泉編 part5:崩壊
日曜日。
今日は待ちに待った大切な日。
そう、誠とデートをする日だ。
この日のために、泉はバイトをしてお金を稼ぎ、少しでも誠に恩返しをし、喜ばせようと思って頑張ってきた。
すべては、この日のために。
泉はいつもより早く起きると、外にある綺麗な泉で顔を洗い、眠気を吹っ飛ばした。
空は透き通るくらい晴れ渡り、祝福してくれるように気持ちのいい天気だった。
清々しい気分に浸り、すべてがうまく成功しそうな気持ちだった。
絶対に喜んでくれる。そうとしか思えず、泉の胸は弾んだ。
「が、頑張る……」
泉は小さくガッツポーズをして仕度を始めた。
朝食を終えると、時間はまだ十分にあるので、今日の日程の確認をした。
まずはこの小屋に誠が来て、一緒にバス亭へと向かう。
そのとき、できれば手を繋ぎたい。
だが、そんな勇気は自分にあるだろうか。上がり症で、すぐに緊張してしまう。できたらしようと思った。
バス亭から隣町へのバスに乗り、そこの商店街で買い物をする。
誠にはいつもいろんな物を買ってもらっている。
今日は誠の好きなものをプレゼントしてあげたい。
嬉しそうな顔が頭に浮かぶ。きっと喜んでくれるはず。
それから少し喫茶店で時間を潰す。
いろいろ話をして、会話を弾ませたい。
いつも誠の話しを聞いているが、今では自分も話したいことはたくさんある。
そして夕食は高級レストランで食事。
このために稼いだお金だ。すでに予約はしてある。お金も払い、準備万端だ。
誠はきっと驚くだろう。そんな姿がつい想像してしまい笑ってしまう。
ここで最高の一時を送れるはずだ。
最後に、近くのホテルに行って終わり。そこでもしかしたら……。
泉の顔はいつのまにか真っ赤になっていた。ぶんぶんと首を振り、心を落ちつかせた。
最高の恩返しと完璧な計画ができた。これで、絶対に幸せになるはず。
「や、やるぞ……」
泉は張り切ってぐっと拳に力を込めた。
誠が来るのは午後一時。できれば朝から行きたかったのだが、誠は用事があるとのことで午前は潰れた。
でも構わない。この日は誠のためにある。自分は恩返しをしたい。
それができれば、十分だった。できれば、自分も楽しみたいが。
時刻は一時五分前。
泉はすでに出かける準備はできていた。
昨日買った服に着替え、白いバッグの中には財布、携帯、計画の書いてある日記のページの切れ端、ハンカチ。
忘れ物はない。何度も確認し確かめた。あとは、誠が来るのを待つだけだった。
しかし、その誠がなかなか来ない。
時刻はとうとう一時を過ぎた。焦りが募っていく。
テーブルの前で座ってじっと待っているが、そわそわして落ち着かない。
「何かあったのかな……」
泉は心配になってきた。
何度もドアを開け、外を見みるが、誠の姿を探すが見当たらない。
それでもきっと来てくれると思って待つことにした。
誠は今まで約束を破ったことがない。きっと、来てくれる。
だが、誠が来る気配は一向になかった。
時刻はとうとう予定時間から三十分過ぎた。
小屋の中で、泉はじっと待っていた。
今自分のところに向かっている。
あと数分したら声が聞こえる。
ドアが開いて誠が顔を覗かせる。
数分後にはもう外に出てバス亭に向かっている。
そうやって自分に言い聞かせた。
だが、不安は高まっていくばかり。だんだんと寂しくなってきた。
来て欲しい。
早く訪れて欲しい。
すぐに、逢いたい。
泉はぎゅっと手を握り、そう願った。
すると、バッグの中に入れてあった携帯が鳴った。
泉はすぐに携帯を取り出した。着信相手は誠だ。
「も、もしもし……」
「あ、泉。ごめんな、約束の時間過ぎてるだろ?」
「ううん。大丈夫だよ。……今、どこにいるの?」
「それが、今学校にいるんだよ。宿題し忘れたら、先生閑々に怒って、終わるまで帰らせないって。午前中に用事があるっていったのはそのこと。午後までには終わるって思ってたんだけどな。最悪だよな。今もこっそりかけてるんだ」
「そう……」
泉の手は震えていた。
なぜだろうか。抑えることができない。
「そ、それで、いつ終わるの?」
「ああ、それがわからないんだよな。なかなか返してくれそうになくて。抜け出していいけど、そしたら留年させるってうるさいし」
「そ、そうなんだ……」
どうやらすぐには終わりそうにない。計画は大きく崩れてしまった。
でも、夜までには帰ってこれるはず。レストランには間に合うはずだ。
それだけでもいいから、一緒に行きたい。
「あ、あのね、誠くん。……今日のデートなんだけど……夜からでも」
「ああ、今日のデートな、悪いけど中止だ」
「え?」
泉は雷が落ちたようなショックを受けた。
中止? 中止って言葉、どういう意味だっけ?
