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狼はそこにいる 蛇精の少女  作者: ひなたひより
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第25話 守るべきもの

 屋上の扉は俺の一蹴りで、丁番ごと吹き飛んで行った。

 冷たい風の吹く屋上に出た俺たちを、銃撃が待ち構えていた。

 俺は陽巳香を庇いながら。屋上に唯一隠れられる空調の室外機に向かって走った。

 弾丸は全て、俺の体には傷をつけなかったが、陽巳香の腕に一発当たっていた。


「大丈夫か」


 俺は少女の二の腕に深々と突き刺さった弾丸を目にしてしまい、愕然としていた。

 陽巳香は蒼白な顔をして、その激痛に歯を食いしばっていた。


「何故だ。君は不死身じゃなかったのか」


 弾丸をつまんで引き抜いたあと、ハンカチで応急の止血を施し俺は疑問を投げかけた。


「今の私は……力を失いつつあるのです……」


 苦し気にそう言った陽巳香は、体を小刻みに震わせながら目を瞑った。


「寒い……」


 俺は陽巳香を抱きよせて体をさすってやった。


「大丈夫だ。心配ないからな。俺がすぐに温かい車の中に運んでやるからな」

「大上さん、私はもう……駄目なんです……」

「馬鹿なことを言うな。ここで待っていてくれ。すぐにあいつらを片付けて君を病院へ連れて行ってやるから」


 俺は物陰から飛び出して銃声の響く屋上に身を躍らせた。

 片っ端から銃口を向ける連中を片付けていく。怒りが攻撃抑制を取り払い、俺は本物の怪物のように銃を持った人間たちを襲った。

 銃声が止んだ。俺は屋上にいたやつらを一人残らず始末し終えていた。

 俺は倒れている男の来ていた厚手の上着を脱がして、陽巳香の元へと駆け寄った。


「これを着るんだ。きっと少しはましになる」

「ありがとう……」


 さっきよりも顔色が悪い。早く病院へ連れて行かなければ。

 体の震えの止まらない陽巳香を抱え上げた時、そこへまた階段を上がってくる足音が聞こえてきた。


「クソッ」


 俺は歯をギリギリ鳴らして屋上に現れた眷族を睨みつけた。

 あの眷族の男たちだった。三人は背後には自動小銃を構えた男たちが控えていた。

 三人の男たちは、俺を見て目を丸くした。


「侵入者だと聞いて駆け付けたが、まさかお前だったとはな」

「死んだと思ったか? 俺はお前らと違って正真正銘の不死者なのさ」

「確かに死んだのを確認したはずだったんだが……まあいい。もう一度始末してやる」

「まだギリギリ陽が落ちていないぜ。それはこっちの台詞なんじゃないのか」

「懲りない奴だ。まあほざいていろ」


 男が手にしたのはあの紅い液体が入った注射器だった。


「まだあれが残っていたのか……」


 首筋から液体を打ち込むと、すぐに三人とも変貌し始めた。

 前回、今と同じ獣人化現象を起こした状態で敗北している。何か手を考えなければ。

 俺は眷族たちが完全に変貌を遂げる前に、陽巳香を抱えて走り出した。

 獣人化現象が始まると、骨格や筋肉組織が猛烈なスピードで形を変えていく。その間に動こうとすればかなりの負荷がかかり、少なからず行動に支障をきたすはずだ。

 三体同時に変身した今がチャンスだった。

 俺は助走をつけて、一気に屋上から跳び出した。

 恐らく二十メートル以上の距離を跳躍し、そのまま塀を軽く跳び越えた。

 十秒は稼げた。

 俺は停めてあったポルシェに陽巳香を押し込むと、急いでエンジンを始動させた。

 力強い排気音が車を振動させる。俺は一気にアクセルを全開にして、タイヤを鳴らせながら車を発進させた。

 連続音が響いた。サブマシンガンを持った男が二人、俺の前に立ち塞がった。弾丸は車体とフロントガラスに当たったが、ガラスはどういうわけか砕けなかった。


「防弾仕様か。如月のやつ、いい車を持ってるじゃないか……」


 逃走しようとする俺の前にあの怪物が立ち塞がった。俺はサイドブレーキを操作して即座にスピンターンをかまし、そのまま反対方向に向かってアクセルを踏み込んだ。

 このまま逃げ切れることができれば陽巳香を助けることができる。僅かな希望を持って俺はアクセルを踏み込んだ。

 しかしエンジン音がけたたましく鳴る中、ポルシェは一切加速しなくなった。

 バックミラーに映ったのはあの怪物だった。車体の後部を持ち上げて、タイヤを空転させていたのだ。

 後輪駆動の泣き所を、怪物は承知していたのだった。

 俺はどうあっても逃げられないことを悟った。

 こうなれば闘うしかない。

