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狼はそこにいる 蛇精の少女  作者: ひなたひより
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第9話 隠れ里の狼

 佳奈恵を降ろした後、俺は再び車を発進させて、混乱した頭の中を整理していた。

 この五日間で知里利夫と巡ったホヤウカムイの伝承に由来する場所は四ケ所。

 ご神体の祀られてある移築された神社以外は、これといって何もない場所ばかりだった。

 本堂に祀られていた大層なご神体は、蛇神様の脱皮した皮だと説明されたが、ボロボロに風化した得体の知れない物からは、何も得るものなど無かった。

 ホヤウカムイと蛇精の巫女。

 旅館の娘から聞かされたそれは、あの物知りな髭面のガイドから聞かされなかった興味深い伝承だった。


 大昔、村に大きな蜘蛛が住み着いた。

 蜘蛛は人間だろうが家畜だろうが、見境なく襲い、喰らい、暴虐を尽くして村を恐怖に陥れた。

 たまりかねた村人たちは、とうとう蜘蛛に屈服し、生娘を生贄に捧げたそうだ。

 娘を生贄にされた父親は、土地の古代神である蛇神様の祠に娘を助けてくれるよう懇願した。

 蛇神は父親の懇願を聞き入れて、蜘蛛を毒の霧で包んで退散させた。

 助けられた生贄の娘は蜘蛛の呪いをかけられていたため、蛇神は自らの神通力を娘に分け与え、呪いから解放したという。

 その後、蛇神の力を宿した娘は、蛇精の巫女となり、様々な恩恵を村人に与えたのだそうだ。



 少し日が陰り始めた午後。

 俺は腔内に苦いものを感じながら、車一台がやっと通れるくらいの林道に、レンタカーのハンドルを切った。

 目的地といったものでは無いが、俺には当てがあった。

 俺の運転する車は土煙を上げて、一歩間違えば崖に転落していきそうな悪路をぐんぐん進んでいく。

 狼人間の超感覚が覚醒し始めている俺にとっては、この程度の荒れた山道はどうということも無い。車がもってくれるかだけの問題だった。

 ファミリー向けの小型車は、泥と土埃にまみれながら目的地へと到着した。

 俺は予想通り現れた集落の入り口に車を停めると、手ぶらで村の内部に入って行った。

 いわゆる隠れ里という集落だ。

 山間にいきなり現れた集落の中を、俺は感覚を研ぎ澄ませた状態で進んでいった。

 日中でもあまり日の当たらない深い森の中。

 こんな不便な場所に人が住んでいるのだとしたら、何らかの意図があると想像できる。

 例えば神域を守護するためであるとか……。

 俺の嗅覚が風上からのそよ風に反応した。

 成る程。そう言うことか。

 深い森の奥から、ゆらりと音も無く現れたのは、一頭のヒグマだった。

 俺は羽織っていたマウンテンパーカーを脱いだ。


「あと三日ほど待って欲しかったんだが、仕方あるまい」


 俺はパーカーを、ハンガー代わりの木の枝に引っ掛けて、ヒグマと対峙した。

 身の丈、二メートル五十センチといったところだろう。

 腕の一振りで、大概の人間はあの世行きだ。あいにく俺はそんな簡単には仕留められないが。

 すぐに襲ってきそうな巨大なヒグマは、ひょろりとした俺の体躯を前に、明らかに戸惑いを見せていた。

 体重差が数倍もある相手に、自信満々で余裕を見せている人間を前にして、余計に警戒しているのか、それとも、俺の中に野生動物の存在を嗅ぎ取ったからかは分からない。


「ごおおおおおお!」


 腹の底に響くような雄たけびを上げて、ヒグマは突進してきた。

 時速50キロで走るといわれるヒグマは、あっという間に俺の間合いに入ってきて、凶暴な爪を一閃させた。

