第12話 襲撃の代償
俺の聴覚が銃声を捉えたのと同じくして、神の御使いである少女もまた、その超感覚で銃声を聞き分けていた。
「里に何者かが侵入してきたみたいですね」
少女は落ち着いた感じでそう言うと、ゆっくりと腰を上げた。
何だか確認しに行きそうな様子に、俺は慌てて引き止めた。
「あなたはここにいて下さい。俺が様子を見てきますから」
「いいえ、村人が怪我をしているやも知れません。私も同行いたします」
「お願いですからここにいて下さい。ことが済んだらまた戻ってきます。ここは取り敢えず俺に任せておいてください」
念を押してから、俺は家を飛び出した。もと来た洞窟を抜けて、取り敢えず侵入口である岩壁を、もともとそこにあった岩で塞いでおいた。
銃撃の音は利夫のいた家のあたりからしてきていた。
俺は池に頭を覗かせている踏み台に身を躍らせ、跳ねるように向こう岸まで行くと、そのまま一気に駆け出した。
俺が駆け付けた時、家の中に立て籠った利夫たちと侵入者が、盛大に撃ち合っていた。
家を取り囲むようにして武装した男たちは、手に持った物騒な得物で家ごとハチの巣にする勢いで発砲していた。
短銃を手にしている奴らはまだいいが、ショットガンを手にしている者もいた。あれをまともに食らったら、今の俺では即あの世行きだろう。
俺は銃撃に夢中になっている奴らの背後を抜けて、廃屋の陰に身を潜めた。
このまま飛び出して行けば、何人かは仕留められる。しかし調印書を破る行為が出来ない以上、ここは話し合いをするしかない。
俺は両手を上げて銃を構える男たちに声を掛けた。
「そこまでだ。一旦銃を収めてくれないか」
一斉に振り向いた男たちは、揃いも揃って俺に凶暴な銃口を向けた。
手を上げたまま、俺はゆっくりと男たちに近づいて行った。
周囲の観光客に紛れるためだろうか、男たちの服装はまちまちだ。しかしその顔には、隠しても隠し切れない冷徹さが窺えた。
侵入者は間違いなく、俺をつけてきた眷族の犬どもだ。
何故俺がここに来たことを把握しているのか。恐らくレンタカーであろう。空港のレンタカー店にも眷族の手が回っていたとしたら、貸し出す際に細工するのは容易いだろう。
誰が俺を嵌めたのかはさておき、俺は目の前にある揉め事を、何とか鎮火しようとして頭を回転させていた。
「俺をつけてきたあんたらなら分かっているはずだ。俺に手を出すことがどういうことなのか」
俺は銃口を向けたままの十人ほどいる男たちの中に、指揮をしているであろう一人を探していた。
こういった組織だった行動をする場合、必ず統率しているリーダーが一人いるはずだ。
日の高い時間帯に、眷族が直々にお出ましになることは決してない。
リーダーが人間ならば、まだやりようもあるが、俺と同じ混血種がいるとかなり厄介なことになる。
それは能力というよりも、眷族の命令に忠実な狂信者と考え方が異なる場合があるからだ。分かり易く言えば、自らの利益のために行動する場合がないとは言えないということだ。
特に普段から下賤の者呼ばわりされている混血種は、アウトローな傾向がある。命令より金で動く奴がいたとしても俺は驚かない。
如月のように忠実なタイプのやつの方が、混血種では少数派だろう。
感覚を総動員して、ここにいる者たちが人間であることを確認し終えた俺は、すぐに自分の考えが甘かったことを悟った。
奥に停まっていたバンから、二十代くらいの男が降りて来たのだ。
男は陰湿な笑いを口元に貼りつけて、俺の顔をニヤついた目で値踏みするように見た。
「やあ、あんたがあの有名人の大上琉偉か。写真で見るよりしょぼくれたおっさんだねえ」
プライドの高い眷族なら絶対にしない、下卑た口の利き方だった。
臭いを確認するまでもなく、男が俺と同じ混血種だと悟った。
最も警戒すべき相手に、俺は背中の産毛が逆立つのを感じた。
「あんたいったい誰だ?」
