表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
狼はそこにいる 蛇精の少女  作者: ひなたひより
19/28

第19話 狼たちの夜

「ううおおおおおおお!」


 俺の腹の底から自然と沸き上がった雄たけびは、暗く深い森に響き渡った。

 体内の奥底にある凶暴なエンジンに火が付いたのを俺は感じた。

 この時期には決して訪れることの無い破壊的な力が俺の中に出現し、血管内を凶暴なエネルギーが流れ始めた。


「ごおおおお!」


 二体の眷族が俺に鋭い爪を走らせた。

 俺は真っすぐ上に跳躍していた。

 空中で身をよじり、一体の頭部に俺は足を走らせた。

 俺の蹴りはそいつの顎を砕いて、五メートルほど弾き飛ばした。

 変形した口の端から血の泡を吹きながら、男は沈黙した。

 もう一人は弾き飛ばされていった仲間を見て焦りを見せたものの、俺の間合いに入って強烈なボディーブローを入れてきた。

 着地した瞬間を狙われたので、パンチはまともに俺の腹に食い込んだ。

 鋼鉄の柱を腹に食らったような衝撃だった。

 五メートルほど弾き飛ばされた俺は、胃の内容物を血塊と共に吐き出した。

 口と鼻から血を滴らせながら、俺は次の攻撃に備えて身構えた。

 まともに打撃を食らった俺を仕留めようと、相手は一気に俺の懐に飛び込んできた。

 俺はその顔に、口の中に残しておいた胃の内容物を勢いよく吐き出した。

 怯んだ相手の喉元に、俺は掌底を思い切り打ち込んだ。

 のけ反った相手の脇腹に容赦のない肘打ちを叩き込む。骨が砕ける感触が腕に伝わってきた。


「ぐううう」


 うめき声を上げながら、相手は飛び退って間合いを取った。

 流石に眷族だ。タフさが半端ない。人のことは言えないが、普通なら完全に即死であろう一撃を、倒れずに耐えていた。

 そして顎を蹴り砕かれたもう一体も、息を吹き返してゆらりと立ち上がった。全くしぶとい野郎たちだ。

 下月は少し離れたところで、まだ眷族の一人とつかみ合いの死闘を演じていた。

 少し手を貸してもらいたいところだが、あっちはあっちで忙しいみたいだ。

 俺は、ツーラウンド目に備えて、息を整えた。腹に受けたダメージは相当なものだったが、意外と早く回復していた。

 どういうわけか、俺の体内の高出力エンジンは調子よく唸りを上げ続けている。

 これならば、まだまだいけそうだ。


「ごおおおおお!」


 顎を蹴り砕いたのに、器用に咆哮を上げて飛び掛かって来た。そしてもう一体もすかさずその後に続いてきた。

 連続攻撃を捌き切り、俺は前にいたやつに強烈なローキックをお見舞いした。ぐしゃりと音がして、男はたまらず膝をついた。

 狙いを絞って膝の皿を砕いたのだ。これでこいつはしばらくは動けないだろう。

 これで一対一。

 相手に少し焦りの色が見え始めていた。明らかに自分たちより強靭な相手に、戸惑っているかのようだった。

 恐らく、ここが蛇神の住む聖地であるからなのだろう。俺は満月とまではいかないながらも、今の月齢ではありえない力と再生力を発揮していた。

 その証拠にいつの間にか腕に突き刺さっていた弾丸は抜け落ち、肩甲骨の下を貫通していった弾丸の残した穴は塞がっていた。

 今度は俺の方から一気に間合いを詰めた。その速さに反応できなかった相手に、俺は強烈な正拳突きを放っていた。

 胸骨を砕いた正拳突きは心臓に到達するほどの威力で、悲鳴すら上げるいとまを与えず男を吹っ飛ばした。

 数メートル先で倒れ込んだ男は完全に沈黙した。

 膝を庇いながら立ち上がったもう一体に、俺は容赦のない一撃を加えた。まともに俺の蹴りを首筋に受けた男は、白目を剥いて昏倒した。

 二体の眷族を倒した俺は、揉み合っていた下月の様子を窺った。

 下月は血まみれではあったが、口に肉片をぶらぶらさせながら、俺の元へとやって来た。どうやら片は付いたらしい。


「そっちも片付いたみたいだな。しかし、それ、おまえ食う気なのか?」


 俺は口元でブラブラさせている気味の悪い肉片を指さして聞いてみた。

 下月はその肉片を唾と一緒にベッと吐き出した。


「喉の肉を噛みちぎってやったんだ。腐れ眷族の肉なんて誰が食うか」

「まあ、その方がいいかもな。しかし助かったよ。かなりヤバい状況だった」

「ああ、間にあって良かったよ。別動隊がいたことを俺は知らされていなかったんでね。結局俺の部隊は咬ませ犬で、こいつらが実行部隊だったみたいだ。危うく騙されるところだった」


