香編 part6:正直
誠と湊は温泉に入り終わったあと、そのままベストスポットの一つである公園に向かっていた。
ここからの夜景と夜空は綺麗で、一番の眺めだという噂だ。
旅館から少し歩き、ようやく辿り着く。
「うわあ~。綺麗」
ここから見える夜景に、湊は感激を受けていた。
色とりどりに光る夜景は、心を躍らせるほどで、確かに眺めのいい場所だった。
「兄さんも見てよ。綺麗だよ」
「ああ。本当に綺麗だな」
誠も湊の隣に立って夜景を見る。感傷に浸り、じっと眺めていた。
その後ろ姿を香は木陰に隠れて静かに見ていた。そして悲しげな瞳を向ける。
自分もああやって誠と見たかった。楽しくこの旅行を過ごしたかった。
その想いが強くなってくる。そして確実に心がそうだと叫んでいる。
香は重くため息を吐いた。
自分はまだ諦めていないのだろうか。振り切っていなかったのだろうか。
でも、今誠には湊がいる。この気持ちは、どうすることもできない。
道は一つ。諦めるしかない。
誠と湊はベンチに座った。
火照った体に程よい涼しい風が運び込まれる。そして二人の髪を静かになびかせていた。
「明日には帰るんだね。もっと居たかったな」
「俺も、もっと湊と一緒に楽しみたかったな」
「また来ようね、兄さん」
「ああ」
湊はそっと誠を見つめた。その視線に気づき、誠も湊を見つめる。
湊の頬を朱を帯びていた。その表情が一段と可愛く見える。
「兄さん……」
「湊……」
二人はそっと顔を近づけた。その距離が少しずつ縮まっていく。
湊はそっと目を閉じた。誠はごくっと唾を飲み込むと、意を決し目を閉じた。
二人の唇の距離はあと数センチだった。もう少しだ。差がうまっていく。
そのときだ。
「ダメー!」
後ろから叫び声が聞こえた。
二人は目を開けると振り返った。そこには香の姿があった。
「香……」
「香さん……」
香は息を荒げ、じっと見ている。
そしてハッと気づくと、自分のおかれている状況に気づいた。
「わ、私……ご、ごめん!」
香はその場から逃げ出すように走っていった。
「か、香!」
誠が立ち上がって声をかけるが香はいってしまった。
香は部屋に戻ってくると、電気も着けず、勢いよく布団の上に座り込んだ。
「私……何てことしたんだろ。二人の邪魔をするなんて、最低だよ……」
香は布団のシーツをぎゅっと握った。その上に雫が何粒も落ちていく。
本当に自分が最低だと思った。協力するなんていっておいて、一番良いところで邪魔して……。
絶対に嫌われた。誠や湊は怒っているはず。
自分がしたことは、それほど二人にとっては最悪なことだ。
そのとき、部屋がノックされる音が聞こえた。
「香? いるのか?」
「誠……」
「香、いるんだろ? 開けるぞ」
誠がドアのノブを捻ったときだった。
「待って!」
香が叫ぶと、誠は開けるのを止めた。
「香……」
「誠……ごめんね。本当にごめんね。私のせいで……私のせいで……」
「香……?」
誠はドアを開けるとそっと中に入った。
香は布団の上に座り、誠に背を胃向けていた。
誠は香に近づき、隣に腰を降ろした。
香は掛け布団をぎゅっと掴み、その中に顔をうずくまらせていた。体は小刻みに震えていた。
「ごめん……ごめんね、誠……。私、諦められなかった。私、誠が好きっていう気持ち、忘れることができなかった。だから……だから……あんな邪魔して……。せ、せっかく湊ちゃんと……キスできたのに、それを邪魔して……。でもね、私嫌だったの。誠が、私の好きな誠が、他の人とキスするのが……嫌だったの」
「香……」
誠はそっと香の肩に手を回した。
すると、香は誠に抱きつき、胸の中で泣いた。
「ごめん、ごめん、誠。最低だよね。怒ってるよね。……サポートするとか言っておいて、邪魔するなんて最低だよね。……ごめん、誠。本当に……ごめん。本当にごめん……」
「もういい!」
誠は声を上げた。それを聞いて香は黙り込んだ。
「誠……」
「もういい。もういいから」
誠はそっと香を抱いた。優しく、温かく、頭を撫で、慰めた。
「香。お前の気持ちはよくわかった。別に俺は怒ってないよ。湊だって、ちゃんとわかってくれた。もう泣かなくていいから」
「でも……でも、私、あんなこと……」
「もういいって。香、もう気にしなくていい。……ごめんな、香」
「……なんで、誠が謝るの?」
「俺がそうさせたんだろ? 香が俺のこと好きっていったのは覚えてる。なのに、俺は湊と付き合って、しかもお前のサポートを受けた。俺が頼りないからこうなったんだ。全て俺が悪いんだよ。ごめんな、香。こんな想いさせて」
「誠……」
香は声を上げて泣いた。この気持ちを晴らすため、おもいっきり、誠の胸の中で泣いた。
その間、誠はずっと香を慰めていた。
次の日、香は目を覚ますと、誠の姿が目に入った。
自分は布団で寝ている。でも、誠は畳の上で寝ていた。
時間を確認するとすでに午前十時を回っていた。
そこで誠も目を覚ました。
「あ、起きたか」
「誠、どうしてここに?」
「どうしてって、ここは俺の部屋だぞ」
「え? じゃあ、湊ちゃんは?」
