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狼はそこにいる 蛇精の少女  作者: ひなたひより
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第21話 巫女との逃避行

 コンビニを出た俺たちは、再びバイクに跨って走り出した。

 アテがあるわけでは無い。

 旅館には戻れないし、この知らない土地で頼っていける知り合いもいない。

 ただ、この娘を守るために、できるだけここから離れるしかなかった。


「ごめんよ。きっと君はもうあの家には戻れない」

「いいんです。こうなる運命だったんです」


 途中でガソリンを入れてから、西へ向かって、俺たちはまた走り出した。

 車も人もいない深夜の幹線道路。

 ハンドルを握る俺と、腕を巻き付けてしがみ付く少女。

 ずっと柔らかいものが背中に当たっているのが、今は気になっていた。

 まるで逃避行のようだ。

 俺は昔観た映画のワンシーンを重ねていた。

 とても孤独な少女と、その孤独さに惹かれた青年は二人で街を出た。

 映画はそこでエンディングを迎えたが、あの後、あの若者たちは幸せになれたのだろうか。

 恋人同士でもない、はみ出し者の狼男とまだ幼さの残る蛇精の巫女。おかしな組み合わせの、ありきたりなラブストーリーには絶対に抜擢されないキャスティングでの逃避行だ。

 きっとこの娘は幸せになれないだろう。

 不死身であろうが、奇跡を起こせようが、この少女はただのそこいらにいる娘なのだ。

 大人の保護を必要とし、誰かの愛を必要とする女の子なのだ。

 怪物たちの手で弄ばれることなどあってはならないのだ。


「このまま二人で、どこかへ行ってしまおうか」

「え? なんて言いました?」

「いや、何でもない」


 風を切る音が言葉を届けなくて良かった。

 感傷的になってしまった俺の、つまらないモノローグだった。


 バイクを走らせる道が薄っすらと明るくなり始めた。

 遠い山の向こうに朝日が昇り始めたのだ。

 随分長い距離を走った。

 俺はまだ開店していない道の駅にバイクを止めて、ノンシュガーのコーヒーを飲みながら朝日を眺めていた。


「夜が明けましたね」

「ああ。長い夜だった」


 陽巳香は暖かい缶入りポタージュスープを飲みながら、俺の隣に寄り添った。

 平気そうな顔をしているが、きっと不安でいっぱいなはずだ。

 俺が守ってやらなければ、この娘はきっと……。


「心配ないよ。こう見えて俺は色々顔が利く男でね。今はこうして逃げ回っているけど、すぐに君を安全な所に連れて行くからね」


 大嘘だった。それでもこの少女の不安が一時でも拭い去れるのであれば、俺は嘘つきでもペテン師にでもなるだろう。


「少し電話をしてくるよ。仲間に応援を頼んでくる」


 今頼れるのはあいつしかいなかった。

 直接携帯に電話は控えた方がいいのだろうが、情報を絞って話をすれば何とか大丈夫だろう。それともう一つ俺には別の打算があった。

 そして俺は如月に助けを求めた。


「どうした何かあったか」


 電話はすぐに繋がった。昨日も聞いた声なのに俺は妙な懐かしさを覚えた。


「ああ。少し進展があってな。その報告だよ」

「なんだ? 言ってみろ」

「実は今、蛇精の巫女を連れて逃走中だよ」

「なんだって! いったい何やってんだ!」


 冷静沈着な如月が素っ頓狂な声を上げてくれたので、少しは俺の心も愉快になった。


「馬鹿! お前、自分が何をしているのか分かってるのか」

「大声出すなよ。成り行きでこうなっただけだ」

「気狂いじみてる。付き合ってられないよ」

「なあ、如月、おまえは眷族の評議会の側だろう」

「当たり前だろ。それ以外何がある」

「俺は襲撃された。昨夜は本気で俺を殺そうとしていた。相手はあの蛇のバケモンだった。しかも三体まとめてかかってきやがった」

「本当か? しかし、よく無事でいられたな」

「ああ、俺は悪運が強いんだ。知ってるだろ」


 通信が傍受されている可能性を考え、陽巳香の超能力については伏せておいた。

 そして俺はここで少し緊張していた。ここから話すことが、恐らくこれからの俺たちの運命を左右するだろう。


「なあ如月、評議会とかけあって、蛇精の巫女からすべての眷族が手を引くように説得してくれよ」

「無茶言うなよ。俺にそんな権限はない」