 だがヒグマの走らせた爪の軌道に、俺の姿はもう無かった。

 熊にしてみれば、何が起こったのか、まるで分らなかっただろう。

 俺は跳躍して、手近な木の幹に跳びついたあと、そのまま勢いを殺さず幹を蹴って跳躍し、クマの頭部に痛烈な蹴りを入れていた。

 熊の巨体がぐらりと揺れた。ボクサーに殴られた人間と同じで、今の衝撃で脳が揺さぶられたのだ。

 一時的な脳震盪で、平衡感覚を失っているのが見て取れた。


 どおん。


 ヒグマの巨体は、呆気なく雑草の生えた砂利道に沈んだ。

 しばらくは立ちあがって来れないだろう。

 俺は、だらりと舌を出して伸びている熊の様子を一瞥して、後ろを振り返った。


「その物騒なものはしまった方がいい。あんたのために言ってるんだぜ」


 背後で俺に猟銃の銃口を向けていたのは、あの髭面のガイド、知里利夫だった。



 四月に入っても日高山脈の中腹に位置するこの集落は、息が白くなるほどに冷え込んだままだった。

 もともと陽射しの少ない四方を森に囲まれた集落は日没が早い。

 暗くなり始める前に普通の人なら山を下りるだろうが、俺はいまだに隠れ里の中だった。

 俺は囲炉裏を挟んで、相変わらず人懐こい笑みを浮かべた、顔の殆どが髭の男と酒を飲んでいた。

 いちいち勘繰りはしないが、恐らくこの酒は、男が勝手に仕込んで造ったものだろう。陶器の椀になみなみと注がれた白濁した酒は、いわゆる濁酒どぶろくといったもので、上品な酒ではないが、アルコールの濃度だけは高そうだった。

 俺はすでに酒に酔える時期を過ぎてしまっていたが、それでもグッとあおった時に、少しは喉に熱さを感じていた。

 囲炉裏にはぐつぐつと味噌の匂いのする鍋が焚かれてある。

 椀によそってくれたくれた汁の中には、野菜に混ざってぶつ切りにされた肉が沢山入っていた。


「鹿の肉だよ」


 そう言われる前に、俺は気付いていた。もう少し脂肪分が欲しい所だが、これはこれで美味かった。

 熊に襲われている俺を見殺しにしようとし、さらに猟銃で撃ち殺そうと狙っていた男とこうして酒を飲んでいる。

 しかも大事な客を扱うかのように、この男なりのもてなし方をしてくれている。

 正気の人間同士ならこうはならないだろう。

 つまり、俺もそうだが、この髭面の男も、まともな人間では無かったということだ。

 かなり飲んだに違いない。鍋の具材が半分くらいになり、酒瓶が一本空いた時に、囲炉裏の火に顔を紅く染めた男がやっと口を開いた。


「大上さん。あんた何者なんだ」


 当然の質問だった。しかしそれを聞きたいのは俺の方だった。


「あんたこそ何者なんだ。順序を考えたら、先に仕掛けてきたあんたから素性を話すのが筋じゃないかね」

「そうだな。あんたの言うとおりだ」


 利夫は酒の入った椀を床に置いて、胡坐をかいたまま俺に頭を下げた。


「すまなかった。このとおりです」

「やけにあっさりしてるな。まあ、あんたは最初からそんな感じだったけど」

「これで気が済みましたか?」

「いいや、まだだ。貴重な時間を潰されて、おまけにずいぶん酒を奢らされたからな。洗いざらいしゃべってもらう」

「分かりましたよ。でも大上さん、なんで俺の仕掛けにお気付きになったんですか? それを聞かせて下さいよ」


 赤ら顔で不可解な顔をしている髭男に、俺は種明かしをしてやることにした。


「いくら調べても、蛇神の里に関する有力な情報が得られなかったことについては、もともと信憑性のない話でもあるし、仕方ないと思ってたんだ。ガイドのあんたに、そこまで求めるこちらの方が悪いんだって俺は納得していたのさ」

