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雫編 part5:忘却

 雫の言葉を聞いて、誠は立ちすくんでいた。


さっきの言葉が、何度も頭の中で繰り返し、響いてくる。


『記憶を、消して……』


 これはどういう意味なんだ。なんで、こんなことをいうんだ。


「し、雫、それ、どういう意味なんだよ」


 出た言葉がこれだった。まずは、その理由を知りたかった。


 雫はすっと笑みを消し、表情を曇らせた。


「そうだよね……。いきなり言われても、納得できないよね……」


 雫はそっと目を閉じ、思い出しながら、重い口を開いた。


「私、この街を去って、お婆ちゃんの家に行ったけど……全然楽しくなかった」


「え?」


 雫は自分の過去を、一年間の思い出を、話し始めた。




 両親不在が心配され、雫は母方の祖母の家に行くことになった。


田舎にある祖母の家は、自然に囲まれ、元いた場所とは環境ががらりと変わってしまった。


でも、雫はここで新しい生活を見つけ出そうと、努力した――つもりだった。


 新しい高校でも、雫は初めからたくさんのクラスメイトから慕われ、すぐに友達も親しい友人もできた。


 雫は可愛らしい笑顔で振る舞い、親しみ安そうにする。


 しかし、内心多くの友達と一緒にいても、楽しいとは少しも思えなかった。


愛想笑いを浮かべているが、心の奥では、ある人物のこといっぱいだった。


 前と同様、怠ることのない人気は、ここでも健在だった。


あっという間に学校一美少女として、毎日のように男子から話かけられるのはもちろん、告白も何度もあった。


 やはり雫はそれを全て断った。誰が告白してきても、自分の答えは初めから決まっている。


 確かに、学校生活は大して変わらず、周りの雰囲気が変わったくらいで、以前と変わりようはどこにもないように感じられる。


 しかし、変わったところは、すぐ傍にあり、確実にあった。


 雫は毎日携帯を開き、誠の携帯にかけようとした。しかし、すぐに指を離し、ポケットの中へと納める。


 ここに来て、ずっと誠の声が聞けず、何度も電話をしようと思った。でも、その勇気が出なかった。


 自分は、振られている……。


曖昧に終わったかもしれないが、誠は答えてくれなかった。好きだと、言ってくれなかった。


 雫は夜になると、毎日涙を流した。


声を上げず、ただベッドの上で、仰向けに横たわり、涙を流す。


 その涙が、心を潤し、洗い流してくれるように癒しを与える。


「誠……くん……」


 自分の心は、こんなにも変わり、何をしても手がつけられなくなった。


 自分の傍に、好きな人がいない――。


 それだけで、雫の心は、永遠に閉ざされ、開くことはなく、ただ蝕まれていくのを待つだけだった……。


 そのせいか、雫はいつしか精神が不安定になり、学校を欠席する日数が増えつつあった。


祖母や祖父が心配するが、放っといてほしい、と伝え、全てにやる気が起きない日々が続いた。


 そしてとうとう、雫は不登校になった。


自分の好きな人――誠のいない人生はつまらない。何をしても活気が涌いてこない。


自分は生きる意味があるのだろうか……。


 ある夜、雫は湯船に入りながら、ぼーっとしていた。


体育座りをして、ただ目の前の鏡に映っている自分を見つめる。


 鏡の中の自分は、こんなにも窶れ、頬がげっそりと痩せこけていた。


 雫はふと笑みを浮かべた。


 こんな顔じゃ、誠くんは喜んでくれない。笑ってくれない。会ってもくれないだろう。


ならば、死んだ方がマシだ……。


 雫は事前に持っていたカッターを握った。先から刃を数センチ出し、自分の手首に当てる。


蛍光から光が反射するカッターは、普段何気なく見ているおもちゃが凶器に思えた。


 これで、お母さんに、会えるかな……。


 数時間し、雫がお風呂から出るのが遅いので、様子を見に行った祖母が、湯船が赤く染まり、その中でぐったりと倒れている雫を見つけた。


大量出血で、体中が青くなり、すぐに病院に運んだ。


 何とか一命を取り戻し、雫はしばらくの入院と心理カウンセラーに通うことになった。


 ベッドの中で、雫は白い天井を見つめながら、そっと呟いた。


 誠くん、と。


 退院した雫は、カッターなどの刃物は持たされなくなり、そして、毎日駅に来ては、誠のいる街を見つめるようになった。


