第24話 怪物の住処
俺は凶暴なエンジン音を響かせながら、首都高を疾走していた。
俺の操るスポーツカーは、如月の愛車、ポルシェ911のターボモデルだ。
あの後、下月が俺を追いかけてきて、如月から預かったキーを渡してくれたのだ。
下月は一緒に行くと、助手席に乗ろうとしたが、俺は構わず車を発進させた。
調印書の無い下月がこの件に関われば、後で必ず始末される。
危険を冒すのは俺だけで十分だった。
凶暴なエンジンを吹かせて、俺は静岡へと向かっていた。如月から聞き出した研究所の場所は富士山の麓にあった。
陽が落ちる前に、娘を救い出さなければならない。
満月期の超感覚は、俺をトップクラスのエフワンドライバーに変える。
アクセルを踏み込んで回転計を振り切らせたまま、俺は凶暴な鉄の馬と一体になり、先を急いだ。
陽が落ちるまでにはまだ一時間以上ある。
俺はようやく如月の教えてくれた研究所に辿り着いた。
適当に車を路上に止め、有刺鉄線の張られた高い塀を軽々と跳び越える。
中には人影はない。俺は敷地の中にある大きな建物に音も無く近付いて行った。
殆ど窓のない施設だ。
監視カメラの死角を縫うようにして建物に取り付いた俺は、狼の爪を使って壁をよじ登り始めた。そのまま四階建ての建物の屋上まで上がると、カメラが無いことを確認し、そのまま一か所だけある鉄製の扉へと走った。
ドアノブを回したが、やはり鍵がかかっていた。
俺は渾身の力を込めてドアノブを握り込んで回した。
呆気なく鍵ごとバラバラになった扉を開けて、俺は建物の中へと侵入した。
ここまでは順調だ。
あとは敵に見つからないよう、陽巳香を見つけ出すだけだ。
俺は施設内を調べながら、狼の超感覚を総動員して、陽巳香の存在を探って周った。
あの臭いだ。
俺の嗅覚に届いたのは、あの怪物達が発していた臭いだった。
俺は危険を顧みず、その臭いに向かって通路を進んだ。
怪物がいるとなれば、そこに陽巳香もいるかも知れない。そしていなかったとしても奴らなら陽巳香の居所を知っている筈だ。
あの薬を打つ前に襲撃して居所を吐かせてしまえば、陽巳香に辿り着けるだろう。
臭いが濃厚になったのを感じとり、俺は足を止めた。
何の変哲もない扉だが、明らかにこの向こうから、あの臭いがしてきている。
カード式の認証装置が壁にあった。これでは侵入しようがない。
また力づくで、こじ開けようとした時に、中から話し声が聴こえてきた。
俺はそのまま息を潜めて、その会話の内容に神経を集中させた。
普通の人間なら絶対に聞き取れない声でも、狼の聴覚ならば捉えられる。
「試作品はこれだけか?」
「はい。抽出できたサンプルはこれで全てです」
「まあいい。新鮮なサンプルが手に入ったんだ。これからはいくらでも作れるさ」
間違いない。これは陽巳香のことを言っているのだろう。
扉の向こう側の声を聴いているうちに、ドアロックの外れた音がした。
向こう側で中の人間が、カードを使ってロックを解除したのだ。
扉が開いた瞬間に俺は動いた。まず出てこようとした男を昏倒させ、次に部屋にいた三十代くらいの白衣を着た男に襲い掛かった。
真正面から首に手をかけ、凶暴な牙を覗かせて、ぎろりと睨みつけてやった。
「声を出すな」
「……」
恐怖に目を見開いた男は、ただの研究者みたいだ。
「今から俺が言うことに静かに答えろ。言っておくが俺は悪名高い混血種のキチガイ狼だ。この意味が分かるよな」
男は黙って頷いた。額からおかしなほど汗が噴き出てきている。
「ここで何をやっている? 正直に言え」
「く、薬を、つ、作っています」
「薬っていうのは、眷属を鱗だらけの怪物に変えるやつだな」
男の顔色が明らかに変わった。図星だったようだ。
「何故それを……は、はい。おしゃるとおりです」
「あれは一体何なんだ。言ってみろ」
「あれは……あれは大昔の巫女のミイラから抽出した薬で、眷属の能力を蛇精の力を借りて一時的に増強する薬です」
命惜しさに、男はペラペラと詳しく話してくれた。狂信者でない、ただの研究者などこんなものだ。
「やはりな。それでどれくらい効果は持続するんだ」
「おおよそ三時間くらいです。そんなには持たないんです」
「そうか分かった。それで今ここに蛇精の巫女が監禁されている筈だ。どこにいる?」
「それは……」
