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狼はそこにいる 蛇精の少女  作者: ひなたひより
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第8話 少女と狼男

 捜索を開始してから四日が経った。

 あの髭面のガイドに案内してもらい、毎日蛇神に所縁のある地を訪ね歩いたにも拘らず、今のところ何の手掛かりも見つかっていなかった。

 そろそろ一か所の拠点から捜索するのは限界なのかも知れない。そう考えた俺は、五日目の朝、一度清算を済ませ宿を出ることにした。

 月齢は七日に達した。丁度半月に差し掛かった頃合いで、俺の超感覚は目覚ましい進化を見せ始める。

 今日は少し南下して、郷土資料館で仕入れた集落跡地を当たってみるか。

 女将に見送られて、俺が旅館を出たあと、駐車場の車の陰からひょっこりと、あの旅館の娘が顔を出した。

 鋭敏になり始めた俺の嗅覚は、隠れていた少女を先に捉えていたので、驚きはしなかった。


「どうしたの? こんなところで」

「へへへへ」


 ちょっとはにかみながら、佳奈恵はサササと駆け寄って来て、俺の旅行鞄を手に取った。


「お見送りです。大上さんがもう出るって聞いたんで」

「そうかい、気を遣わせちゃったね。ところで佳奈恵ちゃん、今日は私服なんだね」


 薄手のベージュのニットに、前開きのスモーキーブルーのパーカー、グレーのストレッチパンツを着こなした佳奈恵は、高校生らしい快活さに溢れていた。

 俺もベージュのマウンテンパーカーを羽織っていたが、着こなしでは大差をつけられての完敗だった。


「日曜日ですよ。今日はオフです」

「そうか、何曜日なのか全く知らなかった」


 月齢のことは頭にあるものの、あらためて曜日に関しては無頓着だった。

 鍵を開けたハッチバックの荷室に、佳奈恵は鞄を積み込んでくれた。


「これからどちらに行かれるんですか?」

「そうだね、ちょっと南に向かおうかなって」

「良かったら、私が近くを案内しましょうか? これでもこの辺りの観光スポットはみんな頭に入ってるんですよ」


 愛想のいい看板娘は、ややはにかみながら意外な申し出をしてきた。

 考えるまでも無く、俺はその申し出に手を振って応えた。


「いや、君の貴重な休みを無駄にさせられないよ。それに、こんなおじさんといても退屈なだけだ。ありがたいけど、気持ちだけもらっとくね」


 じゃあねと、俺が運転席に乗り込もうとすると、佳奈恵は早口に熱弁し始めた。


「えっと、すっごい美味しいソフトクリーム屋さんがあるんです。そこ、ホンットに美味しいんですよ。それと、そう、ヨーグルトも濃厚ですごいんです。ここでしか食べれない激ヤバスイーツですよ。絶対に行っといたほうがいいと思いますよ」

 

 あの髭のガイドが言っていたとおり、この娘はどこかしら俺に、父親の姿を重ねているのかも知れない。

 なんとなく断り辛いな。やはり俺はお人よしのお調子者みたいだ。


「近いのかい?」

「はい。自転車で十五分です」

「君を乗せたら、なんだか誘拐みたいにならないかな」

「大丈夫ですよ。大上さんなら安心です」

「まあ、それは間違いないんだけどね」


 俺はなんとなく釈然としないながらも、佳奈恵を乗せて激ヤバスイーツを食べに向かったのだった。



 たしかに佳奈恵の言った通り、ソフトクリームは口当たりが良くコクがあり、ヨーグルトは脂肪分が多い濃厚な舌触りで、その辺のスーパーやコンビニでは味わえない逸品だった。

