香編 part1:帰省
青く澄んだ晴天の中、誠は必死に脚を動かして走っていた。
火照ってきた体は熱を帯び、少しずつ汗が噴出し始め、つーっと流れるのがわかる。
心臓が激しく脈打ち、張り裂けそうだが休むことはなかった。
時刻は午前九時五十五分。約束の時間まで残り五分。
誠は急いである場所へと向かっていた。
タクシーに乗ればいいのだが、慌てて家を飛び出したので、財布は机の上。戻っても余計に時間がかかる。
誠はただ走ることしかできなかった。
でも、つらいとは少しも思わなかった。それよりも、目的地に近づくにつれて嬉しさがこみ上げてくる。
今日、香が帰ってくるのだ。
空港の中に、一人の髪の長い少女が、大きなキャリーバックを横に立っていた。
たくさんの人で溢れている中は、冷房が効いており涼しかった。飛行機が飛び立つ音が耳に微かに聞こえる。
少女は壁に取り付けられた大きなデジタル時計をじっと見る。
時刻は十時を過ぎていた。だんだんとしびれをきらして苛立ちが募る。
少女は辺りをぐるっと見渡した。だが、目的の人物のいる気配はない。
「まったく。遅いな~」
そのとき、後ろで大きな声が聞こえた。
「お~い、香!」
名前を呼ばれた少女は、嬉しそうに笑みを浮かべて振り返った。そして、大きく手を振った。
「誠!」
誠は香の前に辿り着くと、疲れた体を休めるために膝に手を着いて息を整えた。
「もう、遅いよ、誠。約束の時間過ぎてるじゃない。何してたの?」
「わ、悪い。途中で横断歩道を渡れないおばあさんがいて、困ってたから手伝ってあげてたんだ」
そこで香は疑いの目に変わった。
「ふ~ん。本当は、寝坊して湊ちゃんに叩き起こされて慌てて走ってきたんじゃないの?」
そこで誠はクスクスと笑った。やっぱり香には隠し事はできないな。
誠は顔を上げると苦笑いを浮かべた。
「はは。あたり。そっちが正解だ」
香もクスクス笑った。
「ふふ。でもいいよ。許してあげる。ここまで走ってきたもんね」
香はハンカチを取り出すと、誠の顔に着いた汗を拭き取った。
「か、香。いいよ、別にそんなこと」
「ほら、じっとして。照れなくてもいいでしょ」
香は誠の汗を拭き終わると、改めて誠を見た。
「久しぶりだね、誠。元気だった?」
「ああ。毎日元気にしてるよ」
「そっか」
香は満面の笑顔になった。
「それじゃ、いこ」
香は大きなキャリーバックを誠に任せ、空港を飛び出した。
二人は誠の家に向かって歩いていた。
一週間ほど前に、香から一本の連絡が来たのだ。
ゴールデンウィーク中は、時間があるから島に戻ってくると。その間、誠の家に泊まると言い出したのだ。
そのことを聞いたとき、誠は抑えることができないほど嬉しかった。
香ともいろいろな思い出がある。つらい思い出もあるが楽しいこともあった。
そのときのことが、自然と思い出される。
香はスカイを使い、人やあらゆる物の心が読めるようになったのだ。
だから隠し事はできない。あっさり見破ってしまう。
そのせいで、桜楼学園の中等部や高等部に在学中はつらい目に合った。
自分の心が勝手に読まれる。
そう思い、ほとんどの生徒が香から遠ざかり、香はいつも一人だった。
本来はそんなことしない。
香は優しく、正義感が強い子だった。
しかし、一人の少女によって、悪い噂が流れ、いじめなどの苦痛にあったのだ。
だが、今ではそんなことはない。
ケンカしていた親友の一河岬とも仲直りし、他にも多くの友達もできた。
スカイのせいでいろいろあったが、香は楽しそうにしていた。
しかし、香には将来獣医になりたいという夢がある。
そのために、東京の学校で勉強するといい上京したのだ。
あれから一年。香は久しぶりに帰ってきた。この日をどんなに待ち望んだか。
「この島も一年ぶりか。懐かしいな~。あまり変わってないみたいだね」
香は両手をいっぱいに広げて先を歩いていく。
