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第36話 三々五々

 月明かりと燭台の灯りで、邸内は幻想的な空間を演出している。


「すまなかったね」

「いえ、お屋敷は広いですし、造りを覚えるまでは迷うのも仕方ありませんから」

「そうじゃなくて、昼間のことさ」


 ハッとして、シュティレは足を止め、深く頭を下げた。


「こちらこそ、遠路をお越しいただいたアーベント様にご挨拶もせず、失礼いたしました」

「ナハトのことだけど」


 顔を上げたシュティレの表情を見て、アーベントは納得して笑った。

 やっぱり、この子にとってナハトは思慕の対象に違いない。

 いかにも乙女な、複雑な顔色だ。


「ベンチの両脇に女が居たから、あらぬ誤解を招いちまったんじゃないかと思ってさ。あれは、ただアタシの買い食いに付き合ってもらっただけだからね」

「わ、私は別に、彼がどこで誰と何をしていようが――」

「気になって夜も眠れない、って顔に書いてるよ。これでもそれなりに経験してるんだ、アタシもね」


 暗がりに顔を赤くして、シュティレが歩を進める。

 アーベントは小柄なシュティレの歩幅に合わせてゆっくり、それに続いた。


「シュルホト峡谷で、ナハトがどんな活躍したか、聞きたくないかい?」

「……――聞きたいです」

「アハハ! 素直で可愛いじゃないか、シュティレ。アタシのこともアーベントでいいから、女同士、仲良くしようじゃないのさ」


 燭台の灯りを揺らめかせながら、二人は邸内を進んで行った。


「随分秘密が多いんだね、君は」


 モルゲンがグラスを煽って、もう何度目かになる言葉をノインに伝えた。


「年齢、出身地、家族、美貌の秘訣、転生者との遺恨――女性には秘密が多いものだが、ここまで謎が多いとは、もはや神秘だね」

「あらら、それは褒め言葉と受け取っておこうかな」


 ノインはノインでそれをあしらいながら、ボトルを空にした。

 ナハトが見た範囲でも、彼女はワインを7本空けている。

 それに付き合っているモルゲンの方は、だいぶろれつが怪しくなってきた。


「日中見かけたときはよく見なかったが、あらためて見ると、まるでこの世のものは思えない美貌だよ。僕は王都で生まれ育ったが、芸術の国と名高いクランクハイトにも何度か足を運んだ。そこで絶世の美女と讃えられる女性も見た。しかしね、ノイン。君の方が圧倒的に美しいよ」

「目が座って言うことでもないと思うけど」


 ノインがロイエを見ると、当主は微笑みながらこくりと頷いた。

 そして、近くにいた女中をふたり呼びつけた。


「モルゲン様、あちらにお水をご用意してございます」

「ん? ――ああ、なるほど、一度口の中を洗った方がいいということだね。確かに、せっかくの料理の味が分からないのはもったいない……」


 脇を抱えられて、銀髪の剣士は屋敷の中へ入って行った。


「わざわざ屋敷の中で水を飲むの?」


 また新しいボトルに手をつけながら、ノインがナハトに尋ねた。


「酔客には水を勧め、そのまま客室へと案内するのが慣例だ。宴席で醜態を晒させるわけにはいかないからな。特に、彼のように身分が高い貴族ともなると、醜聞はすぐに広まる」

「へぇ……貴族社会も大変ね。投げ出したくならないの、ロイエ?」

「なりませんよ」


 ロイエが微笑む。


「責任があるからこそ名誉があります。そして名誉は財となり、財は力に成る。その力がなければ、人を救うことは出来ません」

「たいしたものね。貴女が慕われるのも納得だわ」

「先代も高尚かつ高潔な方だったが、ロイエ様は歴代の当主の中でも指折りだと誰もが語る」


 レーラーが静かに言った。


「私は元々渡り鳥ツークフォーゲルの存在に対しては、それほど深く考えてはいなかった。彼らによってもたらされた武術も少なくない。徒手空拳の考え方などは、その多くが異世界からもたらされたものだ」

「カラテやジュドーなどがそうでしたか」


 ナハトの言葉にレーラーが頷く。


「だが、ロイエ様が世界各地の社会問題や環境破壊について調査を進め、情報を精査し、先代に意見具申した際に、私は大いに同意した。感情や感覚ではなく、確固たる根拠を示された以上、やはり転生者は歓迎すべき存在ではないと悟った。そのようなことを、齢15ほどで成し遂げられたのだから、稀代の才媛と後世に語られるのは間違いない」

「レーラー、その辺にしてください。そこまで饒舌になるとは、貴方も少し飲みすぎたのではないですか」

「む――確かに、ノインの勢いに呑まれて少々進んでしまったようだ。ナハト、任せていいか」

「御意」


 それでもしっかりした足取りで立ち去るレーラーを見送ると、ロイエがナハトを見て微笑んだ。


「彼があそこまで飲むのは初めて見ました。貴方が無事に戻ってきたことが嬉しいのか、護衛の任を任せてもよいと信頼しきっているのか、あるいはその両方か。なんにせよ、やはりただの小間使いという肩書にしておくわけにはいかなさそうですね」

「俺はなんでも構いません。ただひたすら、この身に受けた恩を返すだけです」


 そう言いながら、ナハトは果実の香りが移った水を飲んだ。

 参列した者の中で、唯一ナハトだけは一滴の酒も飲まずに終わらせていた。

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