「先に帰った。香によろしくって」
「え? そ、そんな、私……」
そこで誠はぽんと香の頭に手を置いた。
「それ以上何もいうな。いったら本気で嫌いになるからな」
誠はニコッと笑みを浮かべた。
香はその笑顔を見て、力を抜くとコクッとうなずいた。
二人は朝食を食べた。
今わかった。つまり、湊と香が入れ替わり、湊は香の部屋を使って朝食を食べ、部屋をチェックアウトし帰ったようだ。
「誠……。その、ありがと……」
「礼を言うのはこっちだよ。いろいろ手伝ってくれてありがとうな」
「……ううん。そんな……」
「さっき、旅館の人にいって、一泊多くとらせてもらった。だから帰るのは明日。お前が東京に帰るのは明後日だから、ギリギリだけどいいだろ?」
「う、うん。なんか悪いね」
「いいよ。香がせっかく帰ってきたんだ。楽しまないとな」
香はそっと笑みを浮かべた。
やっぱり誠は優しい。そんなところが、一番好きだった。
その後は、一緒に散歩したり、近くのお土産屋で買い物をしたりと、楽しく過ごした。
香はずっと楽しそうに笑っていた。
夜になると、二人は夕食を済ませ、部屋でくつろいでいた。
そのとき、香がいった。
「ね、誠。お風呂入らない?」
「ん? そうだな。そろそろ入るか」
「それで、その……よかったら混浴で入らない?」
「はあ? じょ、冗談だろ?」
香は首を振った。
「もちろん、本気。ね、一緒に入ろ」
「ま、マジかよ……」
二人は脱衣所で浴衣を脱ぎ、露天風呂に使った。
誠の隣には香がいる。この前の湊と香が入れ替わったような感じだ。
「本当にありがとう。いろいろ迷惑かけたね」
「あ、ああ。気にすんな。何とも思ってないから」
誠の震える声に、香はつい噴出した。
「なに、誠。そんなに緊張してるの」
「だ、だって、お前な!」
すると、香が誠に近づき腕を掴んだ。そして自分の胸に押し付ける。
「ね、私の裸……見たい?」
そこで誠の顔を真っ赤になり、鼻血を出してしまった。
「な、なにやってんのよ、誠!」
「ま、また出やがった」
誠は鼻を抑えて急いであがった。後ろで香は可笑しそうに笑っていた。
そのあと、二人は月の光が差し込まれ中、布団の中に入っていた。お互い天井を向いている。
「ねえ、誠。もし、私が今誠に告白したら、どうする?」
「……ごめん」
「ふふ。わかってるよ。誠は湊ちゃんが好きだもんね」
香はふっと息を吐き、体の力を抜いた。
「ねえ、誠。……また、会い来てもいいかな?」
「ああ。いつでも来いよ。待ってるぜ」
誠はそっと口元を緩ませて答えた。
「うん。また、絶対会いに来るからね」
香も同じように笑みを浮かべ、二人は眠りに着いた。
誠と香は空港にいた。あと数十分で香が乗る飛行機が出る。
「それじゃ、楽しかったよ、誠。本当にありがと。湊ちゃんによろしくね。あとごめんって謝っておいて」
「それは次こっちに戻ってきたときに自分でいうんだな」
そこで香はクスッと小さく笑った。
「うん。そうする」
二人は笑みを浮かべながら見つめ合った。
思い出していたのだ。一年前のあのときのことを。
「ここで香は俺に告白したんだよな」
「うん。誠は見事に振ったけどね。こんな可愛い美少女の想いを」
「美少女かはわかんないけどな」
「なんですって」
「い、いや、嘘、嘘だよ! でも、嬉しかったよ、本当に……」
香はふっと笑みを浮かべた。
もう大丈夫だった。誠のことは振り切っている。もう思い残すことはない。
「ね、誠。覚えてる? 私、一年前に屋上で言ったよね。キスしてって」
誠は照れたように笑みを浮かべるとそっとうなずいた。
「ああ、覚えてるよ。結局できなかったけど」
「あれ、今、してくれる?」
「え?」
香の表情は真剣だった、じっと誠を見つめ待っていた。
「誠……」
香はそっと目を閉じ、少し顎を上げた。
「香……」
誠は意を決すと、香の両腕を掴んだ。そしてそっと顔を近づけた。
誠も目を閉じ、唇を近づけていく。あと少しで二つの唇が重なる。あと数センチ。
そこで香が誠の頭を掴んだ。
「はい、ストップ」
「え?」
「あんたバカ? なんで恋人いるのにキスしようとするのよ。それは湊ちゃんにあげなさい」
誠は状況が読めず困っていた。
「いい、誠。湊ちゃんを悲しませないでよ。あんな良い子はそうそういないよ。絶対に幸せにしてね。できるのは誠だけなんだから」
その言葉に誠は力強くうなずいた。
「ああ。絶対に幸せにする」
香はそんな誠を見ると小さく笑みを浮かべてうなずいた。
「うん。それでよろしい。それじゃあね、誠」
香は誠に近づくと、頬に軽くキスした。
そしてキャリーバックを掴むと大きく手を振って行ってしまった。
誠は突然の出来事で呆然としていた。そしてそっと頬に手を触れる。
「あいつ……」
誠はクスクス笑った。
「いつでも帰ってこいよ、香」
誠は振り返ると元来た道を引き返した。
香は飛行機に乗り指定座席に着いた。そして飛行機は離陸し、島を離れ飛び立っていく。
香は窓から外を眺め、小さくなっていく青空島を見ながらそっと呟いた。
「ありがと、誠」