第8話 帰還
黒装束の青年は、仇敵に復讐の刃を振り下ろした姿勢のまま立っていた。
さっきまでノインに見えていなかった刃も、見えるようになった。
白刃が月明かりに煌めく。
その白刃が壁側に振り抜かれると、勢いそのままに、哀れな屍もベッドから引き落ちた。
「遅くなっ――」
ナハトは言い終える前に口を閉じ、目を逸らした。
それを見たノインはニヤリと笑い、体を起こしながら言葉を紡いだ。
「見ないようにしてくれたのは嬉しいんだけど、手枷があるから自分ではどうしようもないのよね」
「金属か?」
「革かな」
「……手をこちらに伸ばしてくれ」
目を薄く開けながら、ナハトが白刃の切っ先を繰る。
チッ、という鋭い音とともにノインの手首は自由を得た。
「ありがと」
「礼はいいから、早く服を整えてくれ」
「あらら、ちょっとくらい見られたって構わないのに」
「早くしてくれ。急いで脱出した方がいい」
「耳まで真っ赤よ、ナハト」
「置いていくぞ」
「はいはい」
ノインが服を着直し、ケープを羽織り直すのを待っている間、ナハトは部屋の中を物色していた。
白刃で壁をつついたり、あるいは床板を踏み込んだりしている。
何のためかとノインが問うと、ナハトは小さく口を開いた。
「ここは王城だ。元が王家の人間が使っていた場所である以上、脱出用の隠し通路があるのではないかと思ったんだが……」
「そんなの無くても、貴方は姿を消せるでしょ」
「俺はな。だが、ノインをひとり置いていくわけにはいかない」
ナハトが鋭くノインを見る。
「私が捕まって、そこから足がついたら困るから?」
「それもある」
「『転生』について、もっと情報が欲しいから?」
「それもある」
「つまり、私のことをもっと知りたいってことね」
「……」
長い息を吐いてから、ナハトは剣を鞘に納めた。
「隠し通路はあるのだろうが、見つけられる保証がない。別の手段で出る。ここで待っていろ」
「分かったわ。待ってる間、私も探してみる」
「俺が出たら錠をかけろ」
ノインが頷いたのを確認してから、ナハトは深い呼吸をしながら部屋を出た。
ガチン、という施錠の音を聞いてから、ナハトは階下に降りた。
一方ノインは肌色の屍が転がる部屋を隅々見て回ったが、やはりそれらしいものは見つけられなかった。
「ノイン、俺だ。開けてくれ」
聞き慣れてきた声に扉を開ける。
誰も触れていないはずの扉が再び閉まり、錠がかけられる。
そして現れたものを見て、ノインは思わず後ずさった。
視界に飛び込んできたのが甲冑だったからだ。
「落ち着け。俺だ。ナハトだ」
薄い鉄板の兜を脱ぐと、深い青の髪と瞳が現れた。
「これを身につけていれば、ある程度は自由に歩き回れるだろう」
「なるほどね。でも、ナハトはどうするの?」
「俺は姿を消して動く」
「……置いて行ったりしないでよ」
「そのつもりだ。姿は見えなくなるだろうが、傍には居る。いざとなったら周囲の兵士を俺が片づける」
「あらら……そこまで言ってくれちゃうか」
ナハトが脱いだ甲冑を受け取り、手伝ってもらいながらノインが身につけていく。
ケープをナハトに預け、兜をつけると、傍目にはただの兵卒になった。
「動けそうか?」
「動きやすくはないけどね。それで、どこに向かえばいい?」
「土地勘はあるのか?」
ガチャガチャと兜が左右に少し揺れる。
ノインは首を振ろうとしたのだが、それが出来るような造りではなかった。
「分かった。では、常に槍を斜めに構え続けろ。俺が姿を隠しながら引っ張るから、それに従え」
「了解」
小柄な兵士が、ふらふらと槍を構えて小走りを続ける様は、すれ違った何人にも不審がられた。
だが、夜通しの捜索によって意欲が減退した者達にとって、その不審は取り立てるほどのことではなく、ナハトとノインは一度も足を止めることなく城下のあばら家にたどりついた。
「大丈夫か?」
鎧を脱いだノインの真っ赤な顔を見て、ナハトが言った。
あばら家は、かつての住人が残していった粗末なベッドとタンスがひとつあるだけで、他にあるものと言えば蜘蛛が編んだ芸術品の数々くらいだった。
「ええ、平気よ。こう見えて身体的な能力は高めなの」
言い回しに小さな違和感を覚えながらも、ナハトは何も言わなかった。
自分が知らないことはいくらでもある。
いちいち気にしていてはきりがない。
「ナハトこそ、体はなんともないの?」
「あちこち痛むが、気にしてられん。それよりも、早くロイエ様の元へお前をお連れしなければ」
「ロイエ……それが、貴方のご主人様の名前なのね」
指摘にハッとして、ナハトは口を抑えた。
それを見て、ノインの方が慌てて口を次いだ。
「あっ、他意はないわ。知ったからどうっていうこともないし。それに、ここまで来て、私が貴方に敵対するはずもないと思わない?」
「……そう思いたいな」
「あらら、まだ信じてもらえてないか。でも、私が転生者の存在をこの世界から消し去りたいと願っているのは、ホントのホント。そうしなければならない理由が、私にはあるから」
「詳しい話は、ロイエ様にしてもらえればいい。おそらく、あの方も同じものを目指しているはずだ」
「同じもの……なるほど、それで――と、話ばかりもしていられないわよね。ここからは?」
「夜明けまで潜む。謀反を起こした仮初の主君が暗殺されたとなれば、その後始末に追われて追っ手を差し向けてくる余裕はないだろう。騒ぎ始めてから、適当に馬を頂いて南下する」
ナハトの予見は的中した。
二人が南のフェアトラウエンに向かって走る中、都ユスティーツでは暴君クロネ=ラントの『魅了』が解けた者達と、早くから付き従っていた信奉者達とが衝突し、収拾のつかない混乱が巻き起こった。
ロアリテート邸にぼろぼろの旅人がたどり着いたのは、それから三日後のことだった。