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狼はそこにいる 蛇精の少女  作者: ひなたひより
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第14話 もう一人の少女

 眷族が派遣した狂信者十人の死体は、二頭の熊によって綺麗に片付けられた。

 恐ろしい食欲だった。その貪欲な食い方をしばらく見物していた俺は、途中で気分が悪くなって、あとは髭面たちに任せて食事場を後にした。

 そのあと陽巳香は、俺の怪我を蛇精の力を使って癒してくれた。

 短銃で撃たれた肩と尻の弾丸は、器用にナイフを扱う利夫の手で、摘出してもらったものの、月齢八日の狼男の再生能力では、弾丸が穿った穴の血は止まらず、見るも痛々しい状態だった。

 陽巳香は俺の服を脱がせ、肩と臀部の傷口に不思議な処置を行った。

 まず彼女は自分の細い指先を噛んだあと、弾丸が穿った穴に一滴ずつ血を垂らした。

 それから患部に手を当てて、何を言っているのか分からない呪文をひたすら唱えたのだった。

 利夫が言うには、陽巳香の用いた呪文のようなものは、神の使う言葉らしい。サンスクリット語でマントラと呼ばれるものの日本版であろう。

 そして驚かされたのは、その神の言葉を、俺もついさっき口にしていたと聞かされたことだった。

 陽巳香にホヤウカムイが憑依した時に、彼女は神の言葉を話していたと利夫は話してくれた。

 俺はあのとき金縛りの状態で、その神の言葉をどういうわけか理解していた。そして俺も同じ言葉を使って彼女と話をしていたというのだ。

 聞けば聞くほど不思議な話を聞いている間に、彼女は治療を終えた。


「あなたの中にある精霊の力を、少し引き出しておきました。いかがです? 少しは楽になりましたか?」


 楽になったどころか、完全に血は止まっていた。

 俺はまた、まざまざとこの少女が起こす奇跡を見せつけられたのだった。

 肩の方はまだいいが、年頃の娘に汚いおっさんの尻を診させていたのを恥ずかしく思った。

 俺はおっさんだけど、人並み以上の羞恥心を持ち合わせているのだ。

 急いで起きあがってパンツをずり上げた時に、俺はバランスを崩してその場に倒れ込んだ。慌てて利夫が手を貸して起こしてくれた。


「大丈夫ですか? きっと貧血ですよ」

「ああ、間違いなさそうだ。手を煩わせて面目ない」


 傷口は塞がったが、出て行った血はそのままだ。

 そのあと蛇精の巫女が、祠の裏へと戻っていくのを見届けて、俺は次の行動に移った。

 もう少し休んで行けという利夫たちに礼を言ってから、俺は早々に里を出た。

 GPS発信機が取り付けられているはずの車を、ここに置いておくわけにはいかない。

 撃たれた傷の痛みに顔をしかめながら、取り敢えず車を走らせて山を下りた。

 旅館まで戻った俺は、空港のレンタカー店に連絡を入れて、車を回収しに来てくれるよう手配をしておいた。


「さて……」


 旅館の駐車場で、携帯を手に持ったまま、俺は次に電話を掛ける相手のことを考えていた。

 この一件に、マリがどのように関わっていたのかは分からない。

 マリはとんでもない跳ねっ返りではあるが、計算高い女ではない。

 プライドが高いマリが俺を貶めるために、何者かに加担したとは到底考えられなかった。

 となると、マリも俺と同じように、黒幕に踊らされていたと考えた方が辻褄が合う。

 推測するに、評議会に先んじて蛇精の巫女を手に入れようとしていた黒幕は、絶対的な不可侵条約である調印書を持つ俺に目を付けたのだ。

 そして俺の重い腰を上げさせるために、架空の婚姻話でマリを追い込んだのだろう。そして蛇精の巫女を俺は探し出してしまったのだ。


「クソッ」


 携帯を握りしめたまま、俺はふらつく足取りで駐車場を後にした。

 マリと連絡を取り合うのは危険だった。こちらの内情をわざわざ申告する必要はないだろう。

 こっそり部屋へと戻ろうと、旅館に足を踏み入れようとした俺は、自分のうっかりさに苦笑してしまった。

 チェックアウトをしていたことを、すっかり忘れていたのだ。

 着ていた血まみれの服は、ここへ来る前に、旅行鞄の中にあった替えの服に着替えておいたが、憔悴しきった顔色の悪さは隠せないだろう。

 このままフロントへ行けば、不審に思われるかも知れない。入るに入れず、しばらく躊躇っていると、自転車に乗って丁度下校してきた佳奈恵が俺を見つけてくれた。


「あっ、大上さん」


 娘はパッと一瞬顔を輝かせたものの、ただ事ではない俺のやつれ具合に、心配そうな顔を見せた。

