった。
見えたわけではない。
これまでに培ってきた、危機を察知する能力、いわばカンでしかない。
鞘走りとともに抜き放たれたカタナは、まるで一筋の光のようにナハトの剣を弾いていた。
「居合い抜き」と呼ばれる技術だったが、ナハトはそれを知る由もない。
「なっ――」
「手加減は出来ないぞ、ナハト」
初撃の勢いを受け流せず、姿勢が崩れ、剣の切っ先が石についてしまった。
無防備になった上体に、返す刃が迫る。
速い。
レーラー師よりも、先日のゾルダートよりも、これまでに見たどんな剣閃よりも。
回避できない。
「ナハトッ!!」
ノインの悲鳴。
彼女の『封印』の申し出を断ったのは、失敗だったか。
白刃が自分めがけて走る。
うぬぼれていた。
自分が鍛えてきた剣技で太刀打ちできると思い込んでいた。
光が迫る。
どこで間違った。
骨ごと両断される。
――――ロイエ様――シュティレ――ノイン――先生――
死――――……
「ナハト――――……?」
ノインのか細い声は、草原の風にかき消された。
その光景を、その場にいる誰もが理解できずにいた。
ナイトウの背中に、剣が突き立てられていた。
その剣の持ち主――ナハトは既にその手を放し、ナイトウに背を向ける形で数歩先に居た。
「し――勝負あり!」
ゾルダートが決着を宣言した。
グラツィアは、何が起きたのか混乱しながらも、素早く敗者の元へ駆けよった。
そして、何事かうわ言を発する口元に耳を寄せ、ナイトウの最後の言葉を聞き取ろうと努めた。
ノインがナハトに近付く。
「ナハト?」
ノインに声をかけられたナハトは、ビクンと体を震わせて、水平線色の目を見開いた。
「――え?」
歴戦の暗殺者らしからぬ、実の無い声。
「何が起きたか、自分でも分かってないの? 一瞬、貴方がふたりに増えたように見えたんだけど……」
驚きの表情を浮かべるナハトは、振り向き、ナイトウが息絶えていることを確かめ、またノインに視線を返した。
「俺がやったのか――?」
「ええ、そうよ。貴方が。たぶんだけど」
「……ナイトウの動きに、俺はまるで反応できなかった。予想を遥かに超えていた。一刀で崩されて、二刀目で死を覚悟して――死を、そうだ。死を覚悟したんだ。だから、なのか?」
ぶつぶつと独り言ちるナハトに、ノインは安心のため息をつきながらも、首を傾げるほかはなかった。