「だが、今回調印書を破った眷族がいるのは確かだ。しかも組織的に介入し、評議会の裏をかこうとしている。絶対的な貴族の調印を軽んじている者を放っておくのかい?」

「それは、何とかしないといけないな」

「俺は調印書を破られて、いわば評議会に大きな貸しを作ったわけだ。蛇精の巫女の安全を保障してもらうくらい、あってもいいんじゃないか?」

「いや、それとこれとは……」

「俺は、巷では有名人だそうじゃないか。その俺が調印書はただの紙切れだと触れ回ったとしたら、どうなるんだろうな」


 恐らく如月も分かっていて俺と通話しているのだろう。内容を傍受しているであろう眷族は肝を冷やしているに違いない。


「分かった。すぐに掛け合ってみる。お前はその間静かにしててくれ」

「了解。頼りにしているよ」


 上手くいった。眷族は内部調査に乗り出さざるを得ないだろう。

 黒幕が白日の下に引きずり出されて決着つくまで、陽巳香を保護してやれば、何とかなりそうだ。


 希望が出て来た俺に、ポタージュスープを飲み終えた陽巳香が手を振った。

 俺は手を振り返すと、まだ飲み切っていなかった冷めたコーヒーを喉に流し込んだ。



 札幌は北の大地に広がる都会だ。

 俺がこの政令指定都市を選んだのは、人ごみの中の方が何をするにも目立ちにくいからという理由と、怪物は街中で表立って行動できないという二点を勘案したからだった。

 初めて都会に足を踏み入れた陽巳香は、目を輝かせて俺と街を周った。

 観光客に紛れて行動していれば、まず襲われる心配は無いし、陽巳香も俺も楽しめる。金はマリから貰ったものが十分残っていたので、少し羽を広げてみたのだった。

 俺は眷族の匂いに気を付けながら、陽巳香と共に行動した。月齢は十日になり、俺の体内には満月期に差し掛かった超感覚が満ちていた。

 日中に狼の能力を行使できる混血種と違い、眷族は月の出ている夜以外、能力を発揮できない。

 それが分かっているので、取り敢えず、日中はそこまで警戒しなくても良かった。

 それにしても昨日のあの三体は一体何だったのだろう。

 最初闘ったときは、明らかにただの狼人間だった。

 しかし復活したあと、奴らはあの怪物に変貌を遂げていた。

 もし、あのとき満月期の力を発揮できていなければ、簡単に血祭りにされていただろう。

 陽巳香の超能力のお陰で、こうして生き残れたといっても、言い過ぎではなかった。

 遠目にテレビ塔を望みつつ、大通公園を散策していると、自分がただの観光客であるかのような錯覚を覚えた。

 陽巳香はとにかくはしゃいでいた。俺の手を引いて、今まで目にしたことの無い新しいものを、その美しい虹彩の瞳に焼き付けていた。

 またバイクに乗るので、バイク用品店でヘルメットを調達し、風を通しにくい上着を二着購入しておいた。

 そのまま繁華街を二人で歩いていると、陽巳香が立ち止まって声を上げた。


「あれって何の行列でしょうか」


 陽巳香の指さしたのはラーメン店だった。


「ああ、あれはラーメン屋だよ。札幌は味噌、旭川は醤油ってね。並んでるとこを見ると、多分有名な店なんじゃないかな」

「そうなんだー」


 好奇心が半端ない。これは絶対食べたいに違いない。


「えっと、並んじゃう?」

「はい」


 ウキウキしている陽巳香に手を引かれて、俺たちは行列に並んだ。

 なかなかいい匂いが店の外まで漂っている。これは期待できそうだ。

 その時胸ポケットの携帯が振動した。

 取り出して確認すると、会社からだった。

 俺は、周りに会釈して、少し列から外れて電話を取った。


「係長お疲れ様です」

「ああ、三島君。お疲れ様」


 この前は最後の最後に勘違いさせてしまい、思い切り電話を切られた。

 声の感じからして、今日はなんとなく機嫌は治っていそうだ。


「どうですか、そろそろ帰って来れそうですか?」

「ああ、そうだね。まあ、もうちょっとかかりそうかなー……」

「忙しそうですね。ちゃんと食べていますか」

「うん。食べてるよ。それなりに」


 少し話が途切れて、また聡子の声が聴こえて来た。


「今、みんな出払っていて、部屋には私だけなんです。その、この間はあんな電話の切り方をしてすみませんでした」

「いや、いいんだよ。何にも気にしてないからね」

「それでその……」


 聡子は躊躇いながらその先を続けた。


「このあいだ、電話で係長に話しかけてた女の人って……」

