茜編 part3:休暇
撮影が始まり、それからしばらく経った。
撮影は今のところ順調に進められている。
湊はちょくちょく出るだけで、演技にも問題ないのだが、誠はNGを連発し、スタッフや他の役者たちに迷惑をかけていた。茜だけは、可笑しそうに笑っている。
誠は何度も頭を下げ、また台詞も何度も復唱し、肉体的にも精神的にも、限界を感じ始めていた。
「ああ~、もうダメ……」
今日の分の撮影が終わり、ホテルに戻ってくると、誠はすぐにベッドに倒れた。疲労も溜まり、このまま動けなかった。
「兄さん、大丈夫?」
湊は心配した表情で誠の隣に座ると、マッサージを始めた。
「おお、ありがと、湊」
「あまり無理しないでね」
湊にマッサージを受けながら、誠は思った。
なぜ自分が主演を演じなければならないのだろうか。こんなド素人よりも、もっと上手い人がこなせばいい。
わざわざ自分がしなければならない理由があるのだろうか。
それに、この映画の話しは、両親が亡くなった女の子を救う話しで、今は女の子と住み始めたところまで進んでいる。
少し違うが、それはまるで、去年の夏と、同じような感覚だった。
茜はいったい、何を考えているのだろうか。
すると、部屋のドアがノックされた。
「誠お兄ちゃん、湊お姉ちゃん、いる?」
入ってきたのは茜だ。茜はトコトコと奥に進み、二人を見つけた。
「あっ、マッサージ受けてたんだ。気持ち良さそうだね」
「ああ、最高だぜ。それで、どうかしたのか?」
誠は湊に礼をいい、起き上がった。
「うん。明日の撮影はお休みにしたの。だから、自由にしていいからね」
茜がニコッと笑みを浮かべる。
「そうか。やっと休めるのか」
誠は嬉しそうに笑みを浮かべ、大きく背伸びをすると、またベッドに仰向けで倒れた。
そこで湊が忠告した。
「兄さん、この休みは兄さんのためだよ。時間は少ないのに、兄さんがそんなことだから、茜ちゃんが休みにしたんでしょ」
「え? そうなのか?」
誠はガバッと起き上がって茜を見た。
茜は両手を振った。
「ううん。そんなことないよ。私もそろそろ休みが欲しかったし」
「だってよ」
誠が湊にいう。
湊はあきれたように軽く息を吐いた。
「ねえ、明日、一緒に海に行かない?」
茜が誠の隣に座って訊いた。
「海か。それもいいけど、俺はどちらかというと休みたいな」
「兄さん、茜ちゃんがかわいそうだよ」
湊が少し厳しい口調でいう。
「うっ。仕方ないな。じゃ、せめて午後からにしてくれ」
「うん。いいよ。それじゃ、明日ね」
茜は満面の笑顔で、手を振って部屋から出て行った。
茜は部屋から出ると、ドアに背をもたれ、胸に手を添えた。
「明日が楽しみだな」
茜はそっと口元を緩ませた。
約束通り、午後になると、時雨さんの車で海へと向かった。
誠たちのいるホテルから十分くらいで移動して着く。
少しして、青い大海原が見えてきた。
「うわ~、綺麗だね」
湊がはしゃぎながらいう。
「うん。本当に綺麗だよね。ここも、撮影場所の一つにしてあるんだよ」
「へ~、そうなのか」
誠はうなずいた。
車を浜辺で止め、誠たちは中から降りると海に向かって走った。
「ははっ、冷たい!」
湊は靴を脱ぎ、足を海水に浸す。茜も同じように入り、二人はかけあいを始めた。
誠は一人木陰に腰掛け、二人の様子を眺めていた。
潮の満ち引きの音がさえずり、心が自然と穏やかになってくる。
香りがただよってきて、涼しい風が吹く。ちょうどいい気温で、暑さを感じない。
「誠お兄ちゃ~ん!」
茜が元気よく手を振っている。誠は笑みを浮かべて振り返した。
そのとき、隣に時雨さんが座り、同じように湊たちを眺めながら、そっと口を開いた。
「迷惑でしたよね?」
「え?」
「突然一緒に映画に出て欲しいだなんて」
誠は納得すると、浜辺の砂に触れた。
「まあ、少しの抵抗はありましたけど、今は楽しいと思ってますよ。茜とも、こうやって過ごせますし」
「それなら、いいのですが」
時雨さんはその場にあった貝殻を掴むといった。
「今誠さんは、湊さんとお付き合いをしているのですか?」
誠は軽く口元を緩ませた。
「おかしいですか? 兄と妹が付き合うのは」
時雨さんは小さく首を振った。
「いいえ。そんな愛もあると思いますよ」
誠は頭を掻いていった。
「実はですね、俺と湊は、血の繋がりも、何もないんですよ」
「え?」
