雫編 part3:願球
雫が来てニ日目。この日は金曜日である。
今ごろ誠は学校で授業を受けている。どうせ聞いてもおらず、ぐうたら寝ているだろうと思われる。
その間に、雫は本堂の掃除や、母屋の整理などをしていた。
一年間だけ住んでいなかっただけで、中は埃だらけだった。一日かけ綺麗にし、気づけば時刻は夕方近く。
雫は掃除を終わらせると、キッチンに向かい、軽食を作ることにした。
もちろん、これは誠に食べさせるのだ。昨日約束して、学校が終わったら来るといったのだ。
雫は綺麗な三角のおにぎりを作っていく。
鼻歌まじりで楽しそうに握り、誠が来るのを待った。
秋の暮れ、陽が暮れ出したとき、誠は姿を現した。
「わ、悪い、生徒会の仕事で遅れた」
「もう、遅い! ずっと待ってたんだよ!」
雫は居間で座りながら、頬をぷくっと膨らませた。
「だからごめんって。生徒会の仕事もあと少しなんだ。そんな怒るなよ」
誠は手を合わせて謝る。
しかし、雫が怒るのも無理ない。
誠が来ると約束した時間から二時間以上経っているのだ。待つのは疲れる。
「だったら、条件がある」
「な、なんだよ」
誠は顔を上げて問い掛ける。すると、雫は誠に近づき、耳元に囁いた。
「私と……キス、して」
「え?」
誠はいきなりの言葉を混乱した。雫は誠から離れた。
「だ~か~ら、私と、キスして。そしたら、許してあげる」
「いや、俺、湊がいるし……」
誠は頭を掻きながら申し訳無さそうに謝る。
「それじゃ、一生許してあげない」
雫は腕を組むと、誠に背を向けてしまった。
「ええ? ちょ、ちょっと雫!」
「なに? キス、してくれるの?」
「いや、だから、それは……」
誠はどうしたらいいのかわからず困り果てる。
そんな誠を見て、雫はつい噴出して笑ってしまった。
「ははは。いいよ、誠。許してあげる。忙しいのはわかるし」
「な、なんだよ。まったく、からかいやがって」
誠は少し怒ったが、内心安堵していた。
「ほら、おにぎり作ったんだよ。良かったら食べて」
雫はテーブルに置いてるおにぎりを誠に持っていった。
「おっ、ありがと。ちょうど腹減ってたんだ」
誠はおにぎりの一つを掴むとおいしそうに口に入れていく。
「どう? おいしい?」
「うん! めっちゃうまい!」
誠は二個目と、どんどん食べていく。
そんな様子を、雫はテーブルに頬杖をつき、微笑みながら眺めていた。
さっきは少しからかったが、正直キスはして欲しかった。
自分は想いを伝えた。それを誠はわかっているはず。
自分は、誠が好きである。いつまでも変わらない想い。
この気持ちはこの先変わらない。いや、変えたくない。
こんなにも人を好きになり、離れていても愛しく考え、そしていつまでも同じ空間で過ごしたいとさえ思った。
誠が望むことなら、自分はなんでもしてあげる。それほど好きだ。
いや、好きというよりも、愛しているといったほうが適切かもしれない。
この気持ちは、それほど重く、重大なのだ。
「ん? なに見てんだ?」
誠が雫の視線に気づいた。雫はニコッと微笑んだ。
「お米、ついてるよ」
「あらら」
誠は頬についたお米をとる。雫はずっとニコニコしていた。
今日は土曜日である。学校は休みで、誠は昼過ぎに雫の家に来た。
本当はランチをご馳走するはずだったのだが、誠はまた寝坊したらしい。
今、二人は商店街から帰っているところだ。雫の買い物に付き合っている。
「まったく。その寝坊癖はまだ治ってないんだね」
「だからごめんっていってるだろ。本当に悪かった」
誠はさっきからずっと謝っている。でも、雫はなかなか許してくれない。
今でも、さっき買った食材やらを入れた袋を全て誠が持っている。
「本当に悪いと思ってるならなにかお詫びをしなさい」
「お詫びって……じゃあ、キス?」
そこで雫の顔が一瞬で真っ赤になった。
「な、何いってるのよ! キ、キスで許すわけないでしょ!」