 俺はアクセルを緩め、そのまま車から降りた。

 陽巳香を病院へ連れて行かなければ。

 俺は焦りを覚えながら怪物と対峙した。

 俺はゆっくりと車から離れた。陽巳香が乱闘に巻き込まれるのを懸念したからだった。

 怪物たちはあの時のようには陽巳香に執着していなかった。今は俺を八つ裂きにすることを愉しんでいる。そんな気がしていた。

 まだ薄明るい紫色の空に。真円の月が浮かんでいた。

 俺は狼の咆哮をほとばしらせた。


「うおおおおおおおおおお!」


 力任せの拳が。怪物の胸にめり込んだ。破壊的な衝撃を受けた怪物はそのまま吹っ飛んで行った。

 背中に激痛が走る。別の怪物の爪が背筋をえぐり取っていた。

 サブマシンガンを持った男二人が追いついて、俺の背後から弾丸を浴びせてきた。至近距離の銃撃に、俺は背中の肉片を飛び散らせながら耐えた。

 前回闘ったときと同じだった。

 狼の爪は鱗に阻まれて、怪物の肉には届かなかった。

 必死で腕を振ってマシンガンの男たちを俺は片付けたが、三体の怪物は確実に俺をジリジリと追い詰めていた。


「ごおおおおお!」


 いつの間にか辺りはすっかり暗くなっていた。

 かなりの血を失った俺の体は、いつしか狼の力を失いつつあった。

 それでも必死で怪物の一体に組み付き喉元に牙を突き立てた。

 ようやく牙が鱗を貫通した。

 だがそこまでだった。

 俺は相手の首に噛みついたまま、ボロ雑巾のように垂れ下がった状態で動けなくなった。


「放せ、汚らわしい!」


 怪物は浅く入った牙を引き剥がし、俺をアスファルトに叩きつけた。


「やめて!」


 陽巳香の声だった。

 足首を失った陽巳香が、必死で俺の元へ這って来ているのを俺は目にして、俺は気力を振り絞って立ち上がった。

 その俺の背中に怪物の一体が蹴りを食らわせた。五メートルほど吹っ飛んだが、今の俺には歩く手間を省いてくれたようなものだった。

 陽巳香の前で倒れた俺を、彼女は涙をいっぱいこぼしながら起こそうとしてくれた。


「大上さん。大上さん」

「ああ、俺は大丈夫だ。心配ない」

「ごめんなさい。ごめんなさい」


 陽巳香は謝りながら、涙をたくさん俺の顔に落とした。

 気まぐれなのだろうか、怪物たちは俺と陽巳香のやり取りを可笑しそうに眺めている。

 その時、携帯の着信音がした。銃を持っていた男が出ると怪物に携帯を手渡した。


「あの方からです」

「クソ、今いい所なのに」


 毒づいた怪物は、そのまま携帯を耳に当てた。

 電話の内容は分からなかったが、何かマズいことが起こったのはその口調で感じ取ることができた。


「分かりました。すぐに対処します」


 怪物は電話を切ったあと、怒りを露わにして俺の腹を蹴り上げた。


「調査団が来る。もうそこまで来ているらしい。調印書のあるこの男と、蛇精の巫女を隠せと指示があった」

「男は今すぐここで始末したらいいだろ」

「駄目だ。殺したと分かれば、俺たちは間違いなく処分される。調査団を帰らせてからだ。それまではこいつらを見つからない所へ隠しておく」


 あとの二体の怪物も渋々同意し、俺と陽巳香は先程と違う施設の地下室に閉じ込められた。

 かび臭い裸電球だけの部屋で、俺は陽巳香の膝の上でただ息をしていた。

 既に屋上での銃撃によって、たくさんの血を失っているのにも拘らず、陽巳香は弱った俺に血を飲ませた。

 そして彼女が神の言葉を唱え続けていると、いつの間にか少しずつ力が戻ってきた。


「すまない。君を守りきれなくて」

「いいんです。こうしてあなたが来てくれただけで」

「恐らくさっきの電話は俺の友達が流した偽の情報だと思う。時間を稼ぐためにしてくれたんだろう。何とかしてここから抜け出そう」


 俺の言葉に陽巳香は首を横に振って応えた。


「ごめんなさい。もう無理なんです」

「どうして? きみは本来不死身じゃないか。今は無理でもあの神域に戻りさえすれば蛇神の力できっと良くなるさ」

「無理なんです。もう私の体は再生しないのです」


 彼女の言葉には何らかの確信が含まれていた。俺はその理由を聞くことにした。


「なにか理由があるんだね」

「はい。巫女が蛇神様の依り代でいられるのは受胎するまで。私は……」


 陽巳香の声が震えた。


「私はその資格を失ってしまった。巫女は子を宿すと自らの不死身性を徐々に失ってしまうのです。蛇精は子孫にその不死身性を受け継ぐ。もう私は……」


 その言葉で俺は少女の言おうとしていることを理解した。


「君は、妊娠させられたのか……」


 陽巳香は黙ったまま震えながら頷いた。


