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狼はそこにいる 蛇精の少女  作者: ひなたひより
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第3話 赤い瞳の女

 快晴の空の下、ただただ退屈な信号の無い道を、俺は先ほど空港で借りた白い小型車で走り続けていた。

 丁度一時間ほど前、俺は北海道の帯広空港に到着した。

 今俺が車を飛ばしているのは帯広広尾自動車道。しばらくすれば道東自動車道に入り日高山脈の西側を目指す。

 左手に日高山脈を望む、絶景ロケーションの解放感に、普段の俺なら陽気に鼻歌でも歌いそうなものだが、今はとてもそんな気分にはなれなかった。


 一昨日の深夜、俺の所に押しかけて来た十六夜いざよいマリから、あのあと俺の重い腰を上げさせるに足る、ある情報を聞かされた。

 あの白蛇の怪物が他にもいる。マリは俺にそう語った。

 十六夜家は眷属の中では中流に位置する家柄で、マリの父親はあの蛇と狼人間の混血種が生み出された研究施設の管理者を任されていた。

 マリは父親のパソコンから、自分の婚姻相手についての情報を盗み出そうとして、あの怪物の存在を知った。

 そしてあの研究者の夫婦が実験体を連れて逃亡したあとも、そこで継続して実験が続けられていたことが判明し、さらに最近になって研究所で一つの実験が成果を収めたことを彼女は知ったのだった。

 マリが知ったその成果とは、新しい狼人間に関することだった。

 クローン技術によって、あの怪物の能力を被検体の狼人間に移植することに成功した。研究日誌にそう記載されてあったのだ。

 そしてマリは、失踪中の白川竜平なる謎の人物が、その逃げ出した被検体で、自分はその怪物との子供を産まされる器に選ばれたのではないかと疑い始めた。

 普通に考えれば種の違う獣人同士が交配するのは異常なことだ。

 しかし近年、狼人間は衰退の一途を辿っており、純血の眷属たちは人間との交配によって混血種を誕生させ、その超人性を受け継ぎつつ何とか種を存続していた。

 人間との交配が眷属の間で受容されているのならば、新たなる獣人種との交配で、さらなる超人性を獲得するという試みも、可能性として排除できないだろう。

 その可能性を払拭するべく、マリが俺に話を持ち掛けてきたのも頷けないことは無かった。

 しかし、俺はマリの懸念を他所よそに、別の角度からこの一件の不気味さを感じていた。

 以前、旧友の如月は、あの怪物のことを、研究所の試験管の中で生まれたクローンだと明かし、また失敗作であるとも言っていた。

 常に人間の血肉に飢え、食らい続けなければ異様な凶暴性を発揮し、見境の無い殺戮をする本当の怪物だった。

 歯止めの効かない怪物を制御するために、あの研究者の夫婦は新鮮な人間を惜しみなく喰わせていた。

 今回の被検体が凶暴かどうかは分からないが、あれと同じようなものが地上に存在し、逃げ出したとなると、想像するのも恐ろしかった。

 あの怪物の話が出た時点で、俺は聡子をタクシーで帰らせた。

 聡子は渋っていたが、余計な情報は彼女自身を危険にさらす可能性があった。俺は半ば無理やりに彼女をタクシーに押し込んだのだった。

 俺は聡子の乗ったタクシーを見送ったあと、路上に停めてあったマリの車に乗り込んだ。

 マリは一種のスピード狂で、満月の夜には何台か所有しているスポーツカーを気の済むまで走らせる趣味があった。

 新月なので少しは大人しいものの、それでもメーターの回転計は跳ね上がったまま、車は凶暴な咆哮をあげていた。

 気ままに深夜の街を運転するマリから聞かされた話は、俺を心底身震いさせるのに十分な内容だった。


「被検体は自力で脱走したのではなく、内通者の手引きで逃げ出したのは間違いないわ。以前あの怪物を連れ出した気狂い夫婦は、とある組織のメンバーだった。そして今もその残党が影を潜めている」

