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狼はそこにいる 蛇精の少女  作者: ひなたひより
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第20話 真夜中の逃走

 深い森の樹々に月明りを遮られた林道を、三体の怪物達が駆け下りて来ていた。

 俺の背後では、バックで突き進んでいくオンボロのバンのエンジン音が唸り声を上げていた。

 石ころだらけの悪路を退いていく車のヘッドライトは、時折怪物達の姿を照らし、闇夜に禍々しいその概観を浮かび上がらせる。

 ぬらりとした光沢を放つ鱗に覆われた怪物は、悪鬼の如く真紅の眼玉を燃え上がらせて、今まさに俺に迫っていた。

 俺の中の狼の闘争本能が、恐怖を凌駕した。


「うおおおおおおお!」


 雄たけびを上げた俺に向かって、怪物達は突進してきた。

 だが、追い縋って来た怪物たちは、あっさりと俺の頭上を跳び越えて行った。

 最初から奴らの狙いは陽巳香だ。俺との戦闘に時間を割く気はないらしい。

 俺は跳び超えて行った怪物を全力で追いかけた。

 バンは狭い林道の路肩すれすれを、かなりのスピードでバックで下っているが、追いつかれるのは時間の問題だった。

 俺は何とか追いついた最後尾の怪物の脇腹に体当たりして、急斜面の崖から突き落としてやった。こんなことで死ぬ奴ではないが、時間は稼げる。

 バックで下っているバンのライトが、闇に慣れた目に入って眩しい。

 俺は目を細めながら、次の怪物に追い縋った。

 追いついた俺に背中に飛び掛かられた怪物は、そのまま転倒し、俺と一緒に石ころだらけの林道をゴロゴロと転がった。

 殆ど同時に立ちあがると、間髪入れずに俺は飛び掛かった。

 満月時に匹敵する力で怪物の喉元に拳を叩きこむ。急所への容赦ない一撃だった。

 口から血反吐を吐きながらもんどりうった怪物の腹に、俺は渾身の蹴りを放った。

 吹っ飛ばされた怪物はそのまま崖に転がり落ちていった。

 二体の怪物を片付けた俺は、すかさずバンに向かって駆け出した。

 最後の怪物は既に車に取り付いていた。

 フロントグラスは粉々に砕かれていたが、何とか車を退かせながら、下月は怪物と応戦していた。

 ようやく追いついた俺は、怪物の背中に跳びついて、後ろから首を締めあげた。

 頑丈な喉だ。俺の締めあげる力に喉の筋力だけで、怪物はしばらく抗った。

 怪物は俺の腕を振り解こうとせず、下月の握るハンドルに手を伸ばした。


「まずい!」


 俺が叫んだ時には、もう車体は方向を変えていた。

 急ブレーキで、崖からの転落は免れたものの、片側のリアタイヤが脱輪していた。

 一瞬気を取られた俺の顔に、激痛が走った。怪物が俺の顔面に後頭部を打ち付けたのだ。

 一瞬意識が遠くなって、俺は後ろに倒れ込んだ。

 背中から荒れた林道に倒れ込んだ俺の耳に、銃声が聴こえてきた。


 ドン!


