第2話 暗殺命令
「陛下が身罷られました」
月光の射すバルコニーで、ロアリテート家の令嬢ロイエは静かに言った。
亜麻色のロングヘアは夜風に靡き、黄金色の瞳は遥か北の空に向けられている。
その後ろには、水平線色の髪と瞳をした、ナハトという名の青年が跪いている。
グーテ王国における交易の要衝、フェアトラウエンの街はひっそりと静まり返っていた。
「そして、お父様も」
ロイエの声が僅かに震える。
実父が他界した事実こそが、彼女の心を打ちのめしている――にも関わらず、父が、そして自分が忠誠を誓った主君の逝去を先に口にした。臣下とはそうあるべきだからだ。
いついかなる時でも、感情に流されず、大局を見据える視野をもつ――ロイエが当代一の才媛だと謳われる所以のひとつだった。
ナハトは静かに傅いたまま、一段低く首を垂れた。
「既に聞き及んでいると思いますが、北の都ユスティーツで謀反の乱が起きました。陛下もお父様も、その惨禍の中で命を奪われました。逆賊は、あのクロネ=ラントです」
その名を口にすると、ロイエの声はまたかすかに震えた。怒りによるものか、悲しみによるものか、あるいはその両方によるものか。ナハトには判じかねた。
「転生者――ここではない別の世界から来訪した者達。彼らのもつ知識や技術、そして『運命の女神』なる存在から授かったという超常の力は礼賛され、人々は彼らを渡り鳥と呼んで永く歓迎してきました。各国の王、あるいは重鎮は、彼らを重用しました。確かに、衣食住、魔獣への対抗策など、彼らがもたらした恩恵が大きかったのは事実です。ですが――……」
ロイエが唇を噛む。
「ですが、大きな力を持つ個人に恃むことは危険を孕む。政からは距離を離すべきだと、わたくしは何度も提言してきました。それなのに――いえ、過ぎたことを話しても詮無き事ですね。重要なのは、彼ら転生者が一国を滅ぼす力を持つのが証明されたこと。最早、一刻の猶予もなりません。家を、街を、国を、そして世界を、彼らの手から守らねばなりません。いわば、この世界を守る番犬――番犬が必要なのです。分かってくれますね」
ナハトは静かに深く頷いた。
ロアリテートの名は、グーテ王国内でも有数の忠臣として広く知られている。武芸百般だった当主――今は先代となってしまった――は、妙齢になってなお、ここ交易都市フェアトラウエンを離れ、指導者として都に出向していた。
また、優れた人格者でもあった彼は、魔獣の被害に遭った領内の村々をよく助け、自らの財を投げうって民の生活を守った。
ナハトの生まれ育った村が魔獣の襲撃に遭い、唯一の生き残りとして保護されると、当たり前のことのように屋敷に迎え入れてくれた。
命を救われただけでなく、小間使いとして雇い入れ、さらに自分の力と才能を花開かせてくれた主君の言葉に、頷き以外の返事をしたことは一度もない。それは、当主の座にある者が代わった今でも変わりのないことだ。
「貴方の『力』については、父に聞いています。どうか、わたくしの期待に応えて――いえ、違いますね。そんな綺麗事ではない」
首を振って、ロイエは苦笑を浮かべた。
そして振り返り、まだ濡れた瞳でナハトを見つめ、口を開いた。
「ナハト。私の復讐に、貴方の力を貸してください」
「御意」
ナハトは、これまでに何度も口にしてきた言葉を、もう一度口にした。
先代に命じられ、この言葉を口にしたのと同じ数の命を、ナハトは闇に葬ってきた。
王家の命を狙った組織の長、度重なる不敬を喧伝した老害、街の治安を著しく乱した扇動者。
だが、今回ばかりは勝手が違う。
相手は転生者。
人間離れした力を手にした、人の姿をした化け物。
果たして使命を果たせるだろうかというナハトの危惧は、望まない形で現実となってしまった。
……
「原住民風情が俺を暗殺しようとは、大それたことを考えたもんだ」
冷たい石造りの部屋に、暖炉が煌々と燃えている。
大きな寝台には、数人の女が艶めかしい姿のまま肩を震わせている。
そんな、雪原に聳える古く厳めしい城の一角で、二人の男が対峙していた。
一人は肩程まで伸びた黒髪に光の無い黒い瞳を持ち、その顔には禍々しい笑みを浮かべている。首に、指に、額に宝石を煌めかせ、しかし上半身は肌も露わにしたままだ。唯一身につけた衣類は、腰に巻いたタオルのみ。
対するナハトは、闇夜そのものを纏ったかのような出で立ちだった。唯一露出している瞳は、夜の海のように青白く煌めいている。
「その剣で、俺を殺すつもりだったのか? 転生者である、この俺を? 笑わせるぜ」
宝石にまみれた男が嘲笑した。
「大方、この城の元の持ち主――なんとかいう王様の敵討ちに来たんだろうが、そりゃ無理ゲーってもんだぜ。魔法を使うこと自体が特別なこの世界で、チート持ちの俺達転生者に敵うわけがねぇ。もっとも――」
男が手をかざした。
夜の衣を纏う相手を見ているわけではない。
その中空にある、他の者には見えない何かを見ていた。
「『解析』で見たところ、『隠形術』とやらを持っているのか。姿、音、気配を消すことができる、ねぇ……たしか、この世界では死にかけた奴だけが、その危機を脱するための魔法を会得出来ることがあるんだっけか。そういう意味では、お前は一応選ばれしエリートアサシンってわけだ」
ナハトは白刃を握り直したものの、どう踏み込んでよいものか攻めあぐねた。
その様子を嘲笑しながら、男――黒根 蘭斗は言葉を次いだ。
「だが、なんにせよシケてるぜ。その、たったひとつのチンケな魔法を使うにも、会得した危機的状況と同じような状態をつくらなきゃならないらしいじゃねぇか。それに比べて、俺のジョブ『賢者』は完璧だぜ? どんな魔法も使い放題だ。部屋の侵入者に反応する『警報』も、テメェのケチ臭い魔法を見破る『看破』も、鼠を殺すのにはもったいない威力の『爆発』も――なあっ!」
蘭斗が手を払うように振ると、局所的な爆発が起きた。
轟音とともに周囲の石壁が崩れ、女達の短い悲鳴が重なる。
「……?」
焦げ付く臭いがしない。
これまでに何度も嗅いだ、人が焼ける臭いが漂わない。
「ふん……やるじゃないか」
煙と埃が落ち着くと、瓦礫だけが残っていた。