瞳編 part2:宣言
次の日の朝。
誠は何度も欠伸を噛み締めていた。
それとは違い、瞳は上機嫌で朝食を食べている。
「兄さん、どうしたの? さっきから欠伸ばっかだよ」
隣に座っている湊が問い掛ける。
「ああ、昨日寝床を襲われて、寒くてなかなか寝付けなくて……」
そこで誠はまた欠伸をする。それを見て瞳はクスクスと笑う。
湊は首をかしげることしかできなかった。
朝食を終え、誠と瞳は昨日話し合った通り、瞳の父親の元に向かう準備を始めた。
「それじゃ、行ってくるね」
「うん。頑張ってね」
湊と瞳が手を振り会う。
瞳の隣で誠は緊張した面目で立っていた。
自分の上司のところにいくのだ。それも遥か雲の上の存在である社長。どうしても緊張してしまう。
瞳は誠の手を取ると、玄関を出た。
湊はその姿を見届け、やれやれといった感じで息を吐く。
「兄さんで大丈夫かな?」
二人は瞳の自宅へと向かう。
今日瞳の父親である、麻生聖司は休みだそうだ。
瞳は余裕の表情で歩いていく。誠はぎこちない足取りだった。
「大丈夫ですか、お兄さん?」
「大丈夫なわけないだろ。クビになんないかな~」
「大丈夫ですよ。クビになったら、私が何とかします」
その自信はどこからくるのだろうか。誠はずっとびくびくしていた。
誠の家から数十分で、瞳の自宅へと着いた。目の前には大きな豪邸が建っていた。
何百坪という大豪邸で、中庭に噴水まである。その先にそびえ立つお屋敷は左右対称のシンメトリーで、お金持ちという雰囲気を出していた。
誠は何回か訪れたことがあるが、何回見ても驚きを隠せなかった。
瞳はインターフォンを押し「私」というと門が自動で開いた。
「さ、いこ」
瞳が中に足を踏み入れる。誠は言われたとおり、後ろを着いていった。
屋敷に入ると、お年を感じさせる執事らしき人が駆け寄ってきて、胸に手を添えながら頭を下げた。
「お帰りなさいませ、瞳様。聖司様がお待ちです」
瞳は「やっぱり」と小さく漏らす。そして後ろを振り返り、誠を見た。
「ずっと私のそばにいてね。……何があっても」
瞳の目には冗談ではない力が入っていた。誠は覚悟を決めるとコクッとうなずいた。
「それじゃ、いきましょ……」
瞳は奥へと歩き出した。
瞳の父親の聖司は三階の奥の部屋にいる。自室でもあり、仕事部屋でもある。
瞳はその前で立ち止まると、軽くノックをした。
コンコン
「誰だ?」
中から少し苛立ちのこもった声が聞こえた。
それに動じず、瞳は「わたし」と答えると、中に入るようにといわれた。
瞳は誠に「いくよ」と一声かけ、ドアを開けた。
中に入ると、目の前のデスクに聖司は座っていた。ずっしりと座り、剣幕な表情で二人を睨む。
それだけで誠はその場から逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
口を開いたのは、聖司からだった。
「瞳。いったいどこに行ってたんだ。心配したんだぞ」
聖司は立ち上がると、二人の前に立つ。瞳はぎゅっと口を閉ざしていた。
聖司は誠に気づいた。
「これはこれは、清水誠くん。大きくなったね。我が社に入社おめでとう」
優しそうな笑顔で、聖司は誠の肩に手を置いた。
「い、いえ、僕のような出来損ないを入社していただき、本当にありがとうございます」
誠はぎこりない言葉で丁寧に頭を下げる。
「そんなにかしこまる必要も、自分を下に見る必要もないぞ。君には期待している。最初はいろいろと慣れるまで戸惑うと思うが、一生懸命頑張りたまえ」
「は、はい」
誠との挨拶が済み、そこで瞳が口を開いた。
「お父様、話があるのですが、よろしいですか?」
聖司は瞳に向き直る。
「なんだね。勉強したくないから、家庭教師も塾も必要ないと? 子供はわがままをいえばいいというわけではない。親のいうことを聞いて、立派な大人に成長するべきだ」
聖司はふかふかのソファに座る。そして二人も座るようにうながした。
瞳は聖司の目の前に、誠は瞳の隣に座った。