 素直に美味しいと評価した俺に、向かい合って座る佳奈恵は上機嫌になっているようだった。


「大上さんって、何のお仕事をされているんですか?」

「文房具を扱う会社に勤めてるんだ。あんまし有名な会社じゃないけどね。ボールペンとか、消しゴムとか色々扱ってるよ」

「へえ、私の筆箱にもしかしたら入ってるかも」


 和服姿でアルバイトをしている時には出来ない会話を、佳奈恵は楽し気に話す。そんな少女の姿に、人とのしがらみを嫌っている筈の俺が、何かしらの安らぎを覚えていた。


「そうだ。この間の鈴のお礼に、これを……」


 俺は設立二十周年記念にもらった会社のボールペンを、佳奈恵に手渡した。


「お得意さんにあげてるやつで、いつも何本か持ち歩いてるんだ。君の筆箱の末席に入れてやっておくれよ」

「いいんですか? やった。勿論レギュラーで使わせてもらいます」

「それは嬉しいね。それで学校はどうだい? 楽しいかい?」

「はい。楽しいですよ。私の学年は一クラスしかなくって、二十五人しかいませんけど」

「そっか。えっと今何年生だっけ」

「二年生です。再来年はここを出て、札幌の大学に進むつもりです」


 もっと気の利いた会話をしてやりたかったが、あいにく俺はJKの気に入りそうな話題など持ち合わせてはいない。

 進路指導の教師になってしまう前に、そろそろ席を立とうとした。


「ごめん電話だ」


 胸ポケットの携帯が振動したので、俺は佳奈恵に手を合わせた後、携帯を確認した。

 そこには会社の番号が表示されていた。


「会社からだ。ちょっといったん外に出て話してくる。ごめんね」


 店の外に出て電話に出ると、予想していた課長の声ではなく、聡子の声が聴こえてきた。


「係長、お疲れ様です」

「ああ、三島君。お疲れ様」


 聡子とはあの一件以来話が出来ていない。いきなり押し掛けてきた元妻にいい雰囲気を荒らされて、そのうえ有無を言わさず帰らされたのだ。怒っていないわけがない。

 この前のことを謝ろうにも、彼女が今掛けているのは会社の電話だ。あまりプライベートな話を今するべきではないだろう。

 俺が聡子に架空の現状報告をすると、聡子からは、俺がここへ来る前に取り掛かっていた引き継ぎ仕事を、無事終えたと報告を受けた。

 流石我が課の優秀な女子社員だけはある。

 ひょっとすると俺よりも仕事が早いのではなかろうか。

 報告を聞き終えて、俺は聡子にひと言謝っておいた。


「会社の電話だし、返事はしなくていいから、そのまま聞いて欲しい。その、この間のこと、ごめんね。君を傷つけるつもりは無かったんだ」

「そのことはもういいんです。あの、帰ってきたらその……いえ、気をつけて帰って来て下さい」

「ああ。ありがとう。なるべく早く片を付けて戻るから」


 その時、俺の背後から明るい佳奈恵の声が聴こえてきた。


「大上さーん、私、車で待ってますから」


 電話ごしであるのにも拘わらず、聡子の雰囲気が変化したのを俺は察した。これも狼人間の超感覚の成せる技なのだろうか。


「えっと、三島君。これはその……」

「お取込み中のところを邪魔してすみませんでした!」


 怒りを孕んだ声のあと、ガシャンと音がして電話は切れた。


「まただ……」


 何をやっても裏目に出る。マリが現れてからろくなことがない。

 月齢の上昇期の狼男にしては珍しく、俺の心の中は陰陰滅滅としていた。

 帰りの車の中で、さっきまで明るく学校の話をしていた佳奈恵が、初めて寂しさを覗かせた。


「もうお別れですね」

「ああ。君と利夫さんにはずいぶんとお世話になったよ」

「私は何も。利夫さんも大上さんと別れるのは寂しいでしょうね」

「利夫さんはどうかしらないけど、俺はちょっと寂しいかな。変なところで意気投合したって言うか」

「そうですよね。毎日二人でお風呂に浸かって、それから飲んでましたもんね」


 良くも悪くも、あの髭男とは長い時間を一緒に過ごした。おかげで一人旅の寂しさを全く感じることなく、この数日過ごすことが出来た。

 煩わしいことを自ら歓迎していた自分に、戸惑いを覚えてしまうくらい、あの男とは気があったと感じていた。

 アイヌ民族と狼というのは、ひょっとすると相性がいいのかも知れない。

 楽観的な解釈をした俺に、助手席の少女は今回の旅の感想を聞いて来た。


「利夫さんと変な所を色々周ってたみたいですけど、何か収穫はありましたか?」

「それが全然。利夫さんには悪いけど、まあ空振りだったって言うか」

「そうでしたか。何でも古い伝承を調べるのが趣味って言ってましたよね。この辺りの伝承って、蛇神様のこととか?」

「まあ、そうなんだ。ちょっと神秘的な言い伝えが残っているよね」

「ええ、ホヤウカムイと蛇精の巫女の伝承ですよね」


 俺はそのひと言を聞いたあと、ブレーキを踏んだ。

 車を急停止させた俺を、助手席の佳奈恵はびっくりした顔で見ていた。


「急にどうしたんですか?」

「佳奈恵ちゃん。今言った蛇精の巫女の話、詳しく聞かせてくれないか」


 この五日間の間、ずっとホヤウカムイの伝承を追いかけてきたのにも拘らず、蛇精の巫女の話は一切聞かなかった。

 月齢七日の狼男は、ようやくわずかな匂いを嗅ぎつけたのだった。

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