「その残党が連れ出したってわけか」

「被検体を手に入れたあの人食い組織は、いま組織の立て直しを図っている。力をつけてまたいつか表舞台に現れるでしょうね」

「気味の悪い話だけど、それが俺に何の関係があるんだ?」


 マリは俺の鈍い頭の回転に少し苛立ちを見せる。


「わからない? あの怪物は眷族の手に余るほどの危険な奴だった。それを始末したあなたは、あいつらにとって最も危険な相手なのよ。そして、もし、あの地下で何が起こったのかという情報があいつらに漏れていたとしたら……」


 俺はあの時、三島聡子の血で覚醒し、あの怪物を打ち破った。俺を覚醒させた引き金である彼女の情報を奴らが掴んでいたとしたら……。

 俺はゴクリと喉を鳴らして、唾を飲み込んだ。


「マリ、君は俺があそこで覚醒したことを知っているのか?」

「あの事件は目立ちすぎた。眷族の掃除屋が後始末に駆けずり回らなければならなかったほどに。出所がどこだかは知る由もないけれど、あなたが特別な変身を成し遂げたという噂が広まっているのよ」


 そしてマリは俺の聞きたくなかった決定的なひと言を口にした。


「三島聡子。彼女があなたを特別なものに変身させた。そうじゃない?」


 その言葉で、サーっと血の気が引いてしまうのを俺は感じた。

 もし知られてしまえば、組織は人狼である俺ではなく、容易く殺せる聡子を狙うだろう。

 言葉を無くした俺に、マリはさらに追い打ちをかける。


「琉偉、調印書の効力は眷族の世界では絶対的な効力を持つものだわ。あなたとあの女はその見えない力で死ぬまで守られる。でもあの人食い組織に効果あるのかしらね」


 マリの言うとおりだった。

 眷族の調印書はいわば、絶対的な休戦協定みたいなものだ。あいつらが手出ししない代わりにこちらも実力行使をしない。しかしそれは非合法な人食い組織には何の効果もないのだ。


「逃げ出した被検体は今どこにいるんだ?」

「やる気になったようね。研究所から逃げ出した被検体は、今は北海道の山中で身を隠しているみたいよ」

「北海道?」

「ええ、眷族でも簡単には踏み込めない隠れ里があるらしいわ。なんでも、蛇神に護られた不思議な場所らしいわよ」


 そしてマリはストレスを発散するかのように、真っ赤なマセラティを疾走はしらせながら助手席の俺の太腿に手を伸ばして来た。


「ねえ、こうしていると昔に戻ったみたいじゃない?」


 ハンドルを握るマリの視線が俺に向けられた。

 暗い車内でその赤い虹彩の瞳が、ぼんやりと薄く光を帯びる。


「よせよ。そんな気分じゃない」

「ふん、つまらない男ね」


 いささか余談ではあるが、親同士の契約で結婚をした純血のマリと混血の俺は、お互いの違いを認めつつ、俗にいう夫婦生活を一年間続けた。

 そして子供の出来なかった俺たちに、親同士は契約の終了を決め、マリは俺の元を去って行った。

 混血の俺との結婚生活で子供を授からなかったマリに、うわべだけの新たな婚姻関係を取り繕い、ただの器として次の機会を与えたのだとしたら、それは眷族の女にとって、最も屈辱的といっていいほどの仕打ちであろう。

 眷属のしきたりで、親の決定を受け容れなければならないマリに、俺は憐憫の情を抱かずにはいられなかった。

 彼女が俺に、未だバラバラのパズルを完成させて欲しいと縋ったのは、一縷の希望が欲しかったからだろう。

 疑心暗鬼になっているだけと、慰めてやりたいところだが、今まで聞いた話の多くが、マリの話に信憑性を与えていた。それは十六夜マリが、純血の眷族の中ではとりわけ若かったからだ。

 眷族は長寿ではあるが、妊娠し子供を産める期間はそう長くはない。

 おおよそ妊娠できる期間は人間の倍くらい。そして、時間の経過と共に妊娠しにくくなっていく。その辺りは人間の女性とさほど変わらない。妊娠適齢期にあるマリが選ばれたというのは、あながち妄想と片付けられないだろう。