「俺かい? 俺は下月京弥だ。お宅みたいな良いお家柄の混血種じゃあない、はぐれ者だよ。別に忘れてくれても構わない」
皮肉をたっぷり込めてそう言った辺りに、この男のコンプレックスが色濃く浮き出ていた。
「下月さん。あんたここへ何しに来たんだ」
「つまらないことを訊くなよ。獲物を漁りに来た。そう言えばあんたならピンとくるだろ」
「ああ。悪いが、このまま帰ってくれ。ここは眷族が土足で入っていい場所じゃない」
俺のひと言で、今まで卑屈にニヤついていた顔が豹変した。
「眷族の枠から外れて、人間たちと乳繰り合っていておかしくなったのか? あんたの住む世界はこちら側のはずだろ」
「おかしくなってるのはあんたたちの方だ。他の神の聖域を荒らして、恥ずかしくないのか?」
「神だと? そんなもん居ねえ!」
男は激しく唾を飛ばしながら、俺に食って掛かった。
「すました眷族の野郎たちも、てめえみたいな堕落した半端もんも、みんな神様をかさに着たペテン師のくせに、偉そうなこと言うんじゃねえ! ここにいる奴だって神を名乗るただのバケモンさ。バケモンがバケモンを狩って何が悪いってんだ」
殺気を孕んで男が近づいてきた。俺は少し間合いを取って攻撃の当たらない距離を取る。
「いいのか? 俺に手を出したら調印書がお前を殺すことになるぞ」
「邪魔立てするあんたが悪いんだよ。あんたを殺しても証拠さえ残さなければ何の問題もない。阿呆でも分かることさ」
「そこにいるあんたの手下がお前の行動を見ているぞ」
「こいつらは、密命で動いている奴らさ。俺が指示を出せば、あんたをハチの巣にするのを躊躇わないよ」
男が肺に息を吸い込んだ瞬間に俺は動いた。
「撃ち殺せ!」
男の命令で銃口が火を噴き、一瞬前まで俺が立っていた場所に、銃撃が浴びせられた。
すんでのところで跳躍した俺は、樹に跳び移って、すぐに手近な奴に襲い掛かっていた。
頸椎にまともに蹴りを入れられた男の首は、嫌な音を立てて奇妙な角度に曲がった。即死だろう。銃を手にしている連中に、俺は何の手加減も加える気はない。
仲間が銃の射線上になるように素早く移動しながら、発砲するのを躊躇うわずかな時間を味方につけて、俺はあっという間に三人の狂信者を始末した。
ドンドンドン!
大した射撃精度ではないが、短銃から発射された弾が、俺の耳元をかすめて行った。
今の俺には弾丸は効果的だ。急所に食らえば命はないだろう。
風圧を感じる距離で、弾丸が頭をまたかすめて行った。背筋に冷や水を浴びせられたような感覚が俺を襲ったが、死に物狂いで走り、廃屋の陰に身を潜めた。
そこへ強い衝撃が俺の脳天をグワンと襲った。
隠れていた廃屋の土壁がごっそりとえぐり取られていた。
飛び散った土にまみれながら、俺は相手がショットガンをぶっ放したことを知った。
至近距離で、熊をも一撃で倒す銃をぶっ放す、何の容赦もない相手だ。手を上げて白旗を振って出て行ったら、たちどころに大穴を空けられるだろう。
そしてもう一発轟音が響いた。耳の近くにさく裂した衝撃に、俺は一瞬頭を吹き飛ばされたのかと感じた。
破裂した土壁を頭から浴びながら、俺は必死でそこから逃げようとした。
もう一発食らえば、破裂して飛散するのは俺の体のどこかに違いない。
ショットガンの弾を装填している間に、俺は弾丸が飛び交う中を駆けだした。
肩と尻に一発ずつ、弾丸が食い込んだ。激痛に耐えながら、俺は隠れられる廃屋の陰に跳び込んだ。
「まずいな……」
俺は流れ出る血を押さえながら、そう呟いた。
痛みは我慢できるが、血が多く流れ出てしまうと、貧血でまともに動けなくなる。止血したいが、ショットガンに狙いを定められたままではどうしようもない。
その時だった。
「おやめなさい!」
銃を構えた連中の背後に現れたのは、あの蛇精の少女だった。
「その方を傷つけてはなりません。すぐに手を引きなさい!」
凛としたその姿に、俺は神の御使いの姿を見た。
