第7話 末裔の村
十六夜マリから電話があったのは、深夜零時過ぎだった。
どうもこの女は、夜型に偏っているらしい。
「もしもし」
「どう、進展はあった?」
「まだこっちへ来てそんなに日が経って無いだろ。それに今の俺は大したことが出来るわけじゃない。分かるだろ」
「自分の不甲斐なさを、神聖なる守護星のせいにするのね。みっともないわよ」
「勝手に言ってろよ。大した情報もなしに奮闘しているこっちの身にもなれっての」
何か進展があればこちらから連絡すると、減らず口を叩くマリの電話を早々に切り上げて、俺は真っ暗な客室の窓から見える、心細いまでの三日月に目を向けた。
日が変わってようやく月齢五日。俺の体内の月齢時計は、正確に月の満ち欠けを把握していた。今の俺は上昇期ではあるものの、野生動物のような感覚とまでは、とてもいかない状態だった。
明日足を伸ばす予定の、蛇神の末裔がいたとされる集落跡地を、俺はスマホの地図で確認する。
ホヤウカムイの伝承を追うために頼んだ髭面のガイドは、俺の奇妙な注文を特に詮索もせずに引き受けてくれていた。
アイヌ観光ガイド、知里利夫の案内で、俺はこの二日間、あてどのない捜索を粛々と行なっていた。
初日は神殿跡とそれらしき沼へ案内され、ヒグマに出くわした。
翌日は、取り立てて何も得るものは無かったが、ホヤウカムイがいたとされるウエンテシカン川の周囲を巡った。
沼に住んでいたといった伝承と、こういった川に住んでいたという伝承がホヤウカムイにはあった。
入り組んだ川の流れが、蛇神の姿を連想させたのではないかという、なんとも頼りない伝承の足跡は見事にハズレだった。
結局、ただクマ避けの鈴を鳴らしながら、ガイドと一緒に川沿いを散策しただけの一日だった。
少しは調子が戻って来た俺のペースに、利夫は大汗をかきながらただ感心していた。帰ってからご馳走してやったビールは、さぞかし美味かったに違いない。
マリに尻を叩かれずとも、俺は現状に焦りを覚えながら、明日に期待をかけつつ眠りについた。
パラついていた雨は朝には上がっていた。
利夫とはまた午後から旅館で落ち合う予定だ。
昨晩分かれた時、利夫は流石に連日の散策で疲労がきているようだった。見掛けは俺より数倍頑丈そうだが、所詮は人間の体力だ。狼と行動を共にするのは、いささか骨が折れるに違いない。
ガイド料の他に、酒をご馳走するくらいはしておかないと気の毒だ。
きっと疲れて寝ているであろう髭面を思い浮かべながら、俺は朝食を終えてすぐに、出掛ける準備をしだした。
伝承を追うのと同時進行で、俺は白川龍平の足跡を探っていた。
しらみつぶしに近辺の旅館に電話を掛け、その名前の客が宿泊していないかを確認しておいた。
そして恐らく、同じ男を捜索している筈の眷属の手下どもの動きにも、俺は網を張っていた。
絶滅危惧種並みに数を減らしている貴族面の眷属たちは、ある種の人間たちを忠実な下僕として上手く使っていた。
現在眷属どもが王座にいられるのは、皮肉にも、獣人を神の使いと信仰する、そういった狂信的な人間たちの力によるものが大きい。
「月の民」と呼ばれる、その狂信者の組織は世界中に点在し、眷属の命令があれば非合法なことも平然とやってのけていた。
混血の俺とは違い、夜の世界でしか力を発揮できない眷属は、汚れた仕事を「月の民」に日常的にさせていたのだ。
俺は単純に、白川龍平のことや、蛇神のことを聞いて回っている者達がいないか、組織の者が立ち寄りそうな場所で聞き込みを行った。
まずは宿泊施設から始め、郷土資料館や、蛇神に所縁のある神社、村に幾つかしかない食事のできる場所など、足を使って調べ回った結果、組織の者で間違いなかろう何人かの足どりを掴む事が出来た。
ただ、調印書があるおかげで、直接締め上げて情報を聞き出すことは出来ない。こちらから宣戦布告すればどうなるか、馬鹿でも分かることだった。
不思議なことに、組織の連中の足どりは、いずれも数日のうちにぷっつりと、途絶えていた。
山中に分け入った痕跡はあったものの、そこから先は完全に消息を絶っていた。
手掛かりが掴めず、諦めて帰ったというのだろうか。命令さえすれば、人殺しもやってのける連中が、そんなに簡単に引き下がるとは考えにくい。
さらに言えば、怪物を追っている人間たちは、当然その道のプロで武装している筈だ。
そのような精鋭が失踪したとなると、考えられるのは一つだけだろう。