「なのにどうして?」

「佳奈恵ちゃんさ。今日少しデートしてね」

「えっ! あんた何してくれてるんだ」

「まあ落ち着けよ。どうしても案内したいって言うからアイスクリーム屋に寄っただけだよ。まあ確かに美味かったけどね」

「たぶらかしてはいないでしょうね」

「ナイナイ。俺がそんな下品な野郎に見えるか?」


 髭男は険しい顔で俺の顔を凝視している。どうやらこの男にはそう見えるらしい。


「信用しろよ。俺は大人しい、品行方正な狼だからさ」

「今あんた、自分で狼って言ったよな」

「いや、そっちの狼じゃなくって、もう、面倒くさいな……」


 狼と表現すると、なんでこうも助平と捉えられるのだろう。本物の狼はもっとキリリとした存在として認知されるべきだ。


「まあ、彼女が話してくれたんだよ。ホヤウカムイと蛇精の巫女の伝承をさ」

「佳奈恵があの伝承の話を……」

「ああ。それであんたが何故その伝承を俺に話さなかったのかを考えたんだ。つまりその伝承にはいくつか都合の悪い真実が含まれている。そう俺は考えたのさ」

「……」

「そして、その都合の悪い真実を洗い出すために、今まであんたが俺に見せた都合のいい虚偽と照らし合わせたのさ。そしたら浮かび上がってきたんだよ。ホヤウカムイの祠の場所が」

「そうか、俺の行動で特定できたのか」

「そう、あんたは俺を当たり障りのない場所に連れて行った。そして彼女から聞いた祠が存在するとしたら、あんたが誘導していた場所以外を探せばいいだけだった」

「それだけでここが分かったんですかい?」

「それと、車だよ。あんたの軽バンはいつも洗車したてみたいに綺麗だった。俺は流石ガイドのプロだけはあるって感心してたんだけど、あんたはあの悪路の林道を通って旅館まで来ているのを隠すために、幹線道路の洗車場まで行って洗車してから俺を迎えに来ていたんだ」

「お見通しってわけですか」

「ああ、今考えたら、外見はピカピカなのに車の中はそれほど綺麗でもなかった。あんたはそれほど几帳面な人じゃないってことを、もっと早く疑うべきだった」


 推測していたことが的を射ていたのは、男の顔色を見ていて分かった。

 男は床に置いた椀を手に取ってグッとあおった。

 俺も手元にあった椀をグッと飲み干した。


「余程の長い悪路だと見当をつけて、まだ行っていないこの道だと絞り込んだ。あんまりひどい道だったんで、この先に祠があると確信したよ」

「裏をかかれたってことですな」

「裏をかこうとしたのは、利夫さん、あんただったよね。さあ、今度は祠の場所とあんたのことを話してもらおうか」


 利夫は酒の十分入った熱い息をフーと吐いた後、ごしごしと両手で顔をこすった。


「まいったな。でも、俺のことで話すことはありませんよ。俺はただ里を荒らされたくなかったから、ここに案内しなかっただけですよ」

「いい加減、腹を割って話してくれよ。利夫さん」


 パチパチと薪の燃える音が聴こえる中で、俺は利夫の正体を言ってやった。


「あんたは古代神を崇める狂信的な信者なんだろ。ホヤウカムイに忠誠を誓う守護者といったところかい」


 俺の言葉に息を呑んだみたいだ。その顔を見て、俺は少しは気が晴れた。

 動揺を隠したつもりだろうが、利夫の声は僅かに震えていた。


「な、何を言い出すんですか」

「とぼけるなよ」


 あくまでシラを切り通そうとする髭面の言葉を、俺は冷静な口調で遮った。


「あんたは俺と同じで、蛇は苦手だと言っていたね。村で蛇を見かけた時、あんたはあの場にへたりこんでいた。俺はそれを見て、腰でも抜けたのかと思ったが、実はあんたは神聖な蛇を前に、跪いていたんじゃないかい?」


 利夫はその言葉に沈黙した。核心を突かれてしまい、言い返す言葉が出なかったのだろう。

 黙りこんだ男を前に、俺はもう一杯濁酒を椀に注いだ。

 やがて利夫は目を伏せたまま、沈んだ様な声色でこう言った。


「大上さん。俺はあんたが気に入ってたんだよ。こんな出会いじゃなきゃあ、いい友達になれたかも知れない。残念だよ。本当に残念だ」


 本心からそう絞り出したように俺には聞こえた。

 そして俺の背にしていた木製の引き戸が、軋んだ音を立てて、かなり強い力で開かれた。

 俺はゆっくりと振り返って、そこにいた四人の男たちを見た。

 男たちの手には猟銃が握りしめられていて、その昏い銃口は俺に向けられていた。

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