茜編 part4:後悔
再び撮影が始まった。
残り少ない時間で進めなければならない。ノンストップで作業を急いだ。
それに伴い、誠をはじめ、他の出演者たちも気合いを入れ、演技に取り組んだ。
しかし、茜だけは違った。
簡単なところでミスをしたり、覚えていたはずの台詞を忘れたりと、どこか様子がおかしかった。
そのせいで、茜は監督にも関わらず、助監督に厳しく叱られた。
休憩時間に、誠は椅子に座って落ち込んでいる茜に話し掛けた。
「大丈夫か、茜ちゃん」
誠はしゃがみこみ、茜の顔を覗く。
「……誠お兄ちゃん」
茜の瞳に活力が見えなかった。そうとう重症に見える。
「どうかしたか? 具合悪そうだぞ」
「ううん。大丈夫。ありがと」
茜は無理に笑顔を作る。しかし、すぐにうつむき、元に戻った。
「茜ちゃん」
誠はそっと茜の頭に手を乗せ、優しく撫でた。
「元気出せよ。そんな落ち込んだら、俺まで悲しくなるぜ。いつもの、幸せそうな笑顔を、俺に見せてくれよ」
誠の言葉に、茜はうなずくとニコッと笑みを見せた。その笑顔は、いつもの茜の笑顔だった。
「その意気だ。じゃ、次も頑張ろうな」
誠は立ち上がると、軽く手を振って、湊の下に戻っていった。
茜はその後ろ姿を見届けると、そっと笑みを浮かべた。
やはり誠は優しい。どの言葉よりも心に染み、そして不思議と元気が沸いてくる。
それだけでなく、悩んでいたことがバカみたいに思える。
本当に、誠はすごかった。
でも、こればかりはどうしようもできない。あれからずっと迷っている。
自分は、どうすればいいのだろうか……。
休憩が終わり、後半のシーンから始まる。
誠、湊、茜の三人は、家の中で楽しく食事をする。
茜は声が出せないので、表情だけで表現しなければならない。伝達手段は紙に字を書くのだ。
それから少し進み、茜が初めて声を出すシーンが始まる。
茜は誠と一緒に遊園地で遊んでいたが、途中で迷子になる。そのとき、いかにも悪そうな男が茜をさらうのだ。
そのとき、咄嗟に助けを呼ぼうと、茜は声を発するのだ。
「よし、始めるぞ! スタート!」
助監督の合図で始まった。誠と茜は実際に遊園地をロケに、演技を始める。
最初は普通に楽しく過ごし、そのあと、自然と別れる。
茜は誠と離れると、不安そうな顔で辺りを見渡す。声が出ない分、演技でその人の心情を伝えなければならない。
茜は少し潤み始めた目で慌てる。キョロキョロと辺りを見渡し、誠を探す。
誠は少しして、茜がいないことに気づくと、慌てた様子で人ごみを掻き分け、茜を必死に探す。
その間に、茜は泣きそうになりながら、行き交う人の顔を見て探す。だんだんと不安が募り、恐怖心が芽生えてくる。
そのとき、茜を浚う役の人が茜に気づき、後ろからそっと近づく。
茜は肩を叩かれ、安堵したような表情で後ろを振り向いた。しかし、そこには誠ではなく知らない男。
その瞬間、茜は口を抑えられ、男に襲われてしまった。
パニック状態に陥った茜は暴れ出す。それを男は力づくで抑える。
その間に誠は走り回って探すが見つからない。
「クソ。どこだ、どこにいるんだ」
男は茜を連れて出口へと向かう。そのとき、茜は男が口を抑えている手を噛んだ。
「いて!」
男は咄嗟に茜の口から手を離す。口が自由になった瞬間、茜はおもいっきり叫んだ。
「助けて! お兄ちゃん!」
その声を聞いた誠は不意に立ち止まった。
「今……」
そして誠は茜を見つけた。知らない男に捕まり、出口に向かって走っていく。
「助けて! 助けて!」
誠は足に力を込め走り出した。誠に気づいた男も逃れようと懸命に走る。しかし、茜を抱えている分、誠の方が速い。
「お兄ちゃん!」
茜が手を伸ばして誠に助けを求める。
すぐに誠は男に近づくと、茜向かって手を伸ばした。そのとき、男は振り返り、誠の体をおもいっきり蹴り飛ばした。
「うっ」
誠はその場に倒れると転げ回った。もちろん、本当に蹴ったわけではない。
「お兄ちゃん!」
誠は傷みに耐えながら起き上がる。そしてもう一度走り出そうとした。
