茜編 part1:来訪
季節は夏。
暑い日差しが降り注ぎ、毎日気温30度を越える猛暑となった。
休むことをしらない太陽は容赦ない。見るだけでうっとうしかった。
蝉の鳴き声は聞こえ、夏という感じが嫌というほどする。
誠たちは夏休みに入った。三年生である誠は、学生生活最後の長期休業である。
受験生なら頑張って勉強するだろう。だが、誠は学力的に無理なので、すでに進学は諦めている。どこかに就職する予定だ。進学するにも金がない。
なので、この夏休みは派手に遊びまくろうと思っている。
今でも湊とどこかに旅行に行こうという計画を練っているのだ。
クーラーの効いた涼しい部屋の中で、二人はテーブルを囲み、旅行の資料を見ていた。
「さて、湊はどこか行きたいところはあるか? 時間はいっぱいあるからな」
「う~ん。私はバカンスに行きたいかな。でも、兄さんと一緒にいければどこでもいいよ」
湊はニコッと微笑む。誠は少し照れ笑いを浮かべた。
「そ、そうか。ま、一緒に楽しもうぜ」
「うん」
そのとき、玄関のインターフォンの音が聞こえた。誰か来たようだ。
「ん? 誰だ?」
誠は立ち上がると玄関に足を運び、ドアを開けた。
「はい、どちらさま?」
「誠お兄ちゃ~ん!」
ドアを開けた瞬間、いきなり小さな女の子が飛びついてきた。その勢いのまま、誠は後ろに倒れた。
そのとき大きな音がしたので、中から湊が駆け寄って来た。
「ど、どうしたの、兄さん。大きな音がしたけど……茜ちゃん?」
「え?」
誠は痛がりながらも体を起こし、抱きついている人物を見た。
誠の上に乗っかっているのは紛れもなく、たしかに秋野茜だった。
「会いたかったよ、誠お兄ちゃん。湊お姉ちゃんも久しぶりだね」
茜は嬉しそうに笑みを浮かべた。
誠は何がなんだかわからず戸惑っていた。
そのとき、後ろから一人の女性が顔を覗かせた。それは茜の母親である時雨さんだった。
「お久しぶりです。誠さん。湊さん。ご無沙汰しておりました」
時雨さんは丁寧に頭を下げた。
とりあえず、二人を中に招き入れ、居間に案内した。
秋野茜は、島の中では有名なアイドルなのだ。
出会ったのは去年の夏。
茜の本当の年齢は誠と同じ十七歳。
しかし、見た目はどう見ても、小さな女の子で小学生。
その理由はスカイを使ったからだ。
茜の母親である時雨さんは元人気アイドル。今では茜のマネージャーだ。
時雨さんは娘の茜も同じようにアイドルにするために、幼いころから毎日レッスンに明け暮れていた。
そのせいで、茜は学校に行っても友達は作れず、楽しい学校生活も送れず、それらしい思い出もない。
だから、スカイを使ってもう一度子供になりたく小さくなった。そんなときに、誠と出会ったのだ。
最後には、時雨さんと再会し、二人は仲直りした。そして茜の思い出作りをし、茜は帰って行った。
誠は台所から冷たいお茶を持ってきた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
時雨さんはぺこりと頭を下げた。
その間に、湊と茜は楽しそうに話している。
「本当に久しぶりだね。テレビ見てるよ。もうすごいね。茜ちゃんかわいい」
「ありがと、湊お姉ちゃん。私も嬉しいよ」
二人は話で盛り上がっており、湊は密かにサインまで貰っていた。
「それで、今日は遊びに来たんですか?」
誠は時雨さんに問い掛けた。
「はい。近くで映画の撮影が今度から始まりまして、近くを通ったものですから挨拶に来ました。突然ですみません」
「いえ、それは構いませんよ。俺も、茜と会えて嬉しいですし」
「それで、ちょっとお願いがあるのですが」
「お願い?」
「ほら、茜。説明しなさい」
時雨さんに言われ、茜は湊と話すのを止めると誠に向き直った。
「ええとね、私と映画に出て欲しいの」
「は?」
いきなりそんなことを言われて戸惑ってしまった。理解できず、頭の中は混雑している。
仕方なく、詳しい説明を時雨さんがした。