「ああ、あれ? あれは旅館の娘さんだよ。美味いソフトクリームがあるからって近くを案内してくれたんだ」

「えっと、それでお幾つくらいの娘さんなんでしょうか」

「高校生だよ。なんでも亡くなったお父さんに、俺が似てるんだって、ひょろっとしてて、お調子者だったらしいよ」

「お父さんですか。へえ、そうだったんだ」


 何だか声が明るくなった。やはりヤキモチを焼かれていたみたいだ。

 俺みたいな痩せ狼にヤキモチを焼いてくれるのは、世界中探してもこの娘だけだろう。


「あの、帰って来られたら、また係長の家に行ってもいいですか……」

「え、そうだね。うん……」

「じゃあ、楽しみに待ってますね」


 電話を切ろうとした時だった。


「大上さーん。早くしてくださーい。私もう待てないですー」


 行列が進んで、陽巳香が店に入ろうとしていた。

 最悪のタイミングだった。


「なんですか今の声は……」

「いや、あれはその……」

「さっさと行ったら如何ですか。女性が待っていますよ」

「うん。そうする。そうするけど……」

「ガシャン」

「あ」


 そしてラーメンは美味かった。しかしなんだか苦い味が俺の口の中には残ったのだった。



 札幌を出た俺たちはそのまま小樽を目指した。

 海が見たい。

 陽巳香がそう言ったからだった。

 そして遠くまで続く、冷たい風の吹くビーチで俺はバイクを停めた。


「ここでどうかな」

「はい。すごいです」


 潮風の吹く誰もいないビーチ。

 透明度の高い海は、夕日のオレンジを映し出していた。


「すみません。わがまま言って」

「いいんだよ。俺の方こそ君が誘ってくれなきゃ、こうして海を見に来る機会なんてホンッとに無いんだから」

「あなたは優しすぎるわ……」


 潮風で乱れた髪を押さえながら、陽巳香は沈みゆこうとしている夕日に目を向けていた。


「足を浸けてみてもいいですか」

「いいけど、相当冷たいと思うよ」

「じゃあ行きましょう」

「俺も? じゃあ行ってみますか」


 靴を脱いで冷たい砂を足裏に感じると、意外と心地がいいことに気付いた。そのまま波打ち際でまで行って、二人とも足を浸してみる。


「つめたーい!」

「そりゃそうだよ。まだ四月に入ったばかりなんだから」


 陽巳香はその冷たさを愉しむように両手を浸して、しぶきを俺に飛ばしてきた。


「ちょっと、やめてくれよ」

「フフフフフ」


 夕日に煌めく海を背景に、あどけない少女は長い時間はしゃいでいた。

 また空気が一段と冷たくなり、眩しかった夕日が水平線の向こうに隠れ始めた。

 足に纏わりつく砂を払って靴を履いたあと、バイクに向かおうとする俺の袖を陽巳香は指先で摘まんだ。


「最後に一つ、わがまま言っていいですか」

「いいよ。君の願いだったらなんだって聞くさ」


 そして陽巳香は最後の願いをそっと口にした。

 あのあどけない、微笑みを浮かべながら。


「私をまた、蛇神様の神域へと送っていただけませんか」


 そのひと言に、俺は一瞬言葉を失った。


「どうして……あそこに戻ったらまた君は……」

「残していった村の人たちが気になるのです。どうしても私は生まれながらにして蛇精の巫女なのでしょうね。蛇神様と共に生き、命をを全うするための器なのだということを、神域から離れて強く感じました」

「そんな、そんなことない。君は普通の女の子だ。おしゃれして、友達と遊んで、これから恋だってするただの女の子なんだ。何かの運命に縛られなくていいんだ」


 必死で説得しようとする俺の言葉は、この少女には届かないのだろう。最初から、きっと彼女はそう決めていたのだ。


「私はあなたから、普通の女の子として過ごす時間をもらいました。それで十分なのです」

「そんな……駄目だ。いくら君の頼みでもそれだけは出来ない。君をあそこへ帰してしまうなんて……」


 何を言ってもこの娘の意思は変わらないと分かっていた。それでもどうしても行かせたくなかった。


「このまま、俺と一緒に遠くへ逃げよう。誰も君を知らない遠い所へこのまま……」


 そして陽巳香の目から一筋の涙がこぼれ落ちた。


「ありがとう。あなたが言ってくれたその言葉、忘れません」


 もうそれ以上何も言えなかった。

 俺は、陽巳香を抱きしめて涙を流した。せめて今だけ、少女を冷たい潮風から守ってやりたかった。

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