雫の怒声が響き、息を荒げながら誠を睨む。
その声に、周りの人たちは何事かと思い、誠と雫を見ていた。
「し、雫、声が大きい」
ようやく我に返った雫は、また恥ずかしそうに顔を赤らめ、そそくさとその場から去っていった。
母屋に戻ると、雫は居間に座り込み、まだ怒っていた。
「も~う、誠のせいだよ! あんな恥かいて。もうお嫁にいけない!」
「大丈夫だって。雫なら誰でも結婚できるよ」
誠は買ってきた食材を冷蔵庫の中に入れながら、少し笑って答える。
「……じゃあ、誠は結婚してくれる?」
「え? 俺? いや、俺、湊がいるし」
「でも、兄妹で結婚はできないよ」
「でも、俺ら、別に兄妹っていうか、血は繋がっていないし」
「でも、そういう関係ではいるよね」
「でも、俺ら普通に付き合ってるし」
「でも、世間はそうはいってないよね」
「でも、瞳のおかげで誰も批判しないし」
そこで沈黙が流れる。そして二人はお互いに声を上げて笑い出した。
「ははは。もう、いいよ。別に怒ってないよ」
「ははは。でも、なにかお詫びはするよ。何かない?」
「そうね」
雫は天井を向きながら考える。そして思いつくと、手をパンと鳴らした。
「だったらさ、明日デートしてよ」
「デート? なんだ、そんなことでいいのか?」
「うん! 日曜だし。久しぶりに遊びにいこ。明日はぜ~ったい寝坊しないでよ」
「わかったよ。じゃ、約束な」
「うん!」
二人は小指を出し合い、そして約束をした。
誠が帰ったあと、雫は明日何を着てくかなど、デートプランを考えた。
一番お気に入りの服を選び、どこに行くかなどを決め、準備を整える。
そのあとお風呂に入り、誠とどう楽しく過ごすかを考えた。
「明日はデート。楽しみだな~」
雫は湯船に浸かり、嬉しそうな笑顔を見せる。
「ふふ。デートなんて久しぶり。ああ~、明日が早く来ないかな~」
雫は手を大きく上げ、背伸びをした。そして目の前にある鏡を見る。
「明日、もしかしたら……」
雫は自分の胸に手を触れる。そして大きさを確かめた。
「う~ん、ある方だと思うけど、誠はどう思うかな」
そこで顔が真っ赤になる。
「いや、まだするって決まったわけじゃないし。それに、誠は湊ちゃんがいるからするはずないし」
雫は勝手に暴走し、頭がクラクラし始めた。どうやらのぼせたようだ。
雫は頭を抑えながら、湯船から上がった。
寝間着に着替え、雫は髪をタオルで拭きながらベッドに座った。
何気なく携帯を掴むと、メールが届いていた。誠からだった。
『明日、一応時間前にメールして』
雫はクスクス笑って返信した。
「了解、っと」
雫は携帯を閉じると、ベッドに横になった。
明日は誠とデート。今日は眠れるだろうか。少なからず、興奮して寝つけそうにない。
好きな人と一緒にいられ、そして楽しい時間を共有できる。
それがどんなに楽しく、そしてどんなに嬉しいことか。
つい口元が緩み、ほくそえんでしまう。
「誠……」
雫はそっと呟く。
名前を呼ぶだけで、自分の胸はきゅっと締め付けられる。
もっと一緒にいたい。もっと楽しんで、もっと多くの思い出を作りたい。
なぜなら、自分は誠が好きだから……。
そこで雫は体を起こした。
「ダメだ……」
雫は額に手を当て、がくっとうずくまる。
自分はそんなことのためにここに戻ってきたんじゃない。
自分には、やるべきことがある。やらなければならない使命がある。
それを果たすために、ここまで来たんだ。
それをしなければ、自分は帰ることはできない。元に戻る事はできない。
また、あの苦痛を抱えながら過ごすしかなくなる。
それが嫌だから、わざわざここまで来たんだ。
猶予は一週間。すでに三日過ぎている。残り四日間。
この期間中に、あれをしなければ……。
雫はぎゅっと胸元で拳を握る。そしてそっと手を前に出し、手の平を開いた。
そこには、青白く光る小さな球があった。
「さよなら、誠くん……」