怪物に遭遇し、始末された。そう考えるのが妥当だ。
未だ姿どころか足跡すら見つかっていない白川龍平が、この山間部のどこかにいて、足を踏み入れた者たちを喰らっている。
果たして今、俺があいつに遭遇したとして、勝ち目はあるのだろうか。
出来れば話をするだけで終わらせたい。
俺は心の底から、見たことの無い白川龍平が、話の分かる奴であることを願っていた。
眠たげな顔を肉厚の掌でゴシゴシこすりながら、利夫が旅館に現れたのは、午後一時きっかりだった。
ややお疲れ気味のなのだろうが、相変わらず愛想のいい笑顔を見せて俺を車に乗せると、今日の目的地に向けて軽バンを発進させた。
「眠たそうですね」
「ええ、昨日のあれで、くたびれてましてね」
あれというのは山中を歩き回ったのと、遅くまで飲んだのを指しているのだろう。
「大上さんはケロッとしてなさるね。普段から鍛えておられるとか?」
「ええ、まあ、そんなところです」
三十分ほど行ったところで、車は砂利道に入った。
今日案内してくれるのは、蛇神の末裔がいたといわれる集落の跡地。
あまり整備されていない道には、まるで侵入者を阻むかのように、樹々が長い枝をあちこちで張り出させていた。
途中までは気にしないで車を走らせていた利夫が車を停めたのは、前方に立派な杉の木が倒れているのを、目にしたからだった。
「こりゃあいけません」
車から降りた利夫に続いて、俺も外に出た。
一目見て通行できないと判断できる道の奥には、まだつづら折りに続く林道が続いていた。
「まいったな。ここで引き返しますか」
諦めた感じのガイドに、俺は首を横に振った。
「歩いてどれぐらいで行けそうですか?」
「またですか? 大上さんならそう言うかと思ってましたけど」
「無理そうなら、俺一人で行ってきます」
「いえ、行きますよ。熊が出るかも知れないし、一人になんてできませんよ」
利夫は車から猟銃を持ちだして、俺より先に倒木を乗り越えた。
「足元に気をつけて付いて来て下さい。急いでも一時間以上かかりますよ」
「ええ、頼みます」
クマ避けの鈴を鳴らしながら、俺たちは林道を進んだ。
月齢五日の狼男は、あまり熊と揉め事は起こしたくない時期ではある。猟銃を持つ利夫がいるのは心強かった。
利夫の言ったとおり、おおよそ一時間で俺たちは蛇神の末裔が住んでいたと言われる、集落跡に到着した。
朽ち果てた茅葺屋根の民家が、ひっそりと少しずつ、森に侵食されていっている。いつかこのまま森に呑まれて、人の手から獣たちに返納されるのだろう。
太陽はまだ高い筈だが、山と森に阻まれて日差しは届いていない。
俺は先を歩く背中に、この一帯のことを尋ねた。
「利夫さん、蛇神の末裔が暮らしていたなら、ここにも何らかの社殿があったんですか」
「ええ、ありましたよ。付いて来て下さい」
狭い集落の丁度中央に、円形の苔むした石畳があり、利夫はそこの中央で足を止めた。
「そこに小さな社殿があったんですが、今は崩れてしまってこの有様です。今、私たちが立っているこの円形の石畳で、昔、蛇神様を祀る神事が行われていたそうです」
足元のおおよそ直径十メートルほどの石畳を、丹念に見て回ったが、これといって手掛かりになりそうなものはなかった。
臭いを探っても、特に何も感じられない。
やはり収穫なしか。
しばらく付近を散策した後、最後に俺は一つだけ確認しておいた。
「ここにはホヤウカムイの住んでいそうな沼はないんですか?」
「ありませんね。ちっさな溜池くらいです」
一応案内してもらったが、人工的に掘られたような何ということも無い溜池だった。
「ね、なんということも無い溜池でしょう」
利夫がそう言って踵を返したとき、草むらから、すうっと一匹の大きな蛇が姿を現した。
俺はあまり蛇は好きではない。生理的に嫌いなものを目にして、思わず飛び退った。
ぬらりと胴体を青く光らせた蛇は、俺達の前を悠々と横切って、藪の中へと消えて行った。
「利夫さん、大丈夫ですか?」
膝をついてへたり込んでいるガイドに、俺は声を掛けた。
「ああ、ええ、ちょっと腰が抜けました」
「苦手だって言ってましたね。俺も蛇は苦手です」
また少し辺りが薄暗くなり始めた。
山間部の日照時間は短い。うっそうとした樹々に囲まれたかつての集落に、山から降りてくる冷たい空気が混ざり始めた。
「冷えてきましたね」
利夫が白い息を澄んだ空気の中に舞わせた。
一度狭い空を見上げたあと、俺達はまた、もと来た道を引き返し始めた。