誠はその後姿を見て、どことなく安堵した。
一年間会えなかったが、香は変わっていなかった。
ずっと心配だった。
あっちでうまくやっていけているのか。いじめられたり、環境に慣れずに困っているのではないかと。
そんなことはまったくないようだ。自分の夢のために頑張っている。
そのことを知り、安心した。
「ほら、誠! 早くいこうよ!」
香が大きく手を振って待っていた。
誠は軽く振り返して、香の元に走った。
家に着くと、中で待っていた湊が出迎えてくれた。
「あっ、香さん。お帰りなさい」
「湊ちゃん、久しぶり!」
香は湊を見た途端、勢いよく抱きついた。両腕いっぱいに抱きしめ、優しく湊の頭を撫でる。
湊は少し困っていた。
「会いたかったよ~。あいかわらずかわいいね~」
湊は香の抱きしめから顔を出すと苦笑いを浮かべた。
「あ、ありがとうございます。ははは……」
香を中に招き入れ、湊特製の昼食を食べながら香の話を聞いた。
東京は空気が悪く、こことはまったく違うようだ。自然が見当たらなく、コンクリートの建物ばかりだと。水道水も満足に飲めず、慣れるのに時間がかかったようだ。
学校の授業もここと違い、難しくもっと先を進んでいるので、追いつくのに必死だそうだ。毎日帰ったら四時間は勉強しているらしい。
「湊ちゃんの料理はおいしいね。いつもコンビニのお弁当だから、余計にそう思っちゃう」
湊特製のハンバーグを食べ、香は絶賛していた。
「ありがとうございます。ほら、兄さん。口開けて」
湊はハンバーグを箸で掴み、誠の口元に持ってきた。
「み、湊。今はいいって。香がいるだろ」
「いつもしてるじゃない。恥ずかしがらないでよ。ほら、ア~ンして」
湊は止めようとせず持ってくる。
誠は仕方なく口を開けてハンバーグを口に含んだ。
「どう? おいしい?」
「あ、ああ。うまいよ」
「よかった」
すると、香がいきなり立ち上がり、誠の腕を掴むと居間を出た。
二人は廊下に出ると、香は誠に問い掛けた。
「あ、あんたたち、いったいどういう関係なの?」
香の声は少し震えており、混乱しているのか、異様に迫り寄ってくる。
「え、ええと、あのな……」
「まさか。誠、いくら家族が欲しくて妹を願ったからって、その妹に恋したんじゃ……」
香は湊がスカイで生まれたことを知っていた。
香が上京する前、最後に香は誠の心を読み、秘密を知ったのだ。
誠はそのことを教えたことを覚えている。
「え、ええと……実は、その通り。で、でも、別にいいだろ。血は繋がっていないし……」
「だからってね~」
香は重いため息を吐いた。
「まあ、誠がそんなに好きなら別れろなんて言わないけど、うまくやってるの?」
「おう。ちゃんと仲良くやってるぞ。校内ではベストカップルって言われてるし」
そこで香は誠の心を読んだ。誠と湊の過去がどんどん頭の中に入ってくる。
「……どうやら本当のようね。全部瞳ちゃんのおかげだけど。それで、どこまでいったの?」
「どこまでって?」
「キスは何回?」
「え? き、キス? ……ご、五回くらいかな」
「ご、五回? あんたたち、三か月くらい付き合っておいて五回しかしてないの?」
「で、でも、さっきみたいにご飯食べたり、一緒に帰ったり、仲良いぞ」
香はまたやれやれといった感じでため息を吐いた。
「あんたらは子供か。小学生みたいな付き合い方ね。もうやってると思ってたのに……。それもまだみたいね」
香はビシッと誠の顔に指をさした。
「いい? 男が女をエスコートしないと、女の子は不安になるの。キス五回じゃ、湊ちゃんかわいそうでしょ。誠がしっかりしなくちゃ」
「そ、そんなこといわれても……」
「このゴールデンウィーク中、私が手伝ってあげる。あんたたち二人を最高のカップルにしてあげるわ」
香はニヤッと笑みを浮かべた。
そして、香の作戦が始まった。
その作戦が、改めて自分の心と向き直るとは知らずに……。