だが、男は走っておらず、茜に向かってナイフをつき立てていた。
「動くな! こいつが死んでもいいのか!」
男がナイフを茜の首に当てる。あと少しで切れるというところだ。
誠は何もできず、その場に立ったまま動かない。
男は少しずつ後ろに下がる。
周りの人たちも、何事かと思い、二人の光景を凝視する。そして状況がわかると、悲鳴を上げる者もいる。
そのとき、すぐに警察が来た。
「お前、その子を離せ!」
「うるさい! 近づくんじゃねーぞ!」
誠は怖がる茜をじっと見る。
助けてやりたいが、どうしようもできない。拳を固く握り、悔しそうに歯を食いしばる。
このままでは、茜が死んでしまう……。
誠はいきなり叫び出すと、男向かって突進をした。
「うおっ!」
男が不意をつかれ、その場に倒れる。そのとき、男の持っていたナイフが襲ってきた。
誠は茜をかばうと、ナイフの軌道上に右腕を差し出す。その瞬間、おびただしい血がアスファルトの上に飛び散った。
「お兄ちゃん!」
誠は傷みをこらえ、茜を抱えると男から離れようとする。その隙を狙い、警察が男を取り押さえた。
その様子を見た誠は、安堵するとその場に座り込んだ。
茜は誠の服を掴み、胸の中で泣いていた。誠はぎゅっと茜を抱きしめ、良かった、と呟く。
そこで助監督が声を上げた。
「オッケー! 良かったぞ!」
その言葉で誠と茜は力を抜いた。
「けっこう疲れた」
「大丈夫? 誠お兄ちゃん」
茜が心配そうに見る。
「ああ、大丈夫。まだまだいけるぞ」
誠は軽く笑みを浮かべる。そのとき、湊が近寄ってきた。
「二人ともお疲れ様。迫真の演技だったよ」
そういって二人にタオルを渡す。
「ありがと。でも、ちょっと怖かったな。ナイフが本物に見えたし」
誠は腕についた血のりを拭く。
「ふふ。でも、兄さんかっこよかったよ」
「そ、そうか?」
誠は照れ笑いを浮かべる。
その間、茜は二人の様子を見てうつむいた。
「どうしたの? 茜ちゃん」
湊が茜に声をかける。茜は顔を上げるといつものように笑顔を見せた。
「ううん。なんでもない。そうだ、次のシーンの台詞覚えなきゃ」
茜は立ち上がると、誠たちから離れた。そして休憩室で椅子に座ると、ふっと息を吐いた。
やはり二人は付き合っている。すぐにわかる。二人の間に恋人である空間が生じ、誰も近づけさせない。
やっぱり、苦しい。切なく、悔しく、胸が締め付けられる。
この気持ちは変わらない。でも、なぜか二人を憎めない。自分の好きな人を取られているが、湊が嫌いだとか、いなくなればいいのに、などとは思えなかった。
茜は顔を上げた。目の前に大きな鏡がある。その中に映っているのは、小さく、小学生のかわいい女の子。
今初めて後悔したかもしれない。スカイを使い、こんな子供になって……。
もし、元の姿で誠に出会っていれば、自分を選んでいたかもしれない。いや、きっとそうだ。自分はこんなにもかわいい。
でも、それは叶わない夢。スカイはもうない。元に戻ることはできない。
茜は肩を落とし、視線を下げる。
そのとき、休憩室に時雨さんが入ってきた。
「茜、さっきの演技良かったわよ」
茜はうつむきながらぼそっと呟く。
「……ありがと」
その様子を見て、時雨さんは茜の髪を直しながら口を開いた。
「あの二人の関係をじかに感じたのね」
「……私、どうしたらいい?」
茜の目が潤み始める。拳を握り、体が小刻みに震える。
時雨さんはふと笑みを浮かべる。
「それは自分で考えなさい。私は、いくらでも協力するから」
時雨さんは続けた。
「でもね、途中で諦めたら、この先ずっと後悔すると思うわよ。しないよりも、した方が、よっぽどいいからね」
自分の母親の言葉に、初めて深みを感じた。
たしかにそうだ。どうせ後悔するなら、して後悔した方がいい。
その先に待っている答えが、どのようなものであったとしても。
茜は目を閉じた。
「私、頑張ってみる」
その言葉に時雨さんはうなずいた。
「うん。その意気。さすが、我が娘」
「だって、私お母さんの娘だもん」
二人はクスクスと笑い合った。