第15話 巫女と少女
佳奈恵は落ち着いた雰囲気で湯飲みをテーブルの上に置いて、何故俺と蛇精の巫女を引き会わせたのかという質問に、簡潔に答えてくれた。
「彼女からそう頼まれていたんです」
そして佳奈恵はやや目を細めて、俺に聞いてきた。
「どうしてそのことに気が付いたんですか? 私があなたを誘導していたことに」
「君が俺に蛇精の巫女の伝承を教えたからだよ」
「あれだけで?」
「それだけじゃない。君は俺に近づいて、最終的に巫女の元へと向かわせるように、ずっと誘導していた。利夫さんを俺に近づけたのは君なんだろ」
「はい。そのとおりです」
悪びれた風もなく、佳奈恵は淡々と答えた。
「熊よけの鈴をくれたね。あれは売店で売っているものではなく、利夫さんがつけていたものと同じものだった。あれは特別製の鈴なんだろ? 万が一、調教された熊と遭遇しても、あの鈴を持っている相手は襲わないように躾けられている。そんな所じゃないかね」
「はい。大上さんのおっしゃる通りです。利夫さんはあの鈴を使って熊を調教していましたから、大上さんに万一のことがないように渡しておいたんです」
「ありがとう。素直に感謝するよ」
ちょっとした気遣いではなく、実際に効果的な、命を守る手段を講じてくれていた娘に、感謝しなければいけないだろう。
「君は利夫さんが俺に無駄骨を食わせているのを傍観していた。そうすることで俺が捜索すべきところを絞り込めると分かっていたからだ。そして収穫の無かった俺の前に、蛇精の巫女という餌をぶら下げた」
「そのとおりです。流石あの子が見込んだ人だけはありますね」
「そりゃどうも。だけど君は利夫さんも、俺も同時に誘導していた。そこが引っ掛かっててね。何故直接君が俺を案内しなかったんだい?」
利夫たちを巻き込むことなく済ませられたのに、そうしなかったそのわけを聞いておきたかった。
「蛇精の巫女は、決められた人間としか接触を許されていないのです。つまりあの子は、私たちの関係を知られてしまうのを恐れたのです」
「そういうことか。何かの罰があるんだね」
「はい。巫女と関りを持ったと知られれば、村を追放されます。あの子は私の身を案じてくれました。そして、二人であなたを、周りに気付かれないように誘導する計画を立てたんです」
回りくどい手の込んだ演出は、実際に機能して俺と巫女を引き合わせた。
しかし、何故俺を呼び寄せる必要があったのだろう。
「厄介ごとを持ち込む可能性のあった俺を、どうしてわざわざ招いたんだい?」
「簡単なことです。蛇精の巫女がそう予言したからです」
「予言って……」
「陽巳香は病気や傷を癒す力と未来を視る力を蛇神様から与えられているのです。彼女は予言したのです。春先に蛇神を求めて、遠方から神の御使いがやってくると」
「それが俺なのか……」
「その御使いはとても強力な守護星の力に護られていて、彼が輪廻の輪から自分を救い、この地に安息と平和をもたらすのだと、そう話してくれたんです」
「俺が彼女を救うだって……」
救うどころか、厄介ごとを引き連れてきた俺を、彼女は危機から救い出し、その上、目の前で一度殺されていた。そして怪我を負った俺を癒してくれた。
全く何の役にも立っていない、むしろ足を引っ張っている自分が恥ずかしかった。穴があったら飛び込みたい気分だった。
「でも、あなたがあの子と会えて良かった。あの子は元気にしていましたか」
「ああ、彼女は元気にしていたよ。一緒にお茶を飲んでお菓子を食べてきた」
「そうですか」
満足げにそう口にした娘の顔を見ながら、俺は複雑な心境だった。
存在しない白川龍平を追って、秘密にしていた隠れ里を突き止め、祠の裏側の隠し通路を探り当て、蛇精の巫女を探し出した。
結果的に、俺は危険な連中を手引きして、あの少女を危険にさらしてしまったのだ。これからもあの少女は追手に狙われ続けるだろう。
恐らく今回、下月京弥が率いていた部隊が失敗したのを知れば、眷族は次の犬を放つだろう。そうなれば、今回残した痕跡を辿ってまたあの少女に危険が及ぶに違いない。
「君は彼女に俺と引き合わせて欲しいと頼まれたのだと、そう言ったね」
「ええ。そのとおりです」
「蛇精の巫女は祠の奥にある普通の人間では行けない所に住んでいた。なぜ君は彼女とコンタクトをとることができたんだ」
「それはですね……」
佳奈恵が語ったのは、幼少期の彼女の身に起こった奇妙な話だった。
佳奈恵は小学校三年生の時に大きな病にかかった。それは小児性の癌で、発見した時には転移が広がっており、医者からは手の施しようもないと、匙を投げられた病だった。
佳奈恵の母小春は、神官を務めていた利夫に相談し、縋る様に蛇神様の祠に赴き、奇跡が起こりますようにと毎日のように祈りを捧げた。
