泉編 part6:恩返
日曜日。
誠は約束通り、午後一時ちょうどに泉のいる小屋に訪れた。
何分も前に来ていたが、ちょうどになるように合わせ、針が重なった瞬間ドアを開けた。
「泉、出かけるぞ!」
誠は元気良く、そして明るく満面の笑顔でいった。
テーブルの前に正座をして座っていた泉は、少し恥ずかしそうな表情で顔を上げるとコクッとうなずいた。
二人は山を下り、バス亭へと向かう。
泉はチラチラと頬を少し染めたまま誠を見、手を繋ぐか迷っていた。
そっと手を伸ばすが触れることができない。あと数センチが遠い。
やはりできない。恥ずかしすぎて、その勇気を出すことが出来なかった。
泉は小さく息を吐き、諦めようとした。
すると、誠の方から手を握ってきた。
「え?」
泉はそっと誠を見た。
誠は前を向いたまま優しそうな笑みを浮かべる。
泉は頬を赤く染め、うつむきながらぎゅっと握り返した。
おそらく、あの計画表を見て知ったのだろう。温かさが伝わり、男の手だという感触が手を伝って感じる。
十分に伝わる。
誠は優しい、と。
隣町行きのバスに乗り、揺られること数分で着いた。
誠が泉の分までお金を払おうとしたが、泉はそれを止め、誠の分も全て払った。
「きょ、今日は、誠くんはお金使わなくていいから……」
バスから降り、計画どおり商店街で買い物をした。
あらゆるお店が並んでおり、服屋やゲームセンター、飲食店などたくさんある。
「けっこう賑やかだな。泉、何か奢ってやるよ。何か欲しいものないか?」
誠は未だに手を握っている泉に問い掛ける。
泉はここだと思い、緊張しながらも、勇気を振り絞って口を開いた。
「え、ええと、私ね……」
「なんだよ、何でも言ってごらん」
泉は上目遣いで誠を見ると、恐る恐る言った。
「ま、誠くんにプレゼントを買いたい……」
「俺の?」
泉は目をきょろきょろしながら、最後はコクッとうなずいた。
誠はそっと笑みを浮かべた。
「そっか。ありがと、泉」
誠は優しく泉の頭を撫でた。
泉は顔を赤くするとうつむいてしまった。
誠のプレゼント探しを始め、いろいろな店を回っていく。
そして、かっこいい帽子を見つけ、それを買うことにした。
それから、近くにあった喫茶店で時間を潰すことにした。
二階のラウンジにテーブルと椅子があり、そこに座って過ごす。
誠はコーヒー、泉はアップルティーを頼んだ。
「え? 泉、バイトしてたの?」
泉の話を聞き、誠はつい驚嘆な声を上げてしまった。
泉は素直にうなずいた。
「ま、誠くんも来たことあるよ。あ、あの、コスプレ喫茶に……」
そこで誠は思い出した。あのかわいい店員の正体は泉だったのだ。
「そうだったのか。知らなかったな。でも、まったく気づかなかった」
「う、うん。ごめんね、言わなくて。で、でも、驚かせたかったから……」
泉はアップルティーに口をつけた。
「だからお金持ってたのか。てっきり、柏葉さんがあげてるんだと思ってたし。そうか、ありがとな、泉」
それから泉は話したいことを全て誠に話した。
いつもは誠が話すのだが、今回は泉が話す側。
誠は楽しそうに笑いながら聞く。
普段口下手な自分だが、このときは意外にすらすらと話すことができ、楽しい一時を過ごすことができた。
そして二人は本日の一番の目的であるレストランに訪れた。
いかにも高級そうで、学生が入っていいのかと思うくらいだ。
「す、すげぇな……」
誠はあまりにも驚いて言葉が出ないようだ。
泉は予想通りだったので、小さくクスっと笑ってしまった。
中に入り、窓から夜景が見える席に着く。
周りの人たちは高そうなスーツやドレスを着ている。自分たちも少しはおしゃれをしているが、とても敵いそうになかった。
「な、なんか、緊張するな。こんなところ初めてだし」
誠はさっきからそわそわして落ち着きがなかった。
泉はいたって平気で、冷静に席に着いている。
それよりも、その後のほうが緊張する。
ホテルの予約は入れた。
誠は一緒に泊まってくれるだろうか。
少しして食事が運び込まれた。
高級そうな食材が鮮やかに盛り付けられ、芸術的だった。食べるのがもったいないくらいだ。
準備ができ、二人はそっとグラスを持ち上げた。
「泉。こんな最高のディナーに招待してくれてありがとな」
「う、うん。……よ、喜んでくれた?」
「もちろん。最高に嬉しいよ」
誠は満面の笑みを浮かべる。泉はほっと安心した。
乾杯をすると、食事を始めた。泉は練習通り、マナーを守って食事を進めていく。誠は音を立ててマナーが悪かった。
「ま、誠くん。スープを飲むとき音を立てちゃダメだよ……」
「で、でも、けっこうむずかしいぞ」
誠はスープ相手に悪戦苦闘している。
「吸うんじゃなくて、中に入れる感じで飲むんだよ……」
「なるほど」
泉に言われたとおりすると、難なくうまくいった。
「おお、できた、できた!」
誠はつい大きな声を出してしまった。