男は俺から視線を逸らして口ごもった。それを言ったら自分の命が危ない。口にしなくとも俺には理解できた。
怪物を作る薬をせっせと作っていた連中に、俺は何の慈悲も与えるつもりは無かった。
「俺はお喋りな奴の方が好きなんだ。あんたが口を割らないんなら、そこで寝ている奴と話をすることにしようか」
俺は容赦なく男の首に爪を食い込ませた。
「ま、待ってくれ。話す。話します。娘は地下室にいる。そこに閉じ込めてある」
「そこへはどうやって行くんだ」
「東側の廊下の突き当りに地下へ続く階段がある。そこから入れます」
「鍵がかかっているんだろ」
「ぼ、僕の鍵では開かないけど、そこの男のカードならいけるはずだ」
「こいつは偉いさんってことだな。良く教えてくれた。感謝するよ」
俺はそのまま男の頸動脈を締め上げて昏倒させた。
棚に紅い半透明な瓶が幾つか並んでいるのを見て、俺はガラスを割ってそれらすべてを踏みつぶしておいた。
そして、俺はまた廊下に出て走り出した。
男が言っていたとおり、地下への扉は倒れていた男のカードで簡単に開いた。
その先の階段を下っていると、嗅いだことのある匂いが俺の嗅覚の網にかかった。
陽巳香。
俺はそこに陽巳香がいることを確信した。
長い階段の先の扉をカードで開くと、銃を持った男と鉢合わせになった。俺は電光石火の速さで男の腹に拳を叩き込んだ。
男は壁まで吹っ飛んで動かなくなった。恐らく即死だろう。
天井に監視カメラがある。俺が侵入したことがこれで知られただろう。
時間との勝負だ。俺はまだ奥にある扉に走った。
カードをかざしても反応がない。扉はロックされてしまったようだ。
俺はドアノブのない扉の隙間に爪をかけ、一気に扉を引き剥がした。
バリバリと音を立てて引き剥がされた扉の向こうには、さらに通路が繋がっていて、いくつもの牢屋が両側に並んでいた。
「なんだ……ここは……」
異様な姿をした怪物たちが、牢屋の中でさらに鎖に繋がれていた。
恐らく実験体の収容施設なのだろう。この施設で生み出された怪物たちはここに入れられ、気の済むまで飼い殺しにされるのだろう。
醜悪な臭いの中に、俺は陽巳香の匂いを嗅ぎつけた。
奥の牢屋に駆け込んだ俺は、そこに陽巳香の姿を見いだした。
「陽巳香!」
叫んだ俺の方を陽巳香はゆっくりと振り向いた。
何も身につけていない真っ白な体が、暗い牢獄の中でぼんやりと蒼く光っていた。
「大上さん」
その瞳から涙が溢れ出したのを見て、俺の体内で火花が散った。
高出力エンジンが始動し轟音を上げ始めたのだ。
「ここから出してやる」
俺は牢屋の太い鋼鉄の棒に手を掛けると一気に力を解放した。
飴のように曲がった柵を抜けて、俺は牢の中へと侵入した。
「陽巳香、助けに来たぞ。一緒にここから出よう」
そして俺は気付いた。陽巳香には鎖がつけられていなかった。
陽巳香の両足首は逃げられないようにするためか、切断されていたのだ。
「なんてことを……」
一瞬愕然として、俺は来ていたシャツを少女に羽織らせた。
「大丈夫だ。君は不死身なんだ。きっとすぐ良くなる」
俺は怒りをかみ殺しながら、陽巳香の細い体を抱き上げた。
「大上さん、私はもう……」
「話はあとにしよう。今はここを脱出するのが先だ」
俺は陽巳香を抱えたまま牢を出て駆けだした。銃を持った男が俺の前に立ち塞がった。俺は一気に跳躍して男の頭を蹴り飛ばした。
ピクリとも動かなくなった男を踏み越えて、そのまま俺は階段を駆け上がった。
一階の出口はすでに固められているだろう。俺は侵入してきた屋上を目指した。今の俺ならば、陽巳香を抱いて地上まで跳躍できるはずだ。
背後に迫る銃声が俺の背中にいくつか追い縋って来た。
弾丸は俺の背中に浅く食い込んだだけだった。
今の俺には短銃の弾は用をなさない。あのショットガンの直撃にも耐えられるだろう。
階段を駆け上がりながら、俺の体は変身し始めていた。
俺の忌み嫌う怪物の姿。
完全な狼に成れない混血種の醜い姿だった。
美しい陽巳香に、あまり見せたくない気持ちが、こんな時なのに俺の中にはあった。
それでもこの少女を守るための唯一の武器だ。今はこの変化に歓喜を覚えていた。
「もう少しだ」
階段を駆け上がる度に、少女の華奢な体が俺の腕の中で跳ねる。
その軽さに、言い尽くせない重みを感じながら俺は最後の階段を上り切った。
そして俺は勢いよく、屋上への扉を蹴破った。