第53話 流血による終幕
「バオアーっ!」
ノインの手は間に合わなかった。
領主が腰から短剣を引き抜き、それを心臓目がけて突き刺したときに、ノインの位置は遠すぎた。
「聞け、民よ!!」
口から血を流しながら、広場はおろか街全体に聞こえんばかりの大声で、バオアーが叫ぶ。
「手筈は二人の執政に委ねてある。だが、彼らもまた、新たな街をつくる段階ではこの街にはいない。君達が、その手でツナイグングを創っていくのだ。愚かな領主の血を洗い流し、自分達の、自分の手で――……」
領主が膝をつくと同時に、広場で金属音が鳴り響いた。
市民が、その手に持っていた各々の武器を投げ捨て、石畳に取り落としていた。
「な、何をしておる、バカ者ども……これぞ好機――……」
ひときわ煌びやかな鎧を纏った男――ドルヒが周りをけしかけようと声を上げるが、誰もそれを聞こうとはしない。
次第にすすり泣く声や後悔の言葉があちこちに出始め、様々な格好の民が領主の周りで膝をつき、見守るようなまなざしを注いだ。
「ノイン」
「ここよ」
両膝をついてうなだれたままのバオアーの口元に、ノインは慌てて耳を近づけた。
胸に突き刺さった短剣が痛々しくも、抜くことは出来ない。抜いた瞬間に、鮮血が噴き出るだろう。
「身寄りのない私を、旅の身の君が見取るのも奇縁だな」
「ええ――そうね。本当に、そうだわ」
ヒュー、ヒューと薄く頼りない呼吸とともに、バオアーが言葉を紡ぐ。
次の言葉が、最期になる――ノインは耳を澄ませた。
「希望は、新しいものの中にある」
はっきりとそう告げて、領主は目を閉じ、力の抜けた体がそこに残った。
いつからか、街にこだましていた喧騒は収まっていた。
「葬儀は簡潔に、と仰せつかっております」
中央広場での出来事から数時間が経って、主人なき城で執政の一人が言った。
「バオアー様の予見されていた通り、あの方の訃報を聞いて東西の市民のほぼすべてが自主的に喪に服し始めました。ルンペンの私兵団については、団長のドルヒにクナイ=モントを殺害した容疑がかかったこともあり、瓦解しています。それもあって、守備隊による街の治安維持はスムーズで、今回の暴動による被害への補償も滞りなく進みそうです」
領主を見取った者として客間に招かれていたノインは、黙ってその報告を聞いていた。
内心では、それを果たしたのはナハトだろうという確信があった。
「転生者による利益教授は一時的なものに過ぎない、とバオアー様は常々話されておりました。それが、このような結末を予測していてのことかどうかは分かりませんが……」
「でも、その内そうなるって分かってたのは確かなのね」
先見の明っていうやつよね、と言いながらノインが立ち上がる。
「そういえば、私のツレが二人いるんだけど――不愛想な青い髪の男と、明るい赤色の髪をした悪人顔の女狩人、まだ来てないかしら」
「その表現はどうかと思うぞ」
「まったくだね」
開きっぱなしの扉から顔を出したのはナハト、そしてアーベントだった。
「あらら、二人とも一緒だったの?」
「ここに向かっている最中でばったり、ね。ナハトが見える状態でいてくれてよかったよ」
「余計なことを言うな、アーベント」
三人は軽口をたたきながら、それぞれに安心したような笑みを浮かべて互いを見た。
「それで、例の紫色の兄弟の足取りは掴めたのか?」
「いいや、全然だったよ。さすがにあちこち渡り歩いて悪さしてるだけのことはあるね。街の守備隊が痕跡を見つけられないのはまあいいとして、狩人として追跡術に長けたアタシですらなんの手がかりもなかったんだから」
そうか、と言ってナハトは腕を組んだ。
「フェアトラウエンに戻ったら、シュティレに詳細を伝えた方がいいな。放っておいていい連中ではなさそうだ」
「アタシはともかくとして――ノイン、大変だったね」
「ん、まぁ……でも、何も出来なかったのと同じだけどね。犠牲が増えないようにって自分で言っておいて、終わってみればきっちり大切な命が奪われてる。経緯はどうあれね」
「多くの市民は犠牲にならなかった。それでいいのではないか」
ナハトの言葉に、ノインは寂しそうに笑った。
「数の問題じゃないのよ、ナハト。領主のバオアーも、私達が名前を知らないただの農夫も、さっき生まれたばかりの赤ん坊も、百年生きた老人も、みな、大切な命だから。ゼロに出来ないとは思ってたし、多い数字にはせずに済んだかもしれないけど、だから『よし』とはならない。私にとってはね」
ノインはそう言って、執政のほうに向きなおった。
「私達に出来ることは、たぶん、もうないと思う。ただ、時間が経ったら、もう一度訪ねさせてもらうわ。バオアーと約束したから」
「時間はかかるかもしれませんが、ひとつになってより美しくなったツナイグングが、貴方をお待ちしていることと思います」
執政の二人は大きく頷いた。




