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狼はそこにいる 蛇精の少女  作者: ひなたひより
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第22話 狼の目覚め

 高速に乗って四時間、バイクは隠れ里へ到着していた。

 里には人の気配はなく。俺は不審な様子がないか確認してから用心深くあの祠へと向かった。

 池を跳び越え、祠の裏にある岩壁を開いてそのまま神域へ入る。

 神域には荒らされた形跡はない。

 この場所は、まだ誰も立ち入っていなかったようだ。

 頭上には煌々と光を湛える我が守護星が浮かんでいる。

 月齢十日の月は俺の体を賦活化し、感覚をさらに鋭くしていた。

 俺はもう覚悟を決めていた。

 ここを自分の墓場にしてもいいと。

 逃げることを選ばず、この神域に残り、蛇神のもとで終わりを迎えようとしている少女を、ここで守ると決めたのだ。

 たとえ刺し違えてでも守り切る。

 狼の誇りにかけて、この地に土足で踏み込む獣たちを、俺は許さない。

 それは蛇神のためではない。ましてや、決められた運命とかでもない。ただ、誰かの救いを求めるこの孤独な少女を、目に見えない呪縛から解き放つために俺は足掻きたかった。

 陽巳香は俺を家の中に招き入れ、熱いお茶を用意してくれた。

 俺はその香りに一時の安らぎを覚えながら、聡子のことを考えていた。

 今頃何をしているだろうか。きっとまだ怒っているんだろうな。


「何を考えているんですか」


 不意に陽巳香に声を掛けられて、また見透かされていたのかと、苦笑いした。


「女の人のこと、そうじゃないですか?」

「まあ、当たりかな。君は本当に鋭いね」

「大上さんが分かり易いだけですよ」


 そうかも知れない。この娘が凄いのではなくて、俺が情報だだ洩れなだけなのかも。


「大上さんの彼女ってどんな方なんですか?」

「ええと、彼女っていうか、そこまで行ってないっていうか」

「でも好きなんですよね」

「まあ……はい……」


 自分より半分以上歳下の女の子にからかわれている。俺の純情さを突っついてくるとは、やはりこの娘も、こういったことに関心のあるお年頃ということだ。


「赤くなっちゃって可愛い」

「大人をからかうんじゃない」

「ごめんなさい。でも羨ましい。なんだか妬けちゃうな」


 まあ冗談に間違いないが、悪い気はしないもんだ。聡子以外に俺にやきもちを妬いてくれる女性などいるはずがない。


「いつか君にもいい相手が見つかるさ。あ、外に出たら口の上手い奴がいっぱいいるから気を付けるんだぞ」

「なんだかお父さんみたい。まあ私はお父さんの顔さえ知らないけれど」

「亡くなったのかい?」

「そう聞いてます。私が産まれる前に病気で亡くなったって」


 孤独なこの少女は、俺の中に父親の姿を見ていたのかも知れない。

 穏やかに微笑むその内側に、君はきっと沢山のものをしまい込んでいるのだろう。


「大上さん」

「うん」


 陽巳香は首の後ろに手を回すと、身に着けていた紅色の勾玉を通したアクセサリーを俺に差し出した。


「これを佳奈恵ちゃんに渡してもらえませんか」

「これを?」

「あの子にはもらってばっかり。私からはこれぐらいしか……」

「そんなこと無い。彼女は君からたくさんの物をもらっているよ」

「でも、渡してください。大上さんの手から」


 俺はこの娘の覚悟をひしひしと感じていた。俺は黙ったまま勾玉を受取った。


「預かっておくよ。ゴタゴタが済んだら君の手で渡してあげたらいい」

「はい。ありがとうございます」


 少しほっとしたような顔をした陽巳香を、直視するのが辛かった。


「お茶を飲んだら、お帰り下さい。あとはわたくし一人で大丈夫ですから」

「じゃあ、ゆっくり飲むよ。明日の朝ぐらいまでかけて」


 少女は唇を噛んだ。そしてうつむいたまま、小さな声でこう言った。


「あなたは馬鹿よ……」


 そう。俺は馬鹿なんだ。それでもこんな馬鹿な自分を気に入っている。


「蛇神様はよく俺みたいな馬鹿狼を選んだもんだ。大ハズレもいいとこだよ」

「ウフフフ。そんなことありませんよ。蛇神様の目には狂いなどありません」

「君に一回も将棋で勝てないのにかい?」

「ではもう一局指しますか」