「多分遅くなるだろうし、十分に楽しめないだろ。また今度にしようぜ。そのほうがいいし。それに、夜は湊が一緒にご飯食べたいってうるさいんだよ。悪いな、泉……泉?」
泉は耳から携帯を離し、放心状態となっていた。
中止という言葉が頭の中で響き、信じられない気持ちでいっぱいだった。
楽しみにしてた。やっと、恩返しができると思った。最高の日々が送れると思った。
なのに、その夢は簡単に、もろく崩れ去った。
「泉? おい、泉? 聞こえてるか?」
誠の声が届き、泉は再び携帯を耳に近づけた。
「あ……うん。……聞こえてるよ」
「本当にごめんな。次は約束守るから」
「ううん。気にしないで。私は大丈夫だから。……宿題頑張ってね」
「ああ、ありがと。……あ、先生来そうだから、またな」
そういって誠は通話を切った。携帯からはツーツーという音が聞こえる。
泉は携帯を置くと、テーブルの上にうつぶせになった。
すべてが終わった。そんな気持ちだった。
この日のために、自分は頑張ってきた。
お金を稼いで、毎日その日のことを思い浮かべ、毎晩どんなふうに過ごすか計画して、服もバッグも買って、レストランも予約して……。
泉の目には涙が溢れていた。
自分がバカらしく思えてきた。何のためにここまで頑張ってきたんだろうか。なんのために夢を膨らませたのだろうか。
「うっ……うっ……」
大粒の滴が零れていく。視界が滲み、溢れ流れていく。
泉はバックの中から計画表を取り出すとびりびりと契った。
もう何もかもが嫌になった。すべてが嫌に思えた。
悔しい。苦しい。悲しい。いや、そんなものではない。心が締め付けられ、切なく、寂しかった。
「ううっ……ふっ……うっ……」
泉は大好きな熊のぬいぐるみを抱きしめると、一人小屋の中で涙を流し、この気持ちに耐えていた。
こんな感情、初めてだった。
次の日から、誠は泉の様子がおかしいことに気づいた。
以前よりそわそわしているというより、どこか怒っているという感じがした。
夕食は作ってくれる。だが、一緒にいるとき、雰囲気が違うような気がした。
「なぁ、泉。どうかしたのか?」
泉は黙って食事を続けた。黙々と、口を開かず、静かに消費していく。
「あ、そうだ。泉。今週の日曜は絶対大丈夫だから、デートしようぜ」
誠は元気良く言った。しかし、
「……いい。もう、デートはしなくて……」
冷たく、重い口調で言うと、泉は誠に背を向けた。
「い、泉……」
夕食を食べ終え、誠は家に帰ろうとした。
「じゃあな、泉。また明日な」
しかし、いつものように泉からの返事は聞こえなかった。
布団に横になり、大好きなぬいぐるみを抱いている。
誠は少し心配だったが、ドアを閉めて行った。
坂を下っているときに、誠はふと立ち止まった。
やはり気になった。泉の様子はどう見てもおかしい。
やはり、この前自分が約束を破ったせいだ。
誠は小屋を見上げた。
中からの光が消えている。もう寝てしまったのだろうか。
誠は引き返し、真剣に謝ろうと思った。
小屋に入ると、中は真っ暗だった。携帯を開き、その液晶画面を頼りに泉に近づく。
「泉? もう寝たのか?」
泉からの返事はない。静かな寝息を聞こえる。すでに眠りについたようだ。
しかたなく、明日謝ろうと思い、小屋を出ようとした。
そのとき、ゴミ箱の中にある紙切れを見つけた。
「これは……」
誠は一枚を取り出すと、ある文字に目が移った。
「デート大成功の計画表?」
そこで誠はピンときた。
ゴミ箱をあさり、中にある紙切れを全て取り出した。
そして一枚一枚丁寧に並べていく。
完成すると、誠は愕然とした。
「俺、なにやってんだよ……」
そこにある泉の計画。それを見て自分が情けなく思えてきた。
泉はこの計画をどんな気持ちで書いたんだろうか。
誠はそっと泉を見た。
背を向け、静かに寝ている姿。
誠は自分を本当にバカだと思った。
ずっと前から約束したのに、泉は毎日楽しみにしていたのに。
その気持ちを壊してしまった。簡単に踏みにじってしまった。
誠の目から涙がこぼれた。
申し訳なかった。本当に、自分が情けなかった。
「ごめん、泉……。本当にごめん……」
誠はうつむき、顔を伏せた。
「本当にごめんな、泉。……ごめん……。俺、次は絶対守るから……絶対来るって約束するから。どうか許してくれ……」
誠の嗚咽が小屋の中で響いていた。
泉の気持ちが伝わり、反省したんだと十分にわかる。
泉は目を開け起きており、その声を聞いていた。そしてそっと呟いた。
「……うん」