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狼はそこにいる 蛇精の少女  作者: ひなたひより
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第17話 少女と少女と狼男

 蛇精の巫女、陽巳香に、俺は自分が何者であるのかを包み隠さず話した。

 陽巳香は、俺の持参した温かくもないハンバーガーを美味しそうに齧りながら、話を真剣に聞いていた。

 現代に生きる、伝説の怪物のことを聞き終えても、少女は笑顔を絶やすことは無かった。


「この世界は私の知らないことばかり。この美味しい食べ物も」


 春の日差しが、穏やかな光を落とす縁側で、噛み締めるようにハンバーガーをゆっくりと味わう少女を、俺はここから連れ出してやりたくなった。


「君の知っている世界はここだけかい?」

「佳奈恵ちゃんに会いに行く時だけここを出ます。村人たちは、人知れず私をここへ閉じ込めておきたいんです。過去に恐ろしいことが起こったから」

「あの伝承のことだね」

「はい。村人以外の病を癒した巫女は、悲惨な運命を辿った。村人たちは信仰する蛇神様の使いである私の存在を、ひた隠しにしています」

「そうか、難しい問題だね……」


 俺は少女の言葉を聞きながら、今自分にできることを考えていた。

 昨日旅館でもう一人の少女が言っていた言葉が、俺の頭の中にはずっと残っていたのだ。


「聞きなれない言葉かもしれないけど『くそくらえ』って君は知ってる?」


 俺の言ったキーワードに、陽巳香はクスクスと笑い出した。


「ええ、知ってますよ。佳奈恵ちゃんがしょっちゅう言ってましたから」

「昨日俺もそれを聞いたよ。俺も彼女のくそくらえが気に入っててね。どうだい。俺と一緒にくそくらえってもんを体験してみないか」

「くそくらえを体験する?」


 訳の分からないことを言い出した俺に、陽巳香は首を傾げた。


「ここは蛇神様の住む場所で、君がいなきゃいけない世界じゃない。都合のいいことに、君をここから連れ出せる狼が遊びに来ている」


 その意味を理解した少女は美しい目を輝かせた。


「どうだい? 狼の背に乗って散歩に出かけてみるってのは。ちょっと遠出になると思うけど」


 ちょっと気の利いたセリフで誘った俺に、陽巳香は嬉しそうに微笑んだ。



 ハンバーガーをきっちり食べ終えた俺たちは、こっそりと神域を抜け出した。

 髭男たちは別に見張りをしているわけでは無く、畑仕事をせっせとしていた。

 俺は男たちにそろそろ帰ると一声かけて、隠れていた陽巳香を後ろに乗せて、バイクを発進させた。

 陽巳香にヘルメットを着けさせたので俺はノーヘルだ。風の心地よさと悪いことをしている高揚感がたまらない。

 俺は甲高い騒音を響かせながら、少女をさらって山を下りたのだった。



 山を下りて、俺はどう見ても個人経営であろう幹線道路沿いの中古車屋へと立ち寄った。

 レンタカーは足がつきそうなので、持ち前の交渉力で車を貸してもらう計画を立てたのだ。

 場当たり的な作戦だが、意外とこれが俺には性に合っている。人懐っこく手を合わせて頼み込むと、意外とあっさりこれもまた髭面のオーナーが車を貸してくれた。


「一泊一万円。ガソリンは満タンにして返せ」


 俺は礼を言って、乗って来たバイクをちょっとボロいバンの荷室に積んだ。これで二列目のシートは使えないが、前列に三人座れるので問題なかろう。

 キーを回すと、外見の割にはエンジンは快調そうだった。俺はありがたく髭面のオーナーに手を振ると、ゆっくりとバンを発進させた。

 それから俺が向かったのは、佳奈恵が通う高校だった。

 高校がこの辺りに一つしかないので、簡単に見つけられた。

 そして今、滅茶苦茶不審な男が、校門付近で誰かを待ち伏せるかのように時間を潰している。

 下校する生徒たちは校門を通って行く度に、変質者を見る目を俺に向けてくれた。

 ようやく佳奈恵が現れたのは、二十分ほど経ってからだった。


「あれ? 大上さんじゃないですか。どうしてこんなところに」

「まあ、話すよりその目で見た方が早いと思うよ。ささ、こっちへ来て」