 全く勝てる気がしないけれど、将棋の盤を挟んで俺たちはまた向かい合った。



 殆ど指す手がなくなって、また俺の負けが決まりかけた時、狼の超感覚が異常を知らせた。


「ここにいるんだ」


 俺は部屋の照明を消して家から飛び出した。

 月明りの中に六つの光点が浮かび上がっている。奴らに間違いなかった。

 どうやら入り口を見つけて、侵入してきたようだ。


「まさか舞い戻ってきているとは、お前馬鹿か?」


 眷族の一人がそう言った。昨日のような蛇の怪物ではなく、今は人間の姿だった。

 眷族三人の背後には銃を持った連中が八人。一体どれだけストックがあるんだと、うんざりした。

 月齢十日の狼男は、そう簡単に人間にはやられない。

 弾丸は食らいたくないが、今の俺なら、銃撃を受けても簡単には致命傷にはならないだろう。

 つまりはこの眷族三人を始末してしまえばいいってことだ。


「なあ、あんたら、引き返すんなら今のうちだぜ。今夜の俺は機嫌が悪いんだ」

「お前なに言ってんだ。一人で俺たちに盾突く気か?」

「ああ。そのつもりだよ。一人残らず地獄へ送ってやる」

「ほざけ!」


 その声が合図であったかのように、俺に向けられていた銃が一斉に火を吹いた。

 俺はすかさず反応していた。

 跳躍して茂みに逃れて、またすぐに走り出していた。

 俺はこの神域へ戻ってすぐに小石を拾い集めて、あちこちに積んでおいた。

 満月期の狼男は、弾丸並みの威力で投石が可能だ。命中精度に関しても、俺は相当自信がある。

 おまけに月の明かりで相手の位置が丸見えだ。ここにいる人間たちはけっこうなカモだと言えた。

 俺は積んであった石ころを手に取ると、軽くスナップを利かせて、銃を構えた相手に向かって投石した。

 石は相手の顔面に直撃し、男はその場に倒れ込んだ。

 久しぶりにやったが上手くいった。それから俺は移動しながら石を投げ、合計三人の男たちを地に這わせた。

 音もなく、どこから飛んでくるかも分からない、このシンプルな攻撃は、相手を混乱させるのに相当な効果があったようだ。

 さらに俺は適当に石をばら撒いて、自分の存在を攪乱した。

 掴みどころのない俺の動きに翻弄されて、無駄弾を撃つ音が闇夜に響いた。

 また二人仕留めたところで、俺は眷族たちに取り囲まれた。人間の視覚では俺を捉えきれないが、狼人間の超感覚の網を抜けることはできなかった。


「手品はそれぐらいにしておけ。あんまり死体を増やされても困る」

「ああ、あんたらが大人しく帰るなら手品はやめてもいい」

「いつまでそんな口を利いてられるかな」


 眷族たちは俺に一斉に飛び掛かって来た。流石に捌き切れずに、背中と脇腹に鉄の塊で殴られたような痛みが襲ってきた。

 一撃で数本骨が折れた。流石にそう上手くはいかないみたいだ。

 追撃を避けるために俺は飛び退って間合いを取ろうとした。しかしそれを読んでいたかのように三人が一斉に俺に向かってきた。

 あっという間に鋭い爪で服がボロボロになった。庇った腕の肉が指の形にえぐり取られ、ボトボトと血が流れていた。

 一対一なら互角以上にわたり合える自信がある。

 しかし三体の連続攻撃は思った以上に熾烈なものだった。


「どうした? さっきまでの威勢はどこへ行ったんだ?」

「まあ、そのうちに本気を出すさ。準備運動はきっちりやっとくほうでね」

「減らず口だけはまだ利けるみたいだな。いい加減聞き飽きたけどな!」


 更に苛烈になった三体の攻撃に、防いでいた左腕がおかしな音を立てて折れた。

 体に打ち込まれる拳が、また何本か俺の肋骨を折ったみたいだ。

 拳と蹴りがさらに激しさを増した。

 頬骨が折れ、鎖骨が折れた。みぞおちに食らった一撃で口から血の塊が飛び出た。

 もう立っているのがやっとだった。

 その時だった。


「おやめなさい!」


 家の中にいろと言っておいた陽巳香が、外に出てこちらに真紅の目を向けていた。


「その人にそれ以上手出ししてはいけません。お下がりなさい」


 その凛とした姿に、眷族たちは一度動きを止めた。しかしすぐに獲物を見つけた獣の顔つきになった。


「やっと姿を現したか。随分手こずらせてくれたもんだ」


 三体はやっと立っているだけの俺に構わず、陽巳香に近づいて行った。


「よせ!」


 声を絞り出した俺を無視して、男たちは陽巳香に迫って行った。

 俺は弱い。

 孤独な少女一人すら守れない。

