瞳編 part3:手段
瞳があのでっかい屋敷から家を飛び出し一日が経った。
朝食を食べた後、瞳はさっきから居間の窓から外の様子を窺う。
誠の家の前には、黒いスーツを着た怪しい人たちがうろうろしている。
片手にはトランシーバーが握られ、数十人の仲間と連絡を取り合っている。
さすがは瞳のお父さん。お金持ちだけあって、あれほどの人目を引く輩を雇うお金があるとは、さすがである。
「ああ~、こりゃさっさと帰った方が良くないか? もう逃げ場がないって感じ」
誠も瞳と同じように外の様子を眺める。
近所の人も怪しがって避けて通っている。本当に迷惑極まりない。
「なんか、ちょっと怖いね。危なくないよね?」
湊が少し怯えながら外を見る。
「瞳、ここは謝った方がいいんじゃないか?」
「バカなこといわないで。絶対帰らないんだから」
瞳が強く答える。誠は嘆息してソファに座った。
誠が離れたことを確信すると、湊は小声でまだじっと外を睨む瞳に囁いた。
「ねえ、瞳。あの話なんだけど、お父さんと話し合って解決できないかな?」
同じように瞳も小声で答えた。
「無理よ。うちのお父様は頑固なのよ。それも超が着くほどね。一度決めたことはどんなことがあっても曲げないの。それが……私のことでもね」
瞳は悲しげな目をしながら外に向き直る。
「瞳……」
それから少ししてあちらから動きがあった。
昼食を食べているとき、家のインターフォンが鳴った。
「俺がいく」
誠は立ち上がると居間を出て玄関に向かう。
「はい、どちら様?」
玄関の戸を開けると、そこにはやはりあの黒服の男が立っていた。サングラスをかけ、誠を見下してくる。
その姿に誠は少し怖気づきながら対応した。
「あ、あの、何か……?」
「……こちらに瞳お嬢様がご在宅だと思うのだが」
「え、ああ、その……多分、いません」
そこでサングラス越しから男がぎょっと睨みつける。
誠の体がびくっと怖がり、嫌な汗が流れる。
「嘘を吐くな。さっき窓から確認した」
なら聞く必要ないだろ。
「瞳お嬢様をこちらに渡してもらおうか」
その言葉に誠は気を引き締めた。
「すみませんが、それはできません。本人が嫌がっていますので」
男はじっと睨みつけてくる。しかし、誠は動じず睨み返していた。
「どうしてもか」
「ああ」
すると、男は後ろからスーツケースを取り出し、誠の前に置いた。
「取引だ。一億ある」
「一億!?」
その膨大な金額に誠は驚嘆な声を上げた。
「これで瞳お嬢様と交換だ。悪い話ではないだろ」
誠は考える。
こんな金額、喉から手が出るほど欲しい。すぐに取引成立となる。握手を交わし、お互い喜んでいるだろう。
だが、誠は揺らぐ気持ちを抑え、平静を保った。
「すみませんが、お引取りください」
誠の言葉に男は嘆息する。そして忠告した。
「明日また来る。今日のところは諦める。しかし、今度断るようなら……強行突破も考えなければならない」
「そうですか」
男は一礼すると、スーツケースを持っていってしまった。
置いてくれればよかったのに……。
誠は少しガックリしながら居間に戻ってきた。
「ただいま……」
「あ、お兄さん。ど、どうでした?」
瞳が少し動揺しながら問い掛ける。誠は席に着くと正直に話した。
「金をつまれたけど断った。明日も来るけど、断ったら強行突破をするって」
「そ、そうですか……」
瞳は肩を落としてうつむく。
「ね、兄さん。何とかならないかな。解決できないかな」
「一番良いのは、二人が話し合うことだ。それが一番の解決方法だと思う」
誠は瞳に向き直った。
「瞳、もう一度話し合ってみないか? 直接会うのが嫌なら電話でもいい。賭けてみよう」
誠の真剣さが伝わり、瞳はコクッとうなずいた。
瞳は客間の方に移動し、一人になると電話をかけた。どうやら聞かせたくないらしい。
誠と湊は居間に残り、障子越しから瞳を見守っていた。
「瞳、大丈夫かな……」
「これで解決できればいいけどな。無理なら、また考えないと」
数分して障子が開き、瞳が居間に戻ってきた。表情は落ち込んでいる。見ただけで結果がわかってしまう。
「瞳……どうだった?」
湊の質問に、瞳は首を振って答えた。
「そっか……。瞳、そしたらずっとここに居ていいよ。私たちが絶対に守るから」
「湊……」
「大丈夫だよ、瞳。心配しないで。きっと助けてあげる。お父さんが諦めるまで、ここにいればいいんだよ」
「う、うん。……ありがとう」
瞳は申し訳無さそうに礼を言う。
そこで誠が腕を組みながら口を挟んだ。
「なあ、瞳。そんなに勉強をすることと部活を辞めるのが嫌なのか?」
「え?」
瞳は少し意外そうな表情をしながら顔を上げた。誠は続ける。
「それって、ただのわがままじゃないのか? 親のいうことを聞かない子供のようにしか見えないんだけど」
「ちょっと、兄さん。止めてよ、守るって約束したじゃない」
湊が割って入る。
「ああ、守ってやるさ。でも、勉強を頑張れって言っているのは親だろ。将来立派な大人になるために、親がそう考えて言ってるんじゃないか。それをただ駄々こねて家出するのはわがままといえないか?」
そこで湊は癇癪を起こした。
「兄さん、いい加減にしてよ! 瞳だって、こういうことをするのはつらいんだよ。でも――」
「それでも、俺にはわがままにしか聞こえない。本当に嫌なら、逃げたりせず、立ち向かえばいいじゃないか」
「兄さん!」
「湊……もういいよ」
「え?」
瞳がうつむきながら口を開く。湊は反論するのを止め、そっと瞳を見る。
瞳はそのまま誠の方を向き、深く頭を下げた。
「すみません。私のわがままでした。迷惑かけてすみません」
「瞳……」
「もう、帰ります。ご迷惑をおかけしました」
瞳はそっと顔を上げた。その目には涙が溜まり、悔しそうに拳を握っていた。そして涙を拭きながら走って出て行ってしまった。
「あっ、瞳……」
湊は追いかけようとするが、玄関の戸が閉まり、立ち止まった。そしてすぐに誠の方に向き直った。
「兄さん、ひどいよ! そこまで言わなくていいじゃない!」
「でも、これは俺らが手を出したらいけないことだろ。親子の問題なんだ。他人が口出ししたら――」
「でも、友達が困ってるんだよ。助けを求めてるんだよ! そしたら助けてあげるでしょ? 前の兄さんだったらそんなことしなかった。絶対助けたよ……。兄さん、最低だよ!」
湊は居間を飛び出し、部屋に閉じこもってしまった。
「湊……」
誠は深刻な表情になると、ソファにドサッと座った。
そのとき、外で騒ぎが起こった。外にいた何人かの男がうまく聞き取れない声をあげ、その場から走っていく。
おそらく、瞳を見つけたのだろう。
声が聞こえなくなると、誠は嘆息して額に手を当てた。
「俺、間違ったことしたかな……」