 俺が案内した車の中にいた陽巳香を見て、佳奈恵は思わず声を上げた。


「えーーーっ!」

「ね。見た方が早かっただろ」


 俺は佳奈恵を乗せ、自転車をバンの荷室に積み込んでから、車を発進させた。

 ハンドルを握る上機嫌な俺に、佳奈恵は流石に呆れ顔を見せた。


「大上さんって、ホンッと信じられない」

「そうかい。そりゃどうも」

「陽巳香も陽巳香よ。こんな日中に外へ出てくるなんて」

「へへへへ」


 全く悪びれる様子もなく、陽巳香はぺろりと舌を出した。


「それでこれからどうするんですか? 見つかったらアウトですよ」

「大丈夫だよ。そもそもこの子の顔を知っている者は限られている。服を着替えて普通の女の子に化けりゃあ大丈夫だよ」

「適当な計画だわ」

「取り敢えず、旅館に戻って君の服をこの子に着せるんだ。それからソフトクリームでも食べに行こう」


 陽巳香のワクワク感が半端ない。

 頭を抱えている佳奈恵には悪いが、俺もちょっと興奮していた。



 学校をさぼって外で遊んでいるような、そんな感じのおかしなドキドキを、俺は少女二人と味わっていた。

 齢三十五にして初めて味わう、女子高生とのサボり感覚だった。

 この間、佳奈恵に案内してもらったソフトクリーム屋で、陽巳香はたまらないといった顔をしていた。


「美味しい。なにこれ? 牛乳がこんな感じに化けるわけ?」

「へへへ。美味しいでしょ。ここのソフトは北海道一なんだから」


 スイーツで盛り上がる二人はキラキラしていた。俺とえらい違いだ。

 確かに美味いソフトクリームをべろべろしながら、俺は二人に行きたいところがないか聞いてみた。


「俺にはJKの行きたそうな所なんて思い当たらないからさ、二人で相談して決めてくれよ。運転手はどこへでも連れて行ってやるからさ」


 佳奈恵がいるからその点は助かる。俺がソフトを食べ終える頃には、もう次の目的地は決まっていた。


「ちょっと遠いけどショッピングモールに行きたいの。陽巳香をコーディネートしてあげたくってさ」

「おお、いいねえ。時間は大丈夫かい?」

「お母さんには友達の家に行くって電話入れとく。旅館は暇だし人手は足りてそうだから、大丈夫だと思う」

「了解。じゃあ案内してくれ」

「それでその、ちょっと言いにくいんですけど……」


 佳奈恵が俺の顔色を窺うように、上目遣いの視線を向けてきた。


「持ち合わせがあんまりなくって……それでその……」


 俺はプッと吹き出した。ちょっと申し訳なさげな感じが、けっこうサマになっていた。


「心配ないよ。俺はこの子に大きな借りがあるんだ。命以外なら喜んで捧げるよ」

「大袈裟ですね。この子にどんな借りがあるのか知りませんけど、助かります」

「よーし、じゃあ行くぜ」


 軽快に走り出したオンボロのバンは、女子高生と狼男と蛇精の巫女を乗せて疾走していく。

 他愛無い、少女二人の盛り上がる会話をBGMに、俺も少し下手くそな鼻歌を歌うのだった。



 元の素材がいいのだろう。佳奈恵がコーディネートした洋服で、陽巳香は見違えるほど垢抜けて可愛くなった。

 相変わらず白い肌が際立っているせいもあってか、その可憐な美しさに、振り返る男が後を絶たない。


「なんだか、皆さん私を見ているような……気付かれてしまったのでしょうか」

「いや、違うよ。あいつらはあれだよ。その、君とお話ししたいなって思ってるんだよ」

「わたくしとお話ですか? ええ、望むところです」

「いやいやいや、そうじゃなくって、例えだよ。つまり君が気になっているんだよ」

「やっぱり私、浮いてるんですか?」

「いやそうじゃなくって……」


 世間の埃にまみれた俺には、まっさらで純真な少女はなかなか扱い辛い。

 そこは佳奈恵がいるのでちゃんとフォローしてくれる。


「陽巳香が可愛いって、大上さんは言ってるのよ」

「私が? 可愛い?」

「そうよ。誰がどう見たって可愛いわよ。ね、大上さん」


 この世代の子たちはこういった感じで日常話すのだろうが、俺はその辺はてんでだらしない。素直に人の容姿を褒めることをしてしまうと、会社ではセクハラとして認識されかねないのだ。