 またその相手をひた隠しにする不審な行為そのものが、マリの推測の正当性を引き上げているとも取れた。

 車を運転するマリの横顔は冷たく美しかった。

 まるであのころと変らない横顔を見ていると、本当に昔に戻ったような既視感に捉われた。


「あなたとの子供が出来なかったのが残念だわ」


 本気でそう言ったのだろうか。

 顔色一つ変えないマリの声は、俺の心に響くことは無かった。


 全ての話を聞き終えて、マンションに横付けしたマセラティから降りた俺は「おやすみ」とひと言、声を掛けた。

 たいして明るくもない街灯の下、誰もいない深夜の路上で、マリは乗りつけた車の窓ガラスを開けて、最後にぞっとする言葉を吐いた。


「もし相手がその被検体だったら、あなたの手で殺してくれない?」


 まぎれもない本音を口にしたマリの顔には。うっすらと冷酷な笑みが張り付いていた。



 一夜明けてから、俺からマリに連絡をつけ、俺のいない間の聡子の身の安全を条件に、依頼を受けることを了承した。

 よくよく考えて、やはり聡子に危害が及ぶ可能性を、俺は恐れたのだった。

 やはり狼男に関わると、ろくなことがない。

 昨夜、聡子に対する己の気持ちを知ってしまったことで、俺は余計に打ちひしがれていた。望まずともトラブルを引き当てる自分に、聡子を愛するその資格がないことを痛感したのだった。

 彼女とのこれからのことは、帰ってからまたきちんとするつもりだが、今は失踪中の男が、聡子に危害をなす相手なのか、そうでないのかを見極め、最悪の場合、決着をつけなければと考えていた。

 会社には一週間、休暇を願い出ようと思ったのだが、そこはマリからのささやかな報酬として、眷族の息のかかった企業からの業務依頼を受けての出張という形になった。

 眷族が牛耳る、大手商社の新社屋を、我が磯島文具が一手に引き受けさせてもらえるといった降って湧いたようなオファーだった。

 十二階建ての新社屋ビル全体が磯島文具のオフィス用品一色になる。

 何も営業をしていない俺が、いつの間にか超大口の仕事を獲ってきているという奇跡の事態に、課長は目をしばたかせていた。

 そして、先方の担当部長が、名指しで俺を寄こしてくれと指名してきたという。

 これには俺も、流石にやり方が派手過ぎて恐れ入った。

 早速、課長から好きなだけ出張して来いと言われ、俺は翌日の飛行機の便で、こうして北海道に足を踏み入れたのだった。



 高速を走っている間にずっと左手に見えている日高山脈。

 俺の今回の目的地はこの広大な山脈のどこかだと告げられた。

 標高2,052メートル幌尻岳の西側の麓に、逃走した男の故郷があるとマリから聞かされた。

 月齢二日の、生まれたての狼男の嗅覚は全く頼りにならないが、そのうちに少しずつ俺の超感覚も冴えてくるだろう。

 それと俺の口座には調査費用として、マリからきっちり百万円が振り込まれていた。まあ遠慮なく使わせてもらうこととしよう。


「北海道まで来たことだし、美味いものでも食うか」


 運転しながら呟いたものの、ストレスのせいかあまり食欲がない。


「それでもなんか食っとかないとな……」


 俺は指示器を出して、ようやく見えてきたサービスエリアへの車線にハンドルを切った。


 食欲の無いときは麺類がありがたい。

 殆ど具材の入っていない蕎麦をずるずるとすすりながら、俺は聡子のことを考えていた。


「きっと怒ってるだろうな」


 昨日聡子とは殆ど口を利かなかった。

 彼女は一昨日の夜のことを前々から計画していたのだろう。俺との初めての夜を胸を高鳴らせて用意してくれた彼女に胸が痛んだ。

 マリが来なければ、俺は彼女と結ばれていただろう。

 自分の本心を知ってしまった俺は、あのとき彼女への愛を生涯をかけて誓っただろう。


「いや、違うな……」


 俺はもう分かっていた。

 もうすでに俺は三島聡子に愛を誓っていたのだ。

 きっとこれからずっと、俺は死ぬまで彼女を想い続けるだろう。

 そう、たとえこれから先、別々の道を歩くのだとしても。

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