 少女は言った。自分はただの依り代なのだと。

 いいや、君はただの依り代なんかじゃない。

 俺は神を守りに来たんじゃない。君を守りに来たんだ。

 俺はまだ真円ではない守護星を見上げた。


「るうおおおおおおおお!」


 体内の奥底から狼の叫びがほとばしった。

 同時に体のどこかで真紅の火花が弾けた。

 咆哮に応えるかのように、凶暴な高出力エンジンが点火し、唸り声をあげた。

 眠っていた狼がようやく目を覚ましたのだ。

 バキバキと体中から音がする。筋肉組織が躍動し、骨が再生しながら変形していく。

 俺は感じていた。そう、今俺の体には獣人化現象メタモルフォーゼが起こり始めていた。

 満月の夜にしか起こらないはずの奇跡が、いま俺の姿を変貌させつつあった。


「な、なんだこいつ」

「まさか、あり得ない」


 異常に気付いた眷族たちは、狼狽を見せながら再び俺に向き直った。


「ぐううううううう」


 肉体の変貌には激痛と快感が伴う。骨格の変形と浮き上がった筋肉が、内側からシャツを圧迫し、掛けられていたボタンは全て弾け飛んで行った。

 体中の体毛が伸び始め、手足の爪が鋭く尖り、いよいよ俺の体は獣の様相を帯び始める。

 鼻面がせり出し、凶暴な犬歯を持つ顎が完成し、とうとう俺は完全な獣となった。


「ごおおおおおおおお!」


 そして俺は凶悪なまでの咆哮を上げて、眷族どもに襲い掛かった。

 逃げ遅れた一体の腕を掴んで引き寄せると、俺は躊躇うことなく相手の喉に食い付いた。

 食い込んだ俺の牙は、動脈にまで届き、相手は血しぶきを上げながら必死で引き剝がそうともがいた。

 そのまま喉の肉を嚙みちぎった俺は、次に襲い掛かってきた相手の鋭い爪を、正面から受け止めた。

 掴んだ手首に渾身の力を込めると、嫌な音を立てて相手の両手首は砕けた。


「ぎゃあああ!」


 完全に形勢は逆転した。

 満月時の狼男のように変身を遂げた俺に、三体の眷属たちは驚愕し、畏怖を覚えたに違いない。

 まるで怪物を見るような目で奴らは俺を見ていた。


「ば、化け物め」


 おまえらに言われたくないよ。そう言いたかったが、生憎口が変形していて言葉を発しにくくなっていた。

 手首の砕けた眷属を蹴り飛ばして悶絶させると、俺は残った一体ににじり寄った。

 こちらに向けた真っ赤な目の中に、隠すことのできない恐怖の色が窺えた。それでも眷属は俺に襲い掛かって来た。

 伸びてきた貫手を捌いて一気に懐に入り、俺は痛烈なアッパーカットを相手の顎下に叩き込んだ。

 真上に吹っ飛んだ眷属の体は無慈悲な月光に照らされ、そのまま落下した。

 どうやら我々の守護星は、この不届きな怪物達に力を貸さなかったようだ。

 顎を砕かれ、完全に意識を失った眷属にとどめを刺そうとした時、俺は背後にまたあの嫌な気配を感じた。

 背筋に悪寒がはしった。

 振り返った俺の目に飛び込んできたのは、最初に仕留めたはずの眷属の立ち姿だった。

 昨日のようにその体はびっしりと鱗に覆われ、ぬらりと怪しげな光を反射させていた。

 再生した怪物に、俺は間髪入れず襲い掛かった。

 俺の鉤爪を相手は両手で受け止めた。

 お互いの爪が相手の手の甲に食い込む。

 殆ど力は互角。俺は体を転回させて合気道の技を繰り出した。

 四方投げと呼ばれる技で、相手の腕を折りたたんで切り下ろす強力な技だ。一旦肘が極まってしまえば、逃れることは困難だ。

 俺は相手の肘関節を極めた状態で投げを打った。

 逃れようと抵抗した怪物の腕がボキリと音を立てた。

 後頭部から地面に激突した相手は、真っ赤な目を見開いたまま意識を失った。

 俺はすぐに残りの二体が、今どうなっているのかを確認しようと、振り返った。

 そして俺は見た。

 先に倒した一体が鱗だらけの怪物に変貌しかけていた。

 そして最後に倒した眷属が、手に持った何かを首に突き刺していた。

 あれはなんだ。

 俺は目を凝らしてその正体を見極めようとした。

 眷属の手にしていたものは、恐らく注射器だった。

 その中に入っている何かが、眷属を怪物に変貌させているのは間違いなかった。

 狼男をさらなる怪物に変身させる薬。

 何者かが造った狂気の薬品が、いま俺を追い詰めようとしていた。

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