「すまない。俺がもっと早くここに来ていれば」


 苦汁を滲ませながら俺は子供のように涙を流した。何一つとして彼女を救えなかったことに涙が止まらなかった。

 君を守ると威勢のいいことを言っていた自分が、ただ恥ずかしかった。

 遅かった。何もかもが遅かったのだ。


「私を蹂躙した獣は子孫を残すための実験だと言っていました。生まれてくるものがどんな生命体か楽しみだとも……」


 俺は陽巳香をきつく抱きしめた。


「もういい。そんなこと、もう話さなくていいんだ……」


 だだ抱き締めてやることしか出来なかった。そうすることでこの娘の痛みをほんの少しでも代わってやりたかった。


「大上さん」

「うん……」

「私の命はきっともうすぐ尽きると思います」

「そんなことは無い。君が不死身じゃなくっても。ちゃんと病院へ行って治療すれば、命は助かるはずだ」

「いいえ。実は私が徐々に不死身性を失って弱っていくのを見て、研究者があの薬をさっき投薬したのです」

「あの薬って、まさか……」


 俺は言葉を失った。陽巳香が説明する前に、俺はことの重大さを知ったのだった。


「はい。彼らが使っていたものです。不死身性を持つ者に力を与えるあの薬は、普通の人間に戻ろうとしている私には猛毒なのです」

「じゃあ、君が完全に不死身性を失ってしまったら……」

「はい。その時に私の心臓は止まるでしょう」


 ここから陽巳香を連れ出したとしても彼女は助からない。俺は奥歯を砕ける程噛み締めた。


「そんな、そんな、何かある筈だ。君には蛇神様がついているんだろ」

「巫女としての役割を終えた私に神様の力は及びません。これでいいのです。これで、何もかも終わるんです」

「駄目だ。俺がそんなことさせない。君をここから連れ出して、あの神域に連れて行く。蛇神が何と言おうと力ずくでも君を助けさせてみせる」


 涙を流しながら訴えかける俺に、陽巳香はあの神域でお茶を飲んでいた時のような笑顔を見せた。


「蛇神様の言ったとおりだった」

「え?」

「ありがとう。あなたは私を救ってくれた」


 その言葉に俺はおいおいと声を上げて泣いた。

 まるで子供が駄々をこねるかのように、少女の命を乞うてひたすら涙を流し続けた。

 声を上げ哭き続ける俺を、陽巳香はそっと抱きしめてあやしてくれた。

 そしてそっと俺の頬にキスをしてくれた。


「もう泣かないで。あなたにはまだやることが残っています」

「もう、俺には何も残ってなんかいないよ……」

「いいえ。あなたはここから脱出して生きていかなければいけない。大切な人が待っているんでしょ」


 少女のひと言は俺の魂を揺り動かした。


「あなたがここから出ていくために、私の残された力を使って下さい」

「何を、君は何を言ってるんだ……」

「あなたは狼です。とても気高い美しい狼。この心臓が動いている間に、私の肉を食べて下さい。そうすればあなたは本来の力を取り戻せるはずです」

「出来ない。君の肉を食らうなんて俺には……」

「あなたには生きていて欲しい。食べて。私のために」


 その時、地下室の扉が開かれた。三体の怪物は乱暴に巫女の手を取ると地下室から引きずり出した。

 俺は足元をふらつかせながら、怪物たちに追い縋った。


「その子を放せ!」


 怪物たちの目が一斉に俺の方を向いた。


「まだ動ける力が残っていたのか。どうやら調査団はデマだったようだしここでお前を始末してやる」

「やってみろよ……」


 意地だけで俺は唸り声をあげた。


 怪物は陽巳香を俺に向かって突き飛ばした。

 倒れ込んだ陽巳香を、俺は覆いかぶさるようにして庇った。


「この娘に手を出すな」


 唸り声をあげるだけで精いっぱいだった。覆いかぶさった俺の背中にまた深々と怪物の爪が食い込んだ。

 俺の腕の下で陽巳香はまたあの笑みを浮かべていた。


「もうすぐ、私の心臓は止まります。どうか私を食べて下さい」

「駄目だ。駄目だ……」


 俺の背中に容赦のない爪が走り、肉をえぐり取っていく。


「佳奈恵ちゃんにありがとうって言っておいて下さい」

「駄目だ。それは君が自分で言うんだ」


 背中の激痛はもう感じなかった。俺はお別れの時が来たことを知った。


「時間が来たみたいです」


 そして少女は真っ白な笑顔を浮かべた。きっと俺は一生この笑顔を忘れることは無いだろう。


「大上さん。最期にあなたに出逢えて良かった」


 少女はその言葉を残して、俺のもとから去って行ってしまった。

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