そのせいで周りの人たちはじっと見てくる。
誠は気まずくなり、頭を下げて謝った。
泉だけは、可笑しそうに小さく笑みを浮かべた。
食事を終え、レストランを出ると、誠は大きく伸びをした。
「さてと、そろそろ帰るか」
誠はバス停のある方へと歩いていく。
そこで泉は誠の服を掴んだ。
「ま、待って。……その、このあと……」
泉の顔を真っ赤になっていた。恥ずかしそうにうつむき、なかなか言葉にできない。
すると、誠が泉の肩に手を置き、笑みを浮かべた。
「このあとはホテルで泊まるんだっけ? はは。俺ら不良だな」
泉はほっとすると、頬を赤く染めながらそっとうなずいた。
近くにあるホテルに入り、一つの部屋に入った。
中は広く、バスルームとトイレがあり、大きく柔らかそうなベッドが二つ。外から見える夜景は綺麗だった。
「けっこういいところだな。なんか修学旅行みたいでわくわくするぜ」
誠は外の夜景を眺め、部屋のあちこちを見、好奇心に溢れ落ち着きがなかった。
泉はベッドの上に座り、じっとしていた。
なんだろうか。いやに緊張してしまう。男女が二人でホテルに泊まるなんて……。
そう思うと、体が火照ってきてしまう。
誠には喜んでもらいたい。最高の一日にしてもらいたい。
そのためにはどうするべきだろうか。……やっぱり、するしかないだろうか。
でも、誠のためなら構わなかった。いや、して欲しいという想いのほうが、どちらかというと強かった。
泉は意を決し、口を開いた。
「ま、誠くん。あ、あのね……」
「あ、そうだな。先に風呂に入れよ。俺後でいいから」
「え……あ、うん。わかった……」
泉は立ち上がるとバスルームに入った。
お風呂に入るということは、誠はやる気があるということだろうか。そう思うと顔が真っ赤になる。緊張して、心臓が張り裂けそうだ。
泉は服を脱ぎ、シャワーを浴びて体を綺麗にした。そしてそっと自分の体を眺めた。
「ちっちゃいな……」
お互いお風呂を済ませ、あとは寝るだけとなった。
誠が濡れた髪をタオルで拭きながらベッドに座った。
隣のベッドに座っている泉は、誠がシャワーを浴びている間や、今でもずっとそわそわして落ち着きがなかった。
そろそろだろうか。心の準備はしてきたが、いざとなると大丈夫だろうか。
いや、頑張らねば。これも誠のため。そう思えば何でもできる。
泉は顔を真っ赤にしながら、誠をチラッと見ると、思い切って口を開いた。
「あ、あの……誠くん」
「さて、そろそろ寝るか」
「……え?」
誠の言葉に、泉は固まってしまった。
誠はベッドの中に入ると、幸せそうな寝顔で寝ようとしていた。
「あ、あの、誠くん?」
「ん? どうしたんだ? 泉は眠たくない?」
「え、えと、その……もう寝るの?」
「あ、まだ眠たくないか。なら、テレビでも見るか」
「い、いや、そういうことじゃなくて……」
「え? じゃ、なに?」
誠は泉を見る。
泉はもじもじしながらそっと口を開いた。
「そ、その、あのね、え、ええと……誠くんは、今日楽しかった?」
「ああ、最高の一日だったぜ。すっごく楽しかった」
「そ、それで……もう満足した?」
「ああ、満足、満足。これ以上何か求めたら罰があたりそうだぜ」
「そう……」
泉は少し気が抜け、ほっとするが残念な気もしていた。
「じゃ、そろそろ寝るか」
「う、うん」
泉がベッドの中に入ることを確認すると、誠は電気を消し、隣のベッドに入った。
泉はふっと息を吐くと、誠を見た。
暗くてよく見えないが、そこにいるとわかる。
今日は楽しかった。自分も恩返しができて満足だ。計画通り進めることができ、申し分なかった。
泉は誠の方に体を向け、手を伸ばすと、手探りで探し、誠の手を掴んだ。
「ありがと、誠くん」
泉はそのまま眠りに着いた。
誠はそっと目を開け、泉のほうを見た。
「俺のほうこそ、ありがとな、泉」
誠もぎゅっと泉の手を握り返し、眠りに着いた。
二人の最高の思い出は、静かに幕を閉じた。
誠はそっと目を開けた。
眠たい目を擦り、体を起こす。
寝ぼけた頭で周りを見渡し、自分が泉の小屋の中にいることに気づいた。
そして記憶を手繰り寄せ、なぜここにいるのか思い出した。
「そっか。寝てしまったのか」
泉の墓参りに行き、この小屋の中に入って、泉の日記を見、あのときのことを思い出した。
いつしか眠っていたようだ。時間を確認すると、すでに夕方近かった。
誠は帰ろうと起き上がる。
そのとき気づいた。自分はいつしか毛布を被っていた。
寝るときは何も着ず、布団の上で寝ていたはず。
誠はその毛布を見てそっと笑みを浮かべた。
言わずとも、誰がしたかなんてわかっている。
布団と毛布を綺麗に畳むと、誠は最後に小屋を見て帰って行った。
そのとき、日記のページが風で捲れ、最後のページが開いた。
そこには書かれているはずがない字が書かれてあった。
『ありがと、誠くん』