 髭男が猟銃をぶっ放したのだろう。車の鼻面に取り付いていた怪物が、勢いよく吹っ飛んだ。

 俺はすかさず立ちあがり、顔面を押さえながらのたうち回る怪物の脇腹を思い切り蹴り上げた。

 怪物は五メートルほど吹っ飛び、口から血塊を吐き出した。

 相手はすぐに立ち上がったが、足元はふらついたままだ。俺はこの好機を逃すまいと突進した。だが、貫手で心臓を狙った一撃は、怪物の皮膚に阻まれた。

 固いというよりも力を上手く逃がされた感覚だ。全身を覆っているであろう不気味な鱗は、狼の爪を通さなかった。

 それでも相当な圧力を心臓に受けた為、怪物は血の泡を吐いて昏倒した。

 きっとまた息を吹き返すだろうが、俺には優先するべきことがあった。

 俺は車に駆け寄ると、割れたガラスのせいで風通しの良くなった窓越しに、陽巳香たちの無事を確認した。


「みんな無事か?」

「ああ、何とか。しかし、あんたすげえな。あんなのを三体も片付けやがった」


 下月は感心したように賛辞をくれたが、今はいい気分になっている余裕などなかった。


「そんなことはいい。脱輪した車を戻すからハンドルを頼んだぞ」


 俺は車の後ろに回ると、傾いた車体の縁に手をかけた。

 みなぎる力を爆発させて、俺は車を持ち上げると、林道に戻した。


「下月、あともう少しだ。俺は屋根の上で追手を見張る。頼んだぞ」

「ああ、任せとけ」


 再びバックし始めた車の上で、俺はさっき崖から突き落とした二体の怪物の気配を探っていた。

 順調に坂を下り、もう少しで転回できそうな場所というところで、俺は見たくなかったものを目にしていた。

 闇の中に浮かび上がった四つの赤い光点は、紛れもなくあいつらの存在を示していた。

 嫌な予感は見事に的中した。やはりこのまま、ただでは山を下りさせてくれそうもなかった。

 先回りしていた二体の怪物を同時に始末するのは難しい。奥歯を噛みしめた俺は、背後にさらなる嫌な気配を感じた。


「もう回復しやがった……」


 さっき昏倒させた一体が背後に迫って来ていた。

 活路を見出せそうにない挟み撃ちの状況に、俺は一つの賭けに出た。


「車を停めろ!」


 大声で俺が叫ぶと、下月はブレーキを踏んでバンを停止させた。

 逃げ場のなくなった俺たちに、怪物たちはじりじりと近づいてくる。

 俺は屋根から飛び降りて、助手席のドアを開けて叫んだ。


「来い!」


 陽巳香は素直に俺の腕に身を預けた。俺はそのまま後部のドアを開けて陽巳香を押し込んだ。

 ハンドルを握ったままの下月は、俺の奇行に当然の質問を投げかけてきた。


「いったい何をする気だ!」

「俺と陽巳香が囮になる。あいつらの狙いはこの娘だけだ」

「まさかそいつで……」

「ああ、うまく逃げ切ってやるさ」


 俺は荷室に積んであったKDX250SRに陽巳香を乗せると、キックスターターを蹴り込んだ。

 一発で始動したKDXは、甲高いエンジン音と酷い排気ガスを荷室にまき散らした。

 同時に後部ハッチを全開にした下月は、俺に拳を出して親指を立てた。

 スタンドを上げて俺は叫んだ。


「しっかり掴まってろ!」

「はい!」


 アクセルを捻ると、KDXは前輪を浮かせながらバンから飛び出した。

 まさかのバイクの登場に、流石の怪物も泡を食ったみたいに動きを止めた。

 予想通りの反応をしてくれたおかげで、俺は二体の怪物の間を一気にすり抜けることが出来た。あとはオフロードレーサー並みの反射神経を存分に生かして、このじゃじゃ馬を疾走させるだけだ。