「それもあるのですが、一つ大事な報告があります」
「ん? なんだね」
すると、瞳が誠の腕を掴み、ぎゅっと抱きしめ寄り添ってきた。
「私、この人と結婚します」
「……え?」
誠は状況が読めず、顔をゆがめる。聖司の表情もだんだんと変わっていった。
瞳は誠の腕を抱きしめながら、じっと聖司を睨みつけていた。聖司は手すりに肘をつきながら口を開いた。
「どういうことかな、誠くん。入社を許しても、娘との結婚は許してないぞ」
「え? あ、いや、僕にもなんだか……」
誠は頭を擦りながら苦笑いを浮かべる。瞳は動じず続ける。
「私、今誠くんと付き合ってるの。結婚を前提にお付き合いしてるし、昨日だって、彼の家に泊まったわ」
瞳は堂々と話す。聖司に表情がだんだんと曇り始めた。
「それは、本当なのか?」
誠に問い掛ける。
「え、あ、はい。でも、湊も一緒ですし」
誠は愛想笑いを浮かべる。
これ以上刺激するな。本当に首が飛ぶ……。
「泊まっただけじゃないわ。夜は一緒に寝たのよ」
そこで誠の心の中で何かにひびが入った。
いってはいけないことを……。
聖司の拳はぶるぶると震えていた。
「そういうわけだから、しばらく誠くんの家で暮らす。戻ってきて欲しいなら……あの話しは全てなかったことにして」
瞳は立ち上がると、誠の手を引っ張って、部屋から出て行った。
聖司は未だにソファに座り、じっと前を向いていた。
二人は瞳の部屋にいた。瞳はバッグに服や必要品を入れていく。
誠はベッドに座り、その様子を見ていた。
「なあ、さっきのなんだったんだよ。なんであんな嘘を?」
誠が少し苛立ちを込め訊いた。
「え? 私たち結婚するんじゃないの?」
「そんな嘘はやめなさい」
瞳は軽く笑って謝った。
「すみません。でも、ああでもいわないと、お父さん話を聞きませんから」
「だからって、結婚って……。嘘でも、湊がなんて言うか……」
「大丈夫ですよ、湊には許可を貰っていますから」
「え? 湊はこのこと知ってたのか?」
「はい、知ってますよ。お兄さんに話す前から」
「なんだよ、それ……」
瞳は準備を終えると、バッグを持って立ちあがった。
「それじゃ、いきましょうか」
「いくって?」
「もちろん、未来の旦那様の家」
誠は重いため息を吐くと、一緒に出て行った。
屋敷を出たところで、二人は後ろを振り返った。そこには執事がいた。
「お嬢様、どちらへ?」
「うん。ちょっとした、家出ってやつかな」
「さようですか」
執事は誠に向き直った。そして丁寧に頭を下げた。
「どうか、瞳お嬢様をお願いいたします」
「え? あ、はい……」
お嬢様が家出するっていうのに、特に慌てたり引き止めたりしないんだな……。
「それじゃ、お父様によろしくね」
そういって瞳は軽く手を振り、屋敷から出て行った。
家に戻って来ると、湊を加えた三人で話し合った。
「それで、瞳は俺をこのために利用したのか」
「利用したって、人聞きの悪いこと言わないでくださいよ」
誠はぶすっとした表情で二人を見る。湊はへらへらと笑っていた。
「俺、マジでクビかも……」
「大丈夫です。私と結婚すれば、あの財産は全部お兄さんのものです。良かったじゃないですか」
「それマジでいってるのか?」
「どうかな~」
瞳はとぼけた表情をする。誠は嘆息すると、真面目な顔で問い掛けた。
「それで、これからどうするんだ?」
「そうですね。まずは、相手の動きを見るかな。出方次第で動かないといけませんね」
「ねえ、兄さん。瞳を助けてあげてよ」
湊が本気で求めている。
「助けてやるさ。ここまできたんだし。瞳にはいろいろとお世話になったしな」
「さすが、お兄さん。いざというときは頼りになりますね」
「ま、瞳のお父さんのことだ。明日の朝とかには、もしかしたらガードマンやらSPやらが連れに来るかもしんないな。その出方次第で、俺らも動くか」
「そうですね。それじゃ、それまでよろしくお願いします」
こうして瞳が家に上がりこんだが、どこか、瞳にはまだ隠し事がありそうな気がしていた。