「今度の映画の撮影なんですが、茜がどうしても誠さんと共演したいと言い出して……」
どうやら茜は、今度の映画で主演なのだが、誠と共演しないと出たくないと言い出したそうだ。
「ちょ、ちょっと待ってください。俺演技なんてできませんよ? 映画の撮影なんて」
「大丈夫だよ。誠お兄ちゃんならできるよ」
茜は無邪気に笑っていってくる。
「簡単に言うな。俺のせいで撮影の時間が遅れたら申し訳ないだろ」
「本当にすみません、わがまま言って。ほら、茜。諦めなさい」
時雨さんが困った表情で茜を宥めるが効かなかった。
「え~。嫌だよ。誠お兄ちゃんじゃないと、演技できないよ」
「あ、あの、ちなみにどんな映画なんですか?」
湊が訊くと、時雨さんは映画の台本を取り出した。
「『さよならの前に』?」
「はい。両親が交通事故で亡くなり、そのショックで口が効けなくなった少女を、高校生の男の子が助ける話で、よくありそうな恋愛映画です」
「へ~。その少女が茜で、高校生役が俺と」
「はい。でも、迷惑ですよね? いきなりこんなこと」
時雨は申し訳無さそうに頭を下げる。
「そんなことないよ。誠お兄ちゃん、どうせ暇でしょ? 映画に出てよ」
「人を暇人扱いかい。でも、俺が出て、他のスタッフとか監督と怒んないの?」
「大丈夫だよ」
茜は自信たっぷりにいう。
「だって、この作品を考えたの、私だもん」
「え?」
「ええ!」
湊は驚きながら、すぐに感心したように大きく拍手した。
「すごい、茜ちゃん。アイドルってこんなこともできるんだ」
「へへ。まあね。つまり、私が主役兼監督なわけ。私が許可したら全ていいの」
「だからってな、カメラマンとかスタッフとかはつくんだろ? 俺なんていう素人が出たら絶対迷惑かかる」
「大丈夫だよ。決定権は私にあるんだから。……それに、この作品は、誠お兄ちゃんにしかできないの」
「え?」
茜の目はいつになく真剣だった。いつものように冗談交じりの目ではなかった。
「兄さん。別にいいんじゃない? 少しくらい協力してあげようよ」
湊がいってくる。
「でも、俺演技は本当に苦手で」
「私がカバーするから大丈夫だよ」
茜が迫りよってお願いしてくる。時雨さんは申し訳無さそうに頭を下げていた。
「……わ、わかったよ。俺でよければ、協力するよ」
「ほんと? やった!」
茜は嬉しそうに飛び跳ねていた。
「よかったね、茜ちゃん」
「うん」
「本当にありがとうございます。ホテル代や、宿泊費等は、全て出しますので」
「え?」
時雨さんは誠に宿泊費や今後の計画、撮影などの注意事項などを説明した。
そして台本を渡すので、全て読み、大まかな内容を頭に入れ、自分の台詞を覚えるとのことだ。多少の練習もするようにと。
「役者も大変だな……」
その夜は、湊の特製のカレーを四人で食べ、茜は帰って行った。
「ばいばい、誠お兄ちゃん、湊お姉ちゃん」
「明日、車でお迎えに上がります」
「わかりました」
「またね、茜ちゃん」
茜と時雨は一礼して行ってしまった。
誠はふっと息を吐いた。
「大変な夏休みになったな」
「うん。でも、茜ちゃん、嬉しそうだったね」
「ああ。俺も頑張んないとな」
そこで誠はあのことを思い出した。
「わ、悪いな、湊。せっかく旅行いこうってことにしてたのに」
誠は頭に手をやって謝った。
そんな誠を見て湊は手を振って許した。
「ううん。いいのよ。気にしないで。私もついていくんだし、旅行よりはちょっと楽しいかもね」
「そう思ってくれると助かる」
「ほら、明日は早いんだから、さっさと寝よう。その前に台本読んでね」
「ああ。わかってるよ」
二人は居間に足を向け、明日への準備を始めた。
そのころ、茜と時雨はホテルへと足を向けていた。そのとき、時雨はそっと語りかけた。
「これでよかったの?」
「うん。ありがと。……これで、誠お兄ちゃんにいえるんだから」
茜は軽く笑みを浮かべた。
茜はこの撮影で、ある作戦を立てていた。
やり残した、去年の夏にした忘れ物を取り返しに……。