 昨日話した時は、すぐにカッとなる単純な奴だと思ったが、なかなか頭の働く奴だったみたいだ。


「良く気付いてくれたよ。礼を言わせてもらうよ」

「あんたからの礼はたいして値打ちがないからいらないよ。それより巫女さんは大丈夫なのか?」

「ああ、そこの建屋の中にいる。ほら、出て来たみたいだ」


 月明りの下に陽巳香はスッと現れた。その後に大柄な髭男が自力で立って歩いて出て来た。その回復ぶりに俺はまた驚嘆させられた。


「殆ど死にかけていたのに……奇跡としか言いようがない」

「大上さん、すまねえ、あんたが俺を運んでくれたんだってな」

「いいんだよ。でもあの二人は残念だった。ところで利夫さんともう一人はどうしたんだ?」

「あの二人は今買い出しに行ってるよ。三人で酒を飲みながら待っていたところを襲撃されたんだ。逃げ回るのが精いっぱいだった」


 完全に息絶えていた二人は、いかに蛇精の巫女でも救えない。死者を復活させることはたとえ神でも無理なのだ。

 陽巳香は死体の山を前にして悲痛な顔をしていた。


「また多くの血が流れてしまったのですね。悲しいことです」

「でも一人は救えた。俺と下月が倒した相手は人殺しを専門とする連中だ。こいつらのことは悲しむ必要は無いよ」

「……そうですね」


 そして陽巳香は、血にまみれた俺と下月にスッと近寄ってきた。


「怪我をしていますね。大上さんは殆ど治癒していますが、下月さんはかなり深手を負っておられる様子。あちらで治療いたしましょう」


 そう言って陽巳香は下月の手を引いて建屋の中へと連れて行った。

 神の使いに手を引かれ、もう一人の狼男はやや恐縮しながらついて行ったのだった。

 俺は下月の治療が終わるまで、死体の片づけをしながら待つことにした。

 周囲には血の臭いが充満していた。何度嗅いでも慣れることの無い臭いだ。

 かつて聡子の血を口にしたとき、その甘い味と匂いに酔いしれた。しかし、ここに溜まった殺し屋たちの血は、反吐が出るほど臭かった。

 同じ血でも、これほどまでに違いがあるものなのか。

 しかし……。

 三人も眷族を始末してしまった。俺が殺ったのは実際二人なわけだが、正当防衛とはいえ、如月になんと言って報告すればいいのだろうか。

 また頭の痛い問題が持ち上がって、俺は顔をしかめた。

 だが死体を積み上げていた時に、俺は眷族の三人が未だ生きていることに気付いた。


「まったく、本当にしぶとい連中だよ」


 脳天を石で潰しておくか? それともこのまま燃やしちまうか?

 悩んでいた俺は、信じられないものを目にした。

 虫の息だった眷族が、変身し始めていた。しかもただの獣人化現象ではなかった。

 眷族たち三人の腕にはびっしりと光沢のある鱗が浮き上がっていた。

 それを目にして、生理的な恐怖から全身の毛が逆立ち、俺は飛び上がった。

 かつて俺が対峙した、あの禍々しい怪物と同じ臭いがし始めていた。


「何が起こっているんだ……」


 恐怖に駆られた俺は、建屋に跳び込んで陽巳香の治療を中断させた。


「今すぐここから逃げるんだ。俺はおっさんを抱えるから、あんたは陽巳香を頼む」

「いや、無理だ。神様を抱えるなんて俺にはできない。あんたが巫女様を担いでくれ」

「どっちでもいいからさっさとしろ!」


 叱咤が効いたのか、少し元気になった下月は髭面を軽々と背負って建屋を飛び出した。俺も陽巳香を抱えて後に続く。


 建屋を出た俺は振り返らず里の出口に向かった。

 そのまま林道を駆けおりて、取り敢えずは路上に停めてあるバンを目指す。


「振り返るな! 全力で走れ!」


 俺の口から出た叫びは恐怖に囚われていた。

 冷たい汗をかきながら走り続ける俺のずっと後ろに、言いようの無い不気味な気配が確かにある。怪物たちが忍び寄ってきているのを俺ははっきりと感じていた。

 死に物狂いで林道を走り抜け、俺たちはようやくオンボロのバンに到着した。

 陽巳香と髭男を車に押し込んでから、俺は叫んだ。


「下月。運転を頼む!」

「なんで俺なんだ」

「いいから頼む。俺はここで、あいつらを食い止める」

「俺もここであいつらと闘うぜ」

「駄目だ。早く車を出せ。二百メートルほどバックしたら少し開けた場所があるから、そこで方向転換しろ。そこからはアクセル全開で山を下りるんだ」

「二百メートルバックって、冗談言うなよ」

「冗談なんか言ってる場合じゃないんだ。いいから早く行け!」


 下月が車を発進させた後すぐに、俺は追い縋ってくる怪物たちの眼光を捉えていた。六つの真っ赤な光点が、こちらに向かって猛スピードで迫って来ていた。


「ありがたい……」


 俺は全身に冷や汗を流しながら、再び体内の高出力エンジンが始動したことを感じていた。

 何故死にかけていた眷族たちが、あの蛇の怪物に変貌したのかは分からない。

 分かっているのは、これから最悪の怪物三体と闘わなければならないということ、それだけだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