 出て行った血液と同じくらい、気力が抜けてしまっていた俺は、素直に助けを求めた。


「ごめん、佳奈恵ちゃん。悪いんだけど、今日泊まらせてもらえないかな」

「ええ、部屋ならいっぱい空いてますよ。でもどうしたんです? 顔色が真っ青ですよ。病院にお連れしましょうか?」

「いや、それはいいんだ。どうも体調が優れなくってね。取り敢えず休ませてもらいたいんだ」

「じゃあ、すぐに私がお部屋を用意して、お布団を敷きますね。あとご飯はお部屋にお持ちするようにします」

「悪いね。助かるよ」


 フロントに寄らず、佳奈恵は俺がずっと泊まっていた部屋へと案内してくれた。敷いてくれた布団に、俺はそのまま倒れ込むように横になり、そこで意識を失った。

 泥のような眠りから俺が覚醒した時には、もう窓の外は真っ暗になっていた。

 空腹を刺激するいい匂いが、襖の向こうからしてきていた。

 俺は体を起こして、ノロノロと襖を開けた。


「どうですか? お体の方は」


 配膳を済ませたばかりの、和服姿の佳奈恵が振り返って、俺を気遣ってくれた。


「おかげさまで。しかし美味しそうだね」

「良かった。食欲はありそうですね。すぐに鍋に火を入れますね」


 出て行った血を造るために、体が食べ物を欲していた。

 席に着いた俺は、尻の痛みも忘れて、並べてくれていた懐石料理に片っ端から手を付けた。


「あらあら、そんなに急がなくても。まるで何日も食べていない人みたいですよ」


 まるで犬のように食い散らかす俺の様子を、佳奈恵は可笑しそうに眺めている。


「冗談抜きで、何にも食べていなかったんですか?」

「いや、食べたよ。昨夜は利夫さんのとこで鹿肉の鍋をご馳走になった」

「利夫さんの家に泊まったんですか? 居心地が悪くてうちに戻って来たんですか?」

「そうなんだ。大酒を飲むわ、いびきは五月蠅いわ、手足を縛られたみたいに居心地が悪かったよ」

「まあ、そうだったんですね」


 やや冗談交じりに、実際あったことを話してみた。まさか本当に手足を縛られていたとは想像しないだろう。おまけに猟銃を持った男たちに取り囲まれていたと言ったとしたら、この娘はどんな顔をするだろうか。

 食欲旺盛な俺に安心したのか、佳奈恵はそのまま部屋を出て行こうとした。俺はすかさず彼女を呼び止めた。


「佳奈恵ちゃん。申し訳ないんだけど、追加で何かお腹にガツンと来るものを頼めないかな」

「ガツンと? お肉とかですか?」

「そう。出来ればたっぷりと腹に入れたいんだけど」

「うちのサイドメニューにサイコロステーキがありますけど、それでいいですか?」

「ああ、できれば切ってないやつの方がいいかな」

「メニューにありませんけど、料理長に頼んでみますね。多分大丈夫だと思います。それで何グラムくらいのステーキをご希望ですか?」

「そうだね……」


 俺は自分の腹と相談して、パッと手を開いて見せた。


「取り敢えず五キロ。あとビールも頼むよ」


 俺のひと声に、佳奈恵は目を丸くしたのだった。



 ペロリと五キロのステーキを平らげた俺を、佳奈恵はたいそう珍しいものを見るような目を向けて、ただ感心していた。


「食べちゃいましたね」

「うん。美味かったよ。ご馳走様」


 もう全く酔わないが、喉をすっきりさせたくて、俺はビールをガブガブ喉に流し込んだ。


「なんだかこちらに来た時とは違う人みたい」

「そうかい? これからもっと勢いづくかも知れないよ」


 冗談交じりで、また本当のことを申告した俺を軽くいなして、佳奈恵は食事が終わったテーブルを片付け、部屋を出て行こうとした。

 このとき俺は、その後ろ姿を見送ってやるべきだったのかも知れない。


「佳奈恵ちゃん。少しお茶でも飲んでいかないか」

「えっ?」


 中年のおっさんが、アルバイトの女子高生に、密室でお茶を飲まないかと誘っている。かなりキモイ状況に、少し身の危険を感じたのか、佳奈恵はびっくりしたような顔をした。


「いやいや、ちょっと気になることがあってさ、少し話をしたいだけなんだ」

「はい。それで話って」


 俺は急須の煎茶を、綺麗な湯飲みに注いで佳奈恵に勧めた。


「すみません。頂きます」


 娘がひと口、湯飲みに口をつけたあと、俺は静かに口を開いた。


「どうして俺を蛇精の巫女に会わせたんだい? 佳奈恵ちゃん」


 俺のひと言に、少女は眉一本動かさず、もう一口湯飲みに口をつけたあと、少し大人びた様な笑みを浮かべたのだった。

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