銃口が少女に向けられたとき、俺は雄たけびを上げて突進していた。
「おおおおおお!」
一度銃口を少女に向けたため、ショットガンを手にしていた男の反応がわずかに遅れた。
俺は躊躇うことなく、男の心臓に貫手を放っていた。
体に突き刺さった俺の手は、男の心臓を貫いていた。
周囲の男たちの短銃の銃口がこちらに向いた。
「ぐおおおおおおおお!」
雄たけびを上げたのは俺ではなかった。いつの間にか、まるで少女を守護するかのように、二頭の巨大なヒグマが姿を現したのだ。
俺に向いていた銃口が熊の出現で攪乱された。
俺はすかさず、銃口を向ける相手を決めかねている男に飛び掛かり、首をへし折った。
その間に、二頭の熊は巨体を揺らしながら、男たちに向かって突進していた。
短銃の弾丸をものともせず、怒り狂った熊の爪が一閃し、男たちを宙に舞わせていた。惚れ惚れするような圧倒的な破壊力だった。
立て籠っていた利夫たちも外に出てきて加勢し始めた。
そして十人近くいた男たちは、あっという間に沈黙した。
あの少女の登場で一気に形勢が逆転したのだ。
俺は肩の傷を押さえながら、最後に残った混血種の男にジリジリと歩み寄った。
下月京弥は一気に間合いを詰め、俺のこめかみに容赦のない右フックをはしらせてきた。
俺は体を沈めてその打撃をかわすと、流れた腕を取って投げ技に入った。
合気道の技だ。小手返しと呼ばれる投げ技で、相手の腕を取ったまま足さばきで反転し、肘関節を極めたまま投げを打つ。
男の体が宙を舞った。
背中から地面に落下した男は、肺の空気を強制的に吐き出さされたような音を出して、数秒間天を仰いだ。
痛みをこらえて立ち上がった男からは、俺に対する怒りと共に、明確な殺意が感じられた。
「いい加減あきらめろ」
「貴様……」
口惜し気な血走った目で、俺を睨みつけた下月京弥は、ゆっくりと後ずさった。
「これで終わりじゃないぞ。お前はこれから地獄を味わうんだ」
踵を返した下月が跳躍した。勝利を確信していた俺は、完全に裏をかかれてしまった。
助走なしで一気に七メートルほど跳躍した先には、あの少女の姿があった。
素早い動きで、少女の背後を取った下月は、少女の細い首に腕を回した。
狼人間の力なら、いとも容易くその首の骨をへし折ることができるだろう。
「こいつは頂いていく。動くなよ。少しでも動いたら嫌なもんを見ることになるぜ」
「やめろ。恥知らずな真似はよせ」
「恥? そんなもん生まれた時から言われ続けてらあ。下賤の血の入った恥さらしってな」
ねじ曲がってしまったこの男には、なにを言っても無駄なのだろう。
どうすることも出来ない俺に、少女はニコリと微笑んだ。
「この方は、わたくしを連れ出したりはしませんわ。ね、そうでしょう?」
「は? お前なに言ってんだ? 気でも違ったか?」
下月は少女の言い出したことに、冷笑を浮かべた。
「いいえ、あなたはこのまま山を下ります。お一人で」
「この状況を分かって言ってんのか? その気になれば、お前を冷たい体にして持ち帰れるんだぞ」
ぞっとするような脅し文句も、この凛とした少女の前では、森に吹くそよ風と変わらなかった。
「あなたは、これまで辛い目に合いすぎた。人と精霊の狭間で、生きる場所を見つけられずにずっと苦しんできた。これからは思うがままに生きなさい。あなたが生きたいと思った場所が、あなたがいていい場所なのですよ」
「な、なにを、知った口を利きやがって」
下月の目には動揺の色が窺えた。少女から発せられる神聖な力を間近で受けて、何らかの変化をその内面で起こしているみたいだった。
「あなたの気が済むのなら、ここで私の首を折りなさい。その代わり、山を下りたら、しがらみのない新しい生き方をして下さいね」
「うるせえ!」
男の最後の抵抗だったのだろうか。首にかかっていた腕が緊張した。
少女の白くて細い首は呆気なく男の腕の中で折れ曲がった。