第42話 雨中の宿
「おつかれさん。どうだった、ノイン?」
寂れた宿の一室に戻ってきたノインを、アーベントがタオルで出迎えた。
外は土砂降りで、その中を走っていたノインの髪はぐっしょりと濡れてしまっている。
愛用のケープもぴったりと体に張り付いて、きしきし音の鳴る床に雫を貯めていた。
「街中がピリピリしてる理由は、分かった感じかな」
タオルを受け取り、夜空色の髪を拭き取りながら、ノインが言葉を紡ぐ。
「どうやら、転生者のクナイ=モントをこの街の領主にするっていう動きがあるみたい。まず、現領主のバオアーが王家の親戚らしいのね。それを気に入らない大富豪ルンペンが、裏で糸を引いているらしいわ。構図としては、現領主を慕う貧しくも健気な民、対、大富豪に群がる成金達、って感じかな」
「よく分からないんだが――」
窓際で雨の降る街路を眺めていたナハトが呟いた。
石畳が月明かりに濡れている。
「その、領主と金持ちの戦いに、なぜ転生者が祭り上げられるんだ?」
「それがね、その大富豪のルンペンってのがあくどい奴で、クナイ=モントの力が金になると分かってすぐに囲い込んだみたいなの。クナイ=モントの方でもそれにホイホイ従っていて、ここ一年くらいでそういう形が出来上がったみたいね」
ノインが塗装の禿げた椅子に腰かける。
椅子は、キィ、と鈍い音を立てた。
「さらに、きな臭い話もあったわよ。大富豪ルンペンは大規模な私兵団を囲っているんだけど、その団長を任せられているドルヒっていう男が、部下を西側に潜ませたっていう噂」
「西側には何がある?」
「この街は大きく東西で市民の層が違うんだって。東に居るのが金持ちで、西側にいるのが領主を慕う貧しい人々ってわけ」
それを聞いたアーベントが大きく頷く。
「道理で、急いで入ったこの宿がこんな感じなわけだ。アタシらは西口から入ったもんね」
「そういうこと。それで、この西側に兵隊を送り込んだってことは――脅迫のための人質にでもするんじゃないかしら? それにしても、アーベントの言ってた通り、酒場に入っていろいろ聞きこんでみたら、みんなベラベラとよくしゃべってくれたわ」
「そりゃそうさ。酒場に集まってる飲んだくれは、絶対に綺麗な女にのぼせ上がるからね。情報収集にはアンタが適任に決まってる。まして、アンタはどんなに酒を勧められても絶対に酔い潰れないっていう強みがあるからね」
「あらら、私はてっきり、アーベントが雨に濡れたくないから押し付けてきたのかと思っちゃった」
「それも否定はしないさ」
ノインの邪推を受け流したアーベントは、視線をナハトへ移した。
「この街に入るところまではスムーズそのもの、入ってすぐに全員が感じた異様な雰囲気の正体も分かった。さて、どうするんだい、大将?」
「俺が大将かどうかは別として――」
ナハトが窓縁に腰かけて、腕を組む。
「なすべきことは明確だ。この混乱に乗じて、俺が渡り鳥を狩る。ユスティーツで反乱を起こしたクロネ=ラントは、自室の前に護衛も立てていなかった。それは、あの男自身に絶対的な戦闘能力があったことの裏返しだった。だが、ここでは金持ちの私兵団とやらが、転生者クナイ=モントの身の安全を守っているのだろう? それは逆に言えば、私兵団に身を守ってもらわなければならないほど、転生者本人には戦う力がないことを意味している。さらに、暗殺によって街に混乱が起きてくれれば好都合だ。姿をくらませてフェアトラウエンに戻れるからな」
「街に混乱が起きれば、か……」
ノインはそう呟いて、視線を落とした。
「どうしたのさ?」
「それによって、たくさんの人が死んでしまうんじゃないかと思って」
「それは、俺達の関与すべき部分ではない」
「それはそうだけど――」
すげなく言ったナハトに、ノインが伏し目がちに言葉を紡ぐ。
「転生者は討たれるべき存在よ。でも、そのことに巻き込まれて罪のない命が失われるのは避けたいわ」
「それは、俺達の関与すべき部分ではない」
「そうだけど!」
語勢を強めたノインに、ナハトもアーベントも少なくない驚きを覚えて沈黙した。
夜空色の髪が雨を滴らせ、水滴が床に落ちる音がかすかに響く。
「――ねぇ、ナハト。ここにロイエがいたら、なんて言うと思う?」
「ロイエ様が?」
中空を睨んで、思考を巡らせる。
そして、ぽつりと呟くように言葉を紡いだ。
「……あの方は、民の安全や幸福を第一に考える。暴動が起き、戦う術を持たない人が犠牲になるような事態は、避けようとするだろう」
だが、と青髪の青年は続けた。
「ロイエ様は賢明な方だ。そのような事態を避けながらも、暗殺は速やかに実行できるような案を提案されるに違いない。だが、現実問題、ここにロイエ様はいない。知己もない。であれば、俺達の使命だけは確実に果たすべきだと思うが」
表情を変えないまま言い終えたナハトを、ノインはじっと見つめた。
アメジストの瞳は、何かに縋るような光を瞬かせている。
「ひとまず、さ」
アーベントが口を開いた。
「向こう一日、情報収集してみるってのはどうだい? 三人それぞれ動いてみて、何か別に分かることもあるかもしれないじゃないか」
「あまり姿を見せるのは得策とは言えないと思うが――……」
ナハトがノインを見る。
そして、小さくため息をついて続けた。
「それでいこう」
「――ありがと」
「礼を言われるようなことでもない」
宿の外では、雨が強く石畳を打っていた。




