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狼はそこにいる 蛇精の少女  作者: ひなたひより
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第27話 許されざる者

 俺がいるのは、いわゆるゴシック調の豪華な部屋だった。

 西ヨーロッパの12世紀後半から15世紀にかけての建築様式に沿ったこの部屋の中は、いかにも高価そうな調度品で飾られており、屋敷の主がどういった種類の人間なのか見て取れるようだった。

 いや、人間と呼ぶべきではない。獣と呼んだ方がいいだろう。

 広い部屋の真ん中に置かれている高級そうなベッドの上で、高いびきをかいている男の顔を、俺はしばらく眺めていた。

 月齢十五日。

 あの事件から丁度一か月が経っていた。

 部屋の中央にある大きな天窓を見上げると、そこには黄金色の真円が浮かんでいた。

 俺は煌々と輝くその姿をしばらく眺めたあと、ベッドに眠るこの屋敷の主に声を掛けた。


「おい、起きろ」


 俺の声に年老いた男はすかさず反応した。ベッドから身を起こして、今何が起こっているのかを必死で理解しようとしだした。


「誰だ! 何故この部屋に居る?」


 うろたえるのは当然だろう。この屋敷は、普通の屋敷ではない。

 眷族の三大勢力の一人、犬館佐治来いぬたちさじきの屋敷なのだから。

 男は口から唾を飛ばしながら、怒りを含んだ声を響かせた。


「侵入者だぞ! 誰かつまみ出せ!」

「無駄だよ」


 不甲斐ない屋敷の者たちに怒り心頭なのだろう。男は苛立ちを顔中に噴出させ、真っ赤な顔を俺に向けた。

 満月の夜の俺には、月明りの中で、男の顔色までも見て取れた。


「誰か! 誰かおらんのか!」

「だから無駄だと言ってるだろ」


 俺は怒り狂う男とは正反対に、落ち着いた口調でそう言った。


「あんたの手下は、快く俺をこの部屋に通してくれたよ」

「なんだって……」

「自己紹介がまだだったな。俺の名は大上琉偉だ」


 男の顔色が一瞬で変わった。体表から極度の緊張による脂汗が浮き上がり始める。俺の嗅覚は男の生理的な変化を的確に捉えていた。


「何をしに来た……」


 口腔の渇きが声に現れている。男は死神が現れたかのような目で俺を見ていた。


「言わなくても分かるだろ」


 にじり寄ろうとした俺に、ベッドでへたり込んだままの男は必死の形相で懇願した。


「何か誤解があるんじゃないか? 君は私と面識すらないはずだ」

「ああ、やっと会えて嬉しいよ」


 俺は抑えきれない殺意を孕みながら、ゆっくりとベッドに近づいた。


「ちょっと待ってくれ、君と眷族にはあの調印書があったはずだ。我々は君に干渉しないし、君も我々に干渉しない。調印を破るとどうなるのか分かっているのかね」

「分かっているさ。だからここでこうしているのさ」


 俺は自分に獣人化現象メタモルフォーゼが起こり始めたのを感じていた。

 牙を剥いてそう言った俺の顔は、男の目には恐らく悪鬼か何かに見えただろう。


「あんたは俺を罠にはめて、あの少女を探し当てさせた。そして事実を隠ぺいするために始末しようとした」

「それは誤解だ。派遣していた部下が君と交戦したのは危険を感じたからだ。それと施設に乗り込んできたのは君の方じゃないか」

「先に手を出してきたのはあんたの方だ。ハチの巣にされた俺には身を守る権利がある。そうじゃないかね」

「争いになったのは、お互いに非があるんじゃないのか。儂の手の者も甚大な被害を被ったんだ。君のお陰で大勢の死人が出た。そこは、痛み分けで済まそうじゃないか」

「でもあんたは、まだ生きている」


 自分でもぞっとするぐらいの声色だった。


