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第79話 手袋と靴紐

「そうか、そうか、つまり君はそんな奴なんだな」


 ナイトウを真っ直ぐ見据えて、ナハトは言った。

 アンムート邸のロビー、女中たちが見守る中を、あえて選んだ。

 その場には、グラツィア、ゾルダートも居た。

 朝食のために下りてきたナイトウを待ち構え、昨日ノインに関係を迫ったらしいなと糾弾し、それを認めさせ、ナハトは先の言葉を口にした。


「ま、待ってくれよ。確かに俺はノインに想いを告げたけど、俺が見た感じ、二人は恋人っていう感じじゃなかったし、実際、ノインだってちゃんと否定はしなかったし――」

「だから人前で――そう、わざわざ公衆の面前でノインを口説いたというわけか。敬愛するロイエ様が関係を認めてくださった、いわばロアリテート家が公認してくれた男女の仲に亀裂を入れようと。これが俺にとって侮辱でなくてなんだと言うのだ!」


 ナハトは左手の手袋を脱ぎ、ナイトウの足元めがけて投げつけた。


「取れ。俺がお前に傷つけられた名誉は、決闘によってしか回復できない」


 ナイトウは顔の色を失って、足元の革手袋を見つめた。

 彼らを見守る人々も、息を呑んでそれを見た。

 その中で、渦中の人物であるノインはといえば、必死に表情を殺していた。

 気を抜けば噴き出してしまいそうだった。

 なにせ、昨日の夕方から夜にかけて、それらしい口上を組み立て、練習を繰り返すナハトを見ていたからだ。

 相手が逃げられないようにするには、もっともらしい雰囲気が必要だ、と若き暗殺者は真面目な顔をして言った。

 確かにそれはそうかもしれないが、普段口数が多い方ではないことも手伝って、ノインにはナハトが堂々と語る姿が滑稽に思えて仕方なかった。


「――決闘って、具体的に何をするっていうんだよ」

「知れたことだ。剣と剣で勝負。落命も辞さない。立ち合いは――ゾルダート様にお願いしたい。中立に、かつ確実に、一切の不正なく、名誉を賭けて戦おう」

「俺がナハトを殺したら、どうなる」

「罪に問われることはないさ。それが決闘だ。ノインについても、お前の好きにすればいい。あの花は、死者の手向けにはもったいないだろう」


 ナイトウがノインを見る。

 ノインはあらためて表情を固めて見せた。

 セリフから相手の反応に対する表情まで、まるきり練習通りだ。

 そして、ナイトウはナハトに投げつけられた手袋を拾い上げ、言葉を紡いだ。


「わかった。決闘に応じるよ」


 にわかにざわつきはじめた館内を、ゾルダートが歩み進んで静める。


「あいわかった。不肖ゾルダート=クプファーが立ち合いを務め、この決闘を取り仕切ろう。グラツィア様、よろしいですかな」

「ええ。男子同士の誇りを賭けた戦いに、外の者が口を挟むわけには行きませんものぉ。けれど、英雄と呼ばれて差し支えないお二方ですから、私としては命落とすことなく決着をつけられることを望みますぅ」


 ゾルダートは深く頷き、高々と宣言した。


「期日は明日、正午とする。場所はアハトゥングの街の南、由緒正しき古戦場跡の円形舞台。双方、よろしいかな」


 ナハトとナイトウは同時に頷いた。


「俺は朝食は辞退いたします、グラツィア様」

「お、俺は――」


 ナイトウが言い終えるよりも早く、ナハトはそのまま外へ出た。

 この展開にするつもりだったので、元々そのまま外に出られるようにしていたのだ。

 館内の人間の視線が、ノインへと注がれる。


「――私は、普通に頂こうかな。グラツィア、いい?」

「構いませんよぉ。では、殿方には一旦遠慮していただいてぇ、ここは女子同士、お話しながら食事するとしましょうかぁ」




「きゃぅっ!」


 フェアトラウエンの街、ロアリテートの屋敷で可憐な悲鳴が走った。

 栗色のセミロングを揺らして、シュティレが尻餅をつく。


「まぁ、シュティレ! 大丈夫ですか」


 何もなかったはずの所で転んだ家臣に、慌ててロイエが駆け寄る。


「痛たた……も、申し訳ありません、ロイエ様。ありがとうございます、もう大丈夫です」


 主君の手を借りて立ち上がったシュティレが、少しよろめきながら姿勢を整える。

 その様子を心配そうに見守りながら、レーラーが首を傾げた。


「珍しいな、シュティレ。女官として中心的な働きをするようになってから鍛錬こそしていないが、それなりに運動能力は高いお前が」

「怪我はありませんか? 脚を挫いたり――あら?」


 ロイエが膝を折る。

 その視線の先には、靴紐の切れたブーツがあった。


「原因はこれですね、シュティレ。ブーツの紐が切れてしまっています」

「えっ?」


 言われて、女官は足元を見た。

 そして、驚いて目を見開く。


「そんな――この靴、買ってからまだひと月ほどしか経っていないのに」

「確かに、古びてちぎれたようにも見えませんね……鋭利な刃物でスッと切ったような、そんなふうに見えます」

「不思議なこともあるものですな」


 三人はおそらく、同じような思考を辿った。

 だからこそ、誰もそれを口にすることはしなかった。

 不吉なことは、音にするのが憚られる。


「――大丈夫ですよ、きっと」


 一切の具体を口にせず、ロイエが優しく微笑んだ。

 それを見たレーラーとシュティレは笑みを返したが、誰もが胸騒ぎを覚えていた。

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