香編 part5:混浴
食事を終えた誠と湊は、今では部屋の中でのんびりと過ごしていた。テレビを点け、ぼーと見ている。
すでに二人は浴衣に着替えていた。白に青いラインが入った浴衣に黒い帯びを腰に巻いていた。
そのとき、湊がいった。
「ねえ、兄さん。そろそろお風呂入らない?」
「ん? そうだな。それじゃいくか」
誠は立ち上がると温泉にいく準備を始めた。
すると、湊はなぜか顔をうつむき、頬を赤くしていた。そしてそっと口を開いた。
「あ、あの、兄さん……」
「ん? なんだ?」
「え、えとね、さっき、温泉のことを旅館の人に聞いたんだけど……」
「ああ。それで?」
「それでね。その……こ、混浴があるんだけど」
「……え?」
そこで誠はなかなか理解できなかった。思考が止まってしまっている。
「だ、だから、ね、その……こ、混浴があるから、い、一緒に入らない?」
湊は顔を真っ赤にして視線をきょろきょろしながらいった。
誠は呆然としており、湊がいったことをうまく理解できなかった。
「ど、どうかな……」
湊がもじもじしながら訊いてくる。
誠はすぐに携帯を取り出すと急いでメールを送った。
隣で香はすでに布団を敷き、その上でうつぶせになって寝ていた。
もやもやした気持ちが治まらない。なんだろうか、これは……。
そのとき、携帯が鳴った。香は手を伸ばし、携帯を開く。
誠からのメールで、その内容を見たとき香はつい驚嘆な声を上げてしまった。
「『湊が混浴に入りたいという。どうしたらいい?』」
香は焦った。それよりもそんなことを送らずに自分で判断しろといいたくなる。
香はボタンに手を添えた。しかし、指が動かなかった。
なんでだろうか。アドバイスしなければならない。そのために自分は一緒に来たのだ。
でも、今は何もしたくなかった。これ以上何もしたくなかった。
だって、手伝えば二人の仲は深まっていく。
それが嫌だと心がはっきりいっていた。
香は目を固く瞑ると、ぐっと手に力を入れた。
「バカよね、あたし……」
誠は焦っていた。
はやく返事をくれ。待っている時間が何時間にも感じる。
湊はすでに準備を終えていた。あとは誠の返事を待つだけとなっている。
誠は目を閉じて祈った。
そして携帯が鳴った。誠はすぐに開くと内容を見た。
「『バカ。さっさと一緒に入ってきなさい』」
誠は携帯を閉じると湊にいった。
「い、いいぞ、湊……」
誠の言葉を聞くと、湊は恥ずかしそうに、でも嬉しそうにうなずいた。
「うん」
二人は一階にある温泉に向かった。その間お互い一言も口を開かなかった。
嫌に緊張し、二人とも動きがぎこちなかった。
混浴と書かれた暖簾をくぐり、二人は中に入っていった。
中は誰もおらず二人だけだった。脱衣所の向こう側に温泉があり、空が見える露天風呂だった。
「じゃ、私あっちで脱いでくるね」
「あ、ああ……」
湊は右側の端っこに向かった。誠はその逆の左の端っこに向かった。
誠の心臓は激しく脈打っていた。体が火照り、緊張が収まらない。
後ろでは湊が服を脱いでいる。そう思うだけでうまく力が入らなかった。
手が振るえ、うまく服が脱げない。
誠は急いでガバッ服を脱ぎ、籠の中に放り込むと、先に温泉に入りに行った。
ドアを開け、体に軽くお湯をかけると湯船に入った。
露天風呂は気持ちよく、程よい熱さで体を温めた。ふっと息を吐く。
そのとき、後ろからドアが開く音がした。
誠の緊張は一瞬でピークに達した。
誠は振り返らず前を向いたまま微動だにしない。耳だけを傾け、湊を待った。
どうやら湊もお湯を被ったようだ。水が零れる音が聞こえる。そして水の上を歩く音が聞こえ、その音が近づくのがわかった。
「兄さん……」
湊は誠の隣にそっと入ってきた。脚から入り、湯船に浸かる。
その間も、誠はじっとしており前だけを見ていた。湊が息を吐く音が聞こえる。
とうとう二人は一緒の湯船に入ったようだ。
誠はチラッと目だけを動かし湊を見た。
湊は全身をタオルで包んでいた。頬を赤く染め、うつむいている。
誠は再び前を向いた。