 バックミラーに目をやると、六つの赤い光点が、俺たちを追撃してきていた。

 いいぞ。ついてこい。

 俺はニヤリとして、口元に犬歯を覗かせた。



 怪物達の脚は怖ろしく速かった。

 しかし俺の操る鉄のじゃじゃ馬は、あいつらの脚を軽く凌駕した。

 相当しつこく食らい付いて来たが、麓に降りるまでにはバイクのミラーから消えていた。

 俺はそのまま、陽巳香を乗せて、幹線道路をアクセル全開で疾走していた。

 完全に振り切ってから、さらに相当な距離を走った。

 そして俺はコンビニの駐車場で、ようやくバイクのエンジンを切った。


「疲れたかい?」

「いいえ。ドキドキでした」


 ややズレている返答に、俺は軽く笑ってしまった。


「きっと君は、俺達と同様に疲れないんだろうね。でもお腹は空くだろ」

「はい。空いてきました」

「じゃあ、コンビニでなんか買って食べよう。俺もあいつらのせいで晩飯を全部腹から出しちまったし」

「コンビニも初めてなんです。佳奈恵ちゃんから聞いていましたけど」

「そうかい。じゃあ俺がエスコートするよ」


 そして俺は弁当三つと牛乳一パックを選び、陽巳香はシュークリームとコーラを選んだ。

 イートインで、三つの弁当を軽く平らげ、牛乳をがぶ飲みしている俺の隣で、陽巳香は美味しそうにシュークリームを食べていた。

 コーラに口をつけた陽巳香は、すぐに眉をしかめた。


「変わった味の飲み物ですね」

「コーラは初めてかい?」

「はい。噂には聞いていましたが、飲んだのは今夜が初めてです」

「好きか嫌いかで言うと、どっちかな?」

「ちょっと苦手かも……」


 そのあと陽巳香に苺牛乳を買ってやり、俺は飲みかけのコーラを頂いた。

 コンビニ内に併設されたイートインには、俺たち以外誰もいなかった。

 大きな窓から見える駐車場には、俺の乗って来たバイクだけ。

 田舎の深夜営業のコンビニとは、おおよそこんなものなのだろう。


「これは美味しいです」


 苺牛乳をストローでチュウと吸いながら、陽巳香は無邪気な笑顔を見せた。

 この娘は本当に穢れを知らない空気感がある。

 いったい今いくつなのだろうか。


「君は今いくつなんだい?」

「私ですか? 三月に十六になったばかりです」


 ほう、そうか。高二の佳奈恵と同い年なのだろうな。

 そう言えば、このまえ十六歳になったら、殿方とどうだとか……。

 いやいやいや、余計なことは考えるな。この娘はなんだか心の中を見透かしているようなところがある。

 隣でコーラを飲んでるおっさんが、やらしいことを想像しているとバレたらえらいことだ。

 俺は妄想を振り払って、全く違う話題に舵を切った。


「今日、なんだかやたらと調子が良かったんだ。お陰であいつらと対等に渡り合えた。やっぱり君のお陰かい?」

「きっと祈りを捧げたわたくしに、蛇神様が力をお貸しくださったのでしょう。それだけのことなのです」

「でも助かったよ。ありがとう」


 自分たちと違って、この娘に宿る神は、他の者に影響を及ぼすことができる。この不思議な力に魅了され、眷族の間で争奪しようとしている奴がいるのも頷けた。

 しかし、何故大昔に悲惨な末路を辿ったはずの巫女の末裔がここにいるのだろうか。


「質問ばかりで悪いんだけど、もう一つ聞いていいかな」

「はい。なんでしょう」

「伝承では巫女は死んでしまったんだったね。どうやって君のような巫女が現代に復活したんだい?」


 陽巳香は魅力的な紅い虹彩の瞳を動かして、少し考えるようなしぐさを見せた。


「それは分かりません。私は母から神の言葉を聞いたという話を聞かされました」

「それはどういう?」

「もともと神社で巫女をしていた母は、ある日、蛇神様の夢を見たそうです。蛇神様は言ったそうです。生まれてくる赤子に巫女の魂が宿る。そして再び蛇精の力を分け与えると」

「蛇神が夢枕に……そこでお母さんの受けたお告げが実際に起こったと……」

「はい。そして生まれた私は紅い虹彩の瞳を宿していて、神官は蛇精の巫女に間違いないと、ずっと閉ざしていた神域の門を開いて、私と母を下界から遠ざけたのです」

「お母さんとあそこで暮らしていたのか。それでお母さんは今どこに?」

「母は私が十歳の時に亡くなりました。それからは私一人で生活しております」

「何てことだ……十歳の子を一人で……」


 俺は愕然となった。いくら神の使いで、近寄りがたい存在だとは言え、年端もいかぬ少女を神域に一人住まわせていたなど、信じがたい仕業だった。


「週に三度、わたくしの元を村の巫女たちが訪ねてきて、身の回りの世話をしてくれておりました」

「しかしあそこには池があって、その上、岩の扉で封印されていたよね」

「あの岩の扉は彼女たちが訪れてきた時に私が開いておりました。池はそこまで深くなくて、神域に入るためのみそぎとして、皆そこを胸まで浸かって歩いて渡っておりました」


 俺はそれを聞いてブルっと震えた。


「聞いただけで寒そうだな。冬場はきついだろうな」

「いいえ、冬場はずっと凍っております。濡れないで来れると巫女たちは喜んでおりました」


 俺は陽巳香の話を聞いていて、彼女のことを少しだけ理解した。

 蛇精の巫女である前に、彼女はとても孤独な少女だった。


「佳奈恵ちゃんのお母さんは、ひょっとすると村の巫女だったんじゃないのかい?」


 陽巳香は少し驚いたような顔をした。どうやら俺の推理は当たっていたようだった。


「どうしてわかったんです?」

「いや、そんな気がしただけさ。女将は俺があの旅館に泊まっている間に、二度ほど半日以上留守にしていたんだ。それだけなんだけど、当たったみたいだね」

「ええ。本当はいけないことなのでしょうけど、私は彼女から娘の病気のことを聞かされたのです。彼女は禁忌を犯して私を村に連れて行き、娘と引き合わせた。そして私は佳奈恵ちゃんと友達になった」


 ようやく、あの母娘と陽巳香の繋がりがはっきりとした。

 偶然ではなく、全て必然であったわけだ。


「女将は月夜の夜に君を旅館まで送り迎えしていた。神域に出入りしている巫女以外は神官を欺くことはできなかっただろうからね」

「はい。大上さんのおっしゃる通りです。あの方は私を娘のように扱ってくれました。そして佳奈恵ちゃんとの密会を黙認してくれたのです」

「そうか。君はあの母娘に救われたんだね」

「はい。そしてあなたにも」


 素直にそう言われて、きっと柄にもなく俺は紅くなった。

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