「うん。俺も佳奈恵ちゃんと同意見だよ。もうググっと来ちゃうって感じだよ」


 ググってなんなんだよ! 良く分からない曖昧な表現だと我ながら思った。やはり佳奈恵がいてくれて助かった。

 それから、雑貨を見て、お揃いのマグカップを買い、ゲームセンターでぬいぐるみを取った。

 夕食はステーキをご馳走した。

 キチガイみたいに腹にステーキを入れていたのは俺だけで、女子二人は俺の食いっぷりにちょっと引いていた。



 楽しい時間というのは、どうしてこうも短いものなのだろうか。

 瞬きを数回した程度に感じられた特別な時間は、呆気なく終わりを迎え、モールを出た俺たちの頭上には、あっという間に星空が広がっていた。

 帰りの車の中で、頬をやや上気させたままの陽巳香は、ゲームセンターで撮ったプリクラを眺めていた。

 いいと言って断固断ったのだが、俺もその中に写っていた。

 とても恥ずかしい、特に聡子には絶対見せられない、決定的な写真だった。


「楽しかった」


 ぽつりとそう口にした陽巳香の体に佳奈恵が腕を回す。


「良かったね。私も楽しかったよ」

「うん。ありがとう」

「大上さんはどうでした?」


 感想を聞かれて、俺はどう答えていいのか悩んだが、素直に思ったことを言うことにした。


「あっという間だったよ。クセになりそうだ」

「一緒です。陽巳香とこうして遊びに行けたなんて嘘みたい」

「私も。佳奈恵ちゃんと昼間に遊べるなんて夢みたいだった」


 佳奈恵を送り届けてから、俺はバンを走らせて林道を上がって行った。

 オンボロの車体はギシギシ軋みながら、暗い林道を抜けていく。

 俺は林道の途中で車を止めた。

 このまま里に入れば、髭面たちに陽巳香を連れ出したことが露見してしまうからだ。


「ちょっと失礼するよ」


 陽巳香を車から下ろして、俺は軽々とその小柄な体を抱き上げた。

 月齢が満ちてきた狼男には、小柄な少女を抱えて走るのなど造作もないことだ。

 俺は残り一キロ程度を、狼の脚力で駆け上がった。

 オンボロのバンには申し訳ないが、こっちの方が全然速かった。

 暗い林道も、今の俺にはさして困難なものではない。昼間とまではいかないにしろ、頭上に静かに輝く守護星が、俺に十分な明るさの光を届けてくれていた。

 異変に気付いたのは、里の入り口に足を踏み入れた時だった。

 何かがいる。

 匂いと気配に、俺の超感覚がフル稼働し始めた。

 硝煙の匂いに混じって、嗅ぎなれた血の臭いが俺の鼻腔に届いた。

 襲撃を受けたのは明らかだった。

 俺は踵を返した。あいつらの狙いはこの少女だ。一刻も早く、危険なこの場所から陽巳香を連れ出さなければならない。

 駆けだそうとした俺を陽巳香は制止した。


「待ってください!」


 その言葉に俺はつい足を止めてしまった。彼女の口から出る言葉には、他人を操れる力でもあるのだろうか。


「きっと怪我をしている人がいます。放ってはおけません」

「いや、しかし……」

「駄目です。あなたは救わなければならない。今がその時です。どうか力を貸してください」


 少女は俺の腕から、そっと草の上に降り立った。


「どうかお願い」


 その瞳に浮き上がった紅い虹彩の輝きに、俺は自分のなすべきことを悟ったのだった。

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