 すぐに行きたい。会いに行きたい。自分の好きな人――誠に会いに行きたい。


 でも、行く事はできない。自分はこの街から抜け出すことはできない。自分は縛られ、身動き一つできない状況だ。


なぜなら、――またここに戻るしかないのならば、別れが辛くなり、より心が病んでしまうからだ。


 雫は何度も駅に通い、いつしか駅員に覚えられ、何度か口を交わす真柄になった。


 雫は駅員に話した。


 この先に私の好きな人がいる。でも、会いにいくことはできない。


私は彼が大好きである。でも、一回会いに行き、また別れる。


また会う日まで、私は耐えることができるだろうか。いや、できないだろう。


それほど、私は本気の愛をしているのだから。


それならば、会わない方がいい。会わない方法が、一番の解決方法だ。


 雫はそう思い込み、毎日ただ我慢との対決をしてきた。


 そしてある日、雫の祖母が駅にやってきた。雫は力のない瞳を向ける。


祖母は雫を見つめ、口を開いた。


 行ってきなさい。おもいっきり楽しんで、彼との思い出を作りなさい。


そして、――彼との記憶を消しなさい。


 雫は最後の言葉に大きく心を動揺させられた。


前から思っていた。忘れることはできないのだろうか、と。


 雫は自分のスカイを思い出す。これで、自分の記憶を消そうと。


しかし、誠には覚えていて欲しい。


自分という存在を、自分の想い、愛情、全てを、頭の中に刻んで欲しい。


 雫は決心した。


これからの自分の将来や未来のために、好きな人との記憶を消し、先へ進もうと……。




 話を聞き終え、誠は震える体を必死に抑えていた。


雫がそこまで病んでいるとは知らなかった。てっきり、あっちでも楽しくやっていると思っていた。


 しかし、それは大きな誤算だった。


 雫は悲しげな瞳を向けながら、小さく口を動かした。


「誠くん……。私のために、私の未来のために……記憶を消して。……このままじゃ、私……死んじゃう」


 誠の心臓は強く掴まれた感じがした。


死ぬ? 雫が、死んでしまう? いやだ、そんなの、いやだ……。


「雫……。し、死ぬなんて、冗談やめろよ。べ、別に、記憶を消さなくても、雫なら上手くやれるだろ?」


 誠の語尾は震えていた。震えが止まらない。こんなにも恐怖に包まれたのは初めてだった。


 雫はそっと笑みを浮かべながら、ゆっくりと首を振った。


「いったでしょ? 私は、誠くんのことを忘れないと、生きていけないの。このままだと死んじゃうの。誠くんも、私が死ぬのは嫌でしょ? だったら……記憶を消して」


 雫はゆっくりと近づいてきた。そして誠の顔に触れ、下から覗き込む。


「ねえ、簡単なことでしょ? ただ一言、雫の記憶を消してっていえばいいんだから」


 誠はじっと立ったまま、震えが収まらない声でいった。


「し、雫はそれでいいのか? お、俺との、思い出がすべて消えて……いいのか?」


 雫は軽く笑ってうなずいた。


「仕方ないよ。そうじゃなきゃ、私……生きていく気力が涌かないもん。だから、ね? お願い」


 雫は誠に抱きつき、そして胸の中に顔をうずめた。


「お願い、誠くん」


「……お、俺は」


 誠はぎゅっと目を瞑った。歯を食いしばり、拳を握る。


 そのとき、雫がそっと誠から離れた。


「そうだね。誠くんも困るよね。ごめんね、自分のことばかりで」


「雫……」


 雫はニコッと笑みを浮かべた。


「一日だけ時間をあげる。明日、午後六時に神社の本堂に来て。……待ってるから」


 誠は最後の、待ってる、でとてつもない恐怖を感じた。


雫の声が、地獄からのさまよう亡霊のような声に聞こえたのだ。


来なければ、おそらく雫は死んでしまう。


一日で、答えを見つけなければ……。


「それじゃ、期待通りの答え、待ってるよ」


 そういって、雫は誠と目を合わせることもなく、その場から去っていった。


 誠はしばらく、その場から動けずに、立ち尽くしていた。


雫の過去を知り、ここに来た理由。そして自分の想いを全て伝えた。


 自分は、これからどうするべきだろうか……。


 いつのまにか、辺りは真っ暗な闇に囲まれていた。


 その闇は、雫の心のように、どす黒く濁ったもののように感じた……。

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