「あんたは知らないだろうが、この一件は眷族の情報部で徹底的に調べ上げられたんだ。その結果評議会は、あんたを正式に裁くと決定した」

「嘘だ……そんなこと何も聞いてないぞ」

「当事者に話すわけないだろ。調印書は生きている。俺がすんなりと要塞並みの警備が敷かれているこの部屋に入って来れたのが何よりの証拠だよ」

「くそ……あいつらよくも……」

「調印書にはこう書いてあった。目には目を、歯には歯をってな」


 相手を殺そうとしたものは、その命をもって償う。それが眷族の鉄則だった。


「俺がわざわざ満月の夜におたくの所に現れたのは、評議会からのせめてもの憐憫かもな。フェアな状態で立ち合ってくれと頼まれたのさ」

「おのれ、若造の分際で、大眷族のこの儂をコケにしおって……」


 男の体に異変が起こった。満月の力で獣人化現象メタモルフォーゼが起こり始めたのだ。

 同時に俺の獣人化も進んでいき、天窓から射し込む月光の下、二匹の怪物が対峙した。


 相手が立ち上がった時には、もう俺は飛び掛かっていた。

 体内の高出力エンジンが唸りを上げて、俺の体に凶暴なエネルギーを生じさせていた。

 毛むくじゃらの俺の手は、やすやすと大眷族の首に届いた。

 渾身の力で締め上げる俺の手を引き剥がそうと、獣人化した屋敷の主の爪が俺の腕に食い込んだ。

 しかしそれだけだった。

 千年近く生き、老いさらばえた大眷族の狼の爪が、俺の肉を引き裂くことは無かった。

 本物の眷族は満月の夜に、完全なる狼への変貌を遂げると、子供の時に聞かされた。

 今俺が手にかけようとしているのは、俺の想像していた精霊の姿とはかけ離れた醜悪なものだった。

 毛むくじゃらの皴だらけの老人。

 古き眷族のプライドに縋るだけの、醜い怪物の姿がそこにあった。


「た、助けてくれ……」


 必死の形相で命乞いをしてきた怪物に、俺はこう言った。


「あの少女がそう言ったとき、おまえは何をしたんだ」


 ボキリ。


 俺の手の中で砕けた頸椎は、乾いたような安っぽい音がした。



 梅雨の入り口に差し掛かった六月。

 朝から降っていた雨がようやく止んだ午後に、俺は再び日高山脈の麓の村を訪れた。

 薄日の射す真っ直ぐに続く農道。

 レンタカーの窓を開けて、自転車で通り過ぎていった制服の少女に俺は声を掛けた。


「やあ」


 少女は車からひょっこり顔を出した俺を見て、ぱっと笑顔を咲かせた。


「大上さん」

「久しぶり。元気そうだね」


 俺は屈託のない笑顔を見せた佳奈恵に手を振って、車から降りた。

 自転車を停めた少女はスカートをひるがえして、すぐに駆け寄って来た。


「陽巳香は、元気にしてますか?」


 少女は知らない。陽巳香がすでに逝ってしまったことを。

 俺が蛇精の里から彼女を連れ出し、逃がしてくれたのだと信じていた。


「ああ、うん。君によろしくと言っていたよ」

「そうですか。良かった」


 俺はポケットまさぐって、陽巳香からの預かりものを彼女に手渡した。


「これは、陽巳香の」

「うん。君にって言付ことづかってね」


 佳奈恵は掌に載せた紅色の勾玉をじっと見て、寂しげな顔をした。


「あの子が大切にしていたお守りなのに……」

「またいつか会いたいって、そう言っていたよ」

「そうですか……」


 そして佳奈恵はこう言った。


「私も、また会いたいな」

「ああ、きっとそのうち、また会えるさ」


 自分で口にした優しい嘘は、俺の胸を締め付けた。

 でもきっとこの嘘を、君は許してくれるだろう。

 俺は儚く旅立っていった蛇精の少女に、そう思いを馳せたのだった。

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