やばい。やばすぎる。何もできない。ここから動くことも、しゃべることもできない。ずっとこのままの気がする。
すると、湊がそっと誠に寄り添ってきた。肩を着け、体重をかけてくる。
「み、湊?」
「兄さん、緊張してる?」
「え? い、いや、別に」
「ふふ。すっごい緊張してるね」
「そ、そりゃ、ふ、普通そうだろ」
「そうだね」
湊は微笑むと、そっと誠の肩に頭を乗せた。
「星、綺麗だね」
「ああ」
露天風呂から見える星は綺麗だった。見上げれば幾千もの星が輝いている。
「兄さん。香さんからデートに誘えっていわれたの?」
「え?」
「だって、兄さんが自分から言えるはずないじゃない。旅行いこうなんて、今まで一回いってないもんね」
「そ、そうだっけ?」
「でも、嬉しかったよ。兄さんと一緒にこんな楽しい時間を過ごせて。香さんには悪いけど、来てよかった」
誠はそっとうつむいた。
「あ、あのさ、湊。俺、こんなさ、だらしなくて、デートも満足に誘えなくて、自分勝手で、わがままなやつだけど、それでも……好きでいてくれるか?」
湊はそっと笑みを浮かべた。
「当たり前じゃない。私、ずっと兄さんのこと好きだよ」
「……そっか」
誠はそこでようやく緊張が解けた。
ふっと息を吐き、温泉のお湯に浸る。心が休まり、ようやく疲れが取れてきた感じだ。
すると、湊が口を開いた。
「ねえ、兄さん。背中流してあげようか」
その言葉で誠の緊張はまた振り出しに戻った。
「え? い、いいよ。別に」
「そんな遠慮しなくていいのに。ほら」
湊が湯船から上がり、誠の腕を引っ張る。
そのときつい湊の体を見てしまった。タオルで全身を包んでいるが、胸の膨らみに目がいってしまう。
誠はすぐに顔を背けた。
「い、いや、いいよ。体くらい自分で洗える」
「そっか。じゃ、いいんだね」
湊は誠の手を離した。すると、なんだか寂しい感じがしてしまった。
「あ、で、でも、たまには……」
「ふふ。もうどっちなの」
「……お、お願いします」
「了解」
誠は湊に背中を向け、湊はタオルに石鹸を擦り、誠の背中を洗った。
柔らかい手つきで体中が包まれる。ほっと吐息が漏れてしまった。
湊は誠の背中を洗いながらそっと思った。
やっぱり大きな背中をしている。誠も立派な男である。
普段だらしないが、いざというときは頼りになる。本当に、たくましい存在だった。
湊は軽く口元を緩ませ、ごしごしと洗っていった。
そのあと二人は風呂から上がり、浴衣に着替えた。
「ね、兄さん」
後ろで着替えている湊がいった。
「ん? なに?」
「私の裸、見たい?」
「え? えええ?」
「冗談だよ。もう、兄さんたら」
「は、はは。じょ、冗談か」
誠は苦笑して仕度を終わらせた。
すると、湊が後ろから抱きつき、耳元にそっと囁いた。
「いつかするときがきたら見せてあげる」
そこで誠は興奮してしまい、つい鼻血を出してしまった。
「ちょ、ちょっと兄さん、大丈夫?」
「わ、悪い」
「もう何考えてたの」
脱衣所からは二人の笑い声が響いていた。楽しそうな、愉快な笑い声が聞こえる。
そのころ、香は部屋の中で布団の上に仰向けになり、ぼーと携帯を見つめていた。
「私、何してるんだろ……」
本当なら、一緒に入って来い、なんていいたくなかった。
それは二人の仲を深めることに繋がる。そして、自分の心を裏切ったことになる。
胸が苦しかった。ぎゅっと締め付けられ、満足に息もできない。
香は携帯を降ろすと、自分の胸を抑えた。
「誠……」
香は小さくまるまりうずくまった。
ふと思えば、誠のことを考えてしまう。脳裏に浮かぶ、誠の優しい笑顔。想像するだけで、胸が張り裂けそうだった。
逢いたくて、一緒にいたくて、楽しく笑いあいたくて……。
でも、その願いは叶わない。
誠の好きな人は湊だ。自分ではない。それは前からしっていたはず。
でも、自分の気持ちに、嘘はつけなかった。
「私、どうしたらいいの……」
すると、携帯に着信がきた。誠からのメールだった。
「『今からベストスポットの公園にいく』」
これを見て香は立ち上がった。
自分の気持ちを確かめにいくために。