第75話 使命
「ねぇ、ナハト。今回沼地で戦った魔獣の数って、本当に人の手ではどうしようもないように見えた?」
「――いや。このアハトゥングの兵士達の練度や規模を考えれば、解決は出来たように思う。多少は犠牲が出たかもしれないが。まぁ、ナイトウの力があれば、随分楽になっただろうとは思うが」
そこなのよ、とノインは腕を組んだ。
「楽になった、だけなの。その程度のことのために、転生は起こさない。色々と準備が大変だし、後始末も面倒だし。転生というシステムは、その世界の人々の力では解決が困難な事象に限り用いる、いわば裏技」
「話が見えんな。ナイトウ=ライが、大暴走に対抗するために転生した存在だというのは間違いないと言っておきながら、もう一方では彼の転生は必要なかった、だと?」
ノインはきゅっと唇を噛み、ナハトを見つめた。
深いアメジスト色の瞳が、青い髪の暗殺者を見据える。
「世界を司るというのは、ありとあらゆることを管理するということ。命の循環や流入、喪失、あるいは時期。適切なタイミングで、適切な力を送り込むことが大切なの。でも、この世界の女神の管理が杜撰だったために、必要な力が送り込まれるタイミングが大きくずれてしまった。二十年前の大暴走の方が大規模だったという話から考えると、ナイトウの力が本当に必要だったのは、今回ではなく前回だったんだと思う」
「……ナイトウは、本来なら俺の故郷を救う人物だったはずだ、と?」
沈黙が通り過ぎた。
「今更、それを言って何になる」
ナハトは小さく、しかし吐き捨てるように言った。
ノインは立ち上がり、化粧台を離れて、ナハトの隣に腰を下ろした。ベッドの縁がゆっくり沈む。
「ナハトは、ナイトウをどうすべきだと考えてる?」
ナハトは何も言わなかった。
発するべき言葉が、そもそも言葉を選ぶだけの判断が、まだ自分の中には出来ていなかった。
「見当違いなことを言ったらごめんね。でも、ナハトの中に、ナイトウを殺すべきではないかもしれないっていう迷いはない?」
沈黙したままのナハトに、ノインは言葉を続けた。
「私は、ナイトウ=ライの命は絶たなければならないと思ってるわ。細かい違いはあるけれど、本当に必要な形での転生ではない――という点では、他の転生者達と同じだから」
ナハトは黙ったまま、視線だけをノインに向けた。
ノインは視線を下げたまま、美しい唇を小さく動かす。
「差異はあれど、彼の力もまた、この世界においては極めて強力であることは間違いない。それを看過すれば、やはり不用意に力が蓄積されて、歪みが生まれることになるはず。私は、私の世界に訪れた悲劇が繰り返されるのを止めたい。そのために、この世界に来たんだもの」
唇を噛んだノインに、ナハトはぽつりと呟く。
「あらためて聞いても、規模が大きな話だ」
「――そうね。そう思う。そんな規模の話をして、この世界の住人である貴方に意見を求めたり判断を委ねたりするのは、少し酷かもしれない。でも、聞かせてほしい」
アメジストの瞳にナハトが映る。
「どうする?」
「……ひとつ、聞きたい」
「なに?」
「ナイトウ=ライの使命が大暴走への対抗以外にある、という可能性はないのか。もっと別の、何か重大な役割を担ってきているという可能性は」
沈黙が、二人の間をゆっくり流れた。
「ない――とは言い切れない。時に、人は管理者の思惑を外れた動きをし始めるから。彼が大暴走への抗力として転生したのは間違いないと思うけど、それ以外の活躍や貢献をする可能性はある。でも――でもね、ナハト。『可能性』があるのは、誰でもそう。転生者に限った話じゃない。救われるはずだった力なき少年である貴方が、予期せず魔法の力に目覚めたように、今は何者でもない誰かが、何かのきっかけで重大な使命を帯びることだってある」
ノインはおもむろに立ち上がり、数歩扉の方に歩いて、くるりと振り返った。
「明日、結論を聞かせてもらうわね。押し倒して色仕掛けするのは、やめておくわ」
「――わかった」
ナハトはしばらく、ノインが出て行った扉を見つめていたが、疲れ切った頭を休めようとベッドに横たわり、そのまま寝入ってしまった。
夕食の時間になったらしく、ナハトはノックの音で目を覚ました。
前と同じ食事会場に行き、グラツィア、ナイトウ、そしてノインとともに食事をとる。
ロアリテート家で供される食事とは、質が違った。
肉よりも魚が多く、乳製品が少ない。
野菜の類も、量は同じくらいだが、見たことのないものもあった。
前回、騎士団の面々が居たときは感じなかったが、これが本来のアハトゥングの料理なのだろう。フェアトラウエンとは、距離がある分食べ物も違う。
さしたる特別な話題もなく、食事は終わった。
「あ、ノイン」
二階に上がって、ナイトウがノインを呼び止めるのが聞こえた。
ナハトは先を歩いていたので、そのまま自室へと入った。