そしてある日の夜、死を待つだけだった佳奈恵のもとに、同い年くらいの少女が現れた。
月の明るい夜だった。
窓から射し込む満月の明かりが、少女を照らしていた。
「あなたは誰?」
どうやってそこに現れたのだろうか。病院の三階の部屋に突然現れた少女は、歳相応の子供っぽい笑みを浮かべて、横たわる佳奈恵の傍らに静かに立っていた。
「私がここに来たこと、誰にも言ってはいけないよ」
有無を言わさぬそんな空気がその少女にはあった。
佳奈恵は床の中でただ頷いた。もう体を起こす力も残っていなかったのだ。
不思議な少女は佳奈恵の唇に指を当ててきた。
ぬるりとした感触。
指を放した唇が濡れているのを佳奈恵は感じた。
「唇を舐めなさい」
佳奈恵は言われたように唇の表面を舌で舐めとった。
不思議な味。
今まで味わったことの無い、表現のしようがないような味がした。
「元気になったら友達になってくれる?」
月光に浮かび上がる白い肌の少女は、少し照れながらそう言った。
「うん。いいよ」
佳奈恵がそう応えると、少女は不思議な聞いたことも無いような言葉を唱えだした。
体が軽くなっていく。
いつの間にか佳奈恵は眠っていた。
そして朝を迎えて、佳奈恵は少女がいなくなっているのに気が付いた。
「夢だったのかしら」
佳奈恵はそのまま起きあがり、窓を開けて朝の空気を吸い込んだ。
そして死を待つだけだった少女が、病院内を散歩しているのを見かけて、看護師は言葉を失ったのだった。
それから、体中を癌に侵され、ずっと流動食を流し込んでいただけの少女は、病院で出された食事を普通に食べ始めた。
検査した結果、癌は跡形もなく消滅していた。
蛇神様のご利益に違いない。奇跡を目の当たりにした村の者たちは、誰一人として疑うことなく、神に祈りを捧げたのだった。
体力が回復し、普通に学校に行けるようになった頃、あの夢のような少女が佳奈恵のもとに再び現れた。
明るい満月の夜だった。
少女は以前、病院に現れた時と同じように、いつの間にか佳奈恵の眠る布団の傍らに立っていた。
「元気になったみたいね。良かった」
「夢じゃなかったんだ」
「失礼ね。ほら」
少女は佳奈恵の手をぎゅっと握った。
少しひんやりとした滑らかな手だった。
「ねえ、この間の約束憶えてる?」
「うん。勿論。お友達になろうって言ってたよね」
「そうそう。どうかな? お友達になってくれる?」
「勿論だよ。じゃあ自己紹介からだね」
こうして佳奈恵と陽巳香はお互いに名乗り合い、誰も知らない秘密の友達になった。
話を聞き終えた俺は、佳奈恵と陽巳香の深い繋がりを知ったのだった。
「暗い所では目の利かないあの子は、明るい月が出ている夜にだけ私のもとへ遊びに来ました。人間の子供は蛇精の巫女と関わってはならない。それは神を敬う村人が決めたおきてでしたが、おきてを守る村人によって陽巳香はずっと孤独だったのです」
「君はそのおきてを破ったんだね」
「私の命は陽巳香にもらったものです。彼女のためなら私は何だってします。おきてなんかくそくらえだわ」
その可愛い顔で下品な言葉を言い切った佳奈恵に、俺は拍手を送った。
「恐れ入ったよ。俺も君のくそくらえに大賛成するよ」
「えっと、そこはちょっと言いすぎました。へへへへ」
「いや、それでいいのさ。村の集会でその話題が出たら、俺も君の隣でそう言ってやるよ」
「もう、その話題から離れて下さいよ」
お互いに笑いあって、話し終えた頃には、すっかりお茶も冷めてしまっていた。
「じゃあそろそろ戻ります」
長い間胸にしまっていた秘密を他人に打ち明けた少女は、少し頬を上気させてフウと息を吐いた。
「君と話せてよかったよ」
「ねえ、大上さん」
「うん、なんだい?」
佳奈恵は好奇心に満ちた目を俺に向けていた。
「陽巳香に会ったし、これからどうされるんですか?」
「そうだね。まだやり残したことがあるんだ。しばらく厄介になるつもりだよ」
「そうですか。じゃあまた今度、大上さんの話を聞かせて下さい」
あまり俺には関心を持ってほしくない。狼男と関わると、いつもろくなことにならない。
俺はまた聡子の顔を思い浮かべてしまっていた。
「俺はつまらない男だよ。うすのろの馬鹿野郎なんだ。本当の愚か者なんだ。君は俺に彼女のことを教えるべきではなかったんだ」
「あなたは思い違いをしているわ」
「思い違い?」
核心を持っているかのように、そう諭した佳奈恵は、そのあと俺に忘れられない言葉を残した。
「蛇精の巫女が私に告げたものは予言なんです。つまりは逃れられない運命なんですよ」
「運命か……」
その言葉の重みに、俺は一瞬言葉を失った。