誠は自分たちの秘密を時雨さんに話した。全てを知った時雨さんはうなずいた。
「そうだったんですか。そうとは知らず、すみません」
「いえ、気にしないでください」
時雨さんはそっと目を細めた。
「実は、誠さんにお願いがあるんです」
誠は時雨さんの方を見た。時雨さんは一息置いて、口を開いた。
「どうか、あの子の気持ちを、答えないでいいので……受け止めてあげてください」
その言葉に、誠は俊敏に反応した。それから前に向き直り、茜を見ながら口を動かした。
「……俺が選ばれた理由は、それですか」
時雨さんは小さくうなずいた。
「あの子は私に相談しました。前のように自分で判断せず、親の私とどうすればいいかを。……そのときのあの子の目は、真剣そのものでした。これができなければ、先に進むことはできないと」
誠はそっと笑みを浮かべた。
「ま、愛する娘がそんなに真剣に相談したら、親ならどうにかして答えようとしますよね」
時雨さんは目を閉じた。
「……はい」
誠は立ち上がった。
「俺はいいですよ。……茜の役に立つのなら」
誠はそっとポケットの中に手を入れた。
その中には、去年の夏、茜から貰った十字架のネックレスが入ってある。それを握り締めながら思った。
茜が時雨さんに相談したことはなんだろうか。答えなくてもいい、しかし、受け止めて欲しい。
自分はいったい、何を受け止めればいいのだろうか。
誠はそれを時雨さんに問いかけようとした。しかし、かぶりを振って止めた。
時期にわかる。いつか、茜が何かをするはず。
自分は、それを待つだけでいいはずだ。
誠はポケットからネックレスを取り出し、それを首にかけた。
太陽の光で反射し、キラキラと光っている。
「兄さ~ん!」
海辺で二人が手を振っている。誠は足に力を込め、二人の元に走っていった。
海で遊んだあと、ホテルに戻ってきた。食事も入浴も終え、部屋で一段落していた。
中には、誠と湊、そして茜がいる。今三人でトランプをしているのだ。
「明日の撮影は、パート20からね。台詞覚えてる?」
茜が誠に問い掛けた。
「ああ。ちゃんと覚えてるよ。やっと半分くらい進んだのかな?」
「そうだね。これで半分かな。でも、後半はすぐに終わるから、順調だね」
茜は鼻歌まじりで嬉しそうに笑みを浮かべている。
「あっ、兄さん、それ着けているんだ」
湊が誠の首にかかっておるネックレスに気づいた。手にとって触れる。
「ああ。家から持って来たんだ。茜との思い出の品だからな」
誠は笑みを浮かべながら茜を見る。茜はなぜか、深刻そうな顔でうつむいていた。
「どうしたの、茜ちゃん」
湊が声をかける。
我に返った茜は、無理に笑みを浮かべた。
「あ、ごめん、大丈夫だよ。私、明日の準備するね。それじゃ、おやすみなさい」
そういって茜はそこから立ち去った。
茜は自分の部屋に戻った。そしてベッドに倒れた。
あのネックレス、持ってきてたんだ……。
去年の夏を思い出させる贈り物。楽しいことも、嬉しいことも、思い出させてくれる。
しかし、それだけでなく、あのことも……。
茜はぎゅっとシーツを掴んだ。
胸が締め付けられる。誠が愛しい。今、本気でそう思う。
こんな状態で、自分の目的は達成されるのだろうか。
そのとき、時雨さんが中に入ってきた。
「茜……」
「……なに?」
茜はそのままの状態で返事する。
時雨さんは茜に背を向けながらベッドに座った。そして重い口を開いた。
「茜は知ってるの? 二人の関係を」
その言葉に茜は疑問の表情になり、耳を傾けた。
「二人って?」
時雨さんは全て話した。誠と湊の関係、そして重大な秘密も……。
それを知った茜は、絶望を味わった顔になった。
「そ、そうだったんだ……」
語尾が震えていた。それほど動揺しているのだろうか。
時雨さんはそっと問い掛けた。
「それでも、茜はまだ続ける?」
その質問は、茜に重く圧し掛かってきた。
事実を知ってまで、続けることではないということかもしれない。
でも、今決断できるほど、自分は賢く、冷静ではなかった。
「ごめん、先にシャワー浴びるね」
茜は時雨さんと目を合わせることなく、シャワールームへ入った。
茜は服を脱ぎ、浴場へ入ると、シャワーの蛇口を捻った。上から熱いお湯が降り注ぐ。
茜はそのお湯を浴びながらうつむいていた。
「私、どうしたらいいの……?」
水で濡れた顔の中に、一滴の涙が頬を流れ、入り混じり落ちていった。