香編 part4:決行
今日は誠と湊のデートの日。
二人は仕度をして、出かけようとしていた。
「ほら、兄さん。早くしてよ」
湊はすでに準備ができ居間で待っている。なのに、誠はまだできていなかった。
「わ、悪い。もうすぐ終わるから」
誠はバッグに服やら何やらを詰め込んでいる。
「もう。昨日のうちにしておけばよかったのに」
湊はソファに座り、終わるのを待った。そしてそっと思った。
そういえば、二人だけで旅行に行くのは初めてだった。
まさか、誠のほうから誘われるとは思わなかった。いつか自分から言わないと叶わないと。
少し予想外だったが、嬉しかった。やっと恋人らしくなってきた。
そう思うと、ついにやけてしまう。
「よし、終わったぞ。いくか」
「うん」
湊は元気よくうなずき立ち上がると、家を出た。
二人は家からバス亭に向かう。そこから三十分くらい乗り、旅館に着くのだ。
その後ろを、香はばれないようにこそこそ着いていっていた。
「おっ、ちゃんと向かってるわね。感心、感心」
と思ったが、香は少し愕然した。
今右に誠、その左に湊が歩いている。なのに、誠は左手に荷物を持っていた。湊はちゃんと左手に荷物を持っている。
内側の手をフリーにしなければ、手を繋ぐことはできない。
恋人同士なら当たり前のことだ。
昨日あれほど言っておいたのに、誠は綺麗に忘れている。
心を読んでも、誠は緊張しているのか、バス亭の道のりを忘れないようにしているだけだ。
湊のほうは、やはり手を繋ぎたいと思っている。
香はため息を吐くと、ばれないように帽子とサングラスをかけ、二人のあとを追った。
二人が歩いているとき、誠の携帯が鳴った。
「ん? 誰だ?」
誠はポケットから携帯を取り出す。
着信相手が香だとわかり、誠は湊に見られないようにして携帯を開いた。
メールが届いており、内容は、荷物の手を逆にしろ、だった。
そこで誠は気づいた。内側に荷物を持っていたのだ。
誠は昨日香が言ったことを思い出すと、携帯を閉じ、荷物の手を逆にした。
「誰からだったの?」
「ああ。友達からだった」
誠はチラッと後ろを見た。
そこには確かに香がいた。香は手を繋げとジェスチャーしているのか、両手を握っていた。
誠はコクッとうなずくと、そっと湊の手を掴んだ。
すると、湊の顔が恥ずかしそうに赤くなったが、嬉しそうでもあり、ぎゅっと握り返した。
香はふっと息を吐き、一安心した。
二人はバスに乗り、そこから旅館へと向かう。
一応香は、バスの乗り方も教えていた。
これは人それぞれ好みによるのだが、女の人を窓側、男の人は内側に座るのだ。
そうすると、重い荷物などは男性が上の棚に上げたりできるので女性側は楽。
緊急停車しても、女性が内側に出て倒れないよう、男性は守ることができる。
誠はそのことは覚えていたらしく、その通りにしていた。
「ありがと、兄さん」
荷物を上の棚に上げている誠に湊はお礼を言った。
「これくらいなんともないよ」
二人は楽しそうに笑っていた。
香は三つ後ろの席に座っている。
二人のそんな姿を見て、少しは役に立って良かったと思った。
だが、なんだろうか。少しもやもやした感じがする。
これはいったい、なんだろうか……。
バスから降り、そこから少し歩いてようやく旅館に着いた。
「ああ~。やっと着いたか」
「けっこう良いところだね」
二人はロビーで手続きを済ませ、部屋に向かった。
香もあとで手続きを済ませ、誠たちの隣の部屋に入った。
湊は荷物を置くと、縁側から外を見渡した。
「わあ~。綺麗」
そこからは綺麗な自然が見渡せた。遠くには街も見える。なかなかの絶景だった。
「良いところだね。ありがと、兄さん」
「湊が喜んでくれるなら、俺も嬉しいよ」
二人はクスクスと笑った。
「ね、まだ時間あるし、ちょっと散歩しない?」
「ああ。いいぜ。さっそく行こう」
二人は出かける準備を始め散歩に出かけた。
香は隣の部屋で荷物を置くと床に寝転がった。
「ああ~、疲れた。移動だけでけっこう大変だわ」
すると、ポケットにある携帯が震えた。メールが着ていて、着信相手は誠だった。
「『今から散歩にいく』」
香はあきれてため息を吐いた。
「よくそんな体力があるわね。ま、恋人と一緒ならそれも当然か」
香は立ち上がると出かける準備を始めた。
誠と湊は周りを見渡して歩いていく。
涼しい風が吹き、天気が良いので清々しい気分だった。
「いいところだね。なんだか落ち着く」
湊が楽しそうに笑いながらいった。
「住むとしたら、やっぱりこんな自然に囲まれた場所はいいよな。静かで落ち着くし」
誠も同じように笑顔を見せた。
やっぱり旅行に来て良かった。
湊の楽しそうな表情をみるだけでも満足だが、一緒にこうして過ごすと楽しい。
香には悪いが、手伝ってくれてありがたかった。
すると、湊がそっと誠の腕を掴んだ。少し恥ずかしそうに頬を赤く染めるが、嬉しそうでもあった。
誠もそっと笑みを浮かべると、そのまま一緒に歩いていった。
その後ろを、香は見つからないように尾行していた。
「へえ~。けっこうやるじゃない。でも、湊ちゃんが頑張ってるって感じね。誠はもっとエスコートしなくちゃ」
誠と湊は本当に楽しそうにしていた。
そんな姿を見て、香は少し戸惑った。
なんでだろう。自分はサポートするために着いてきた。こうして何かあっても迅速に対応できるように尾行している。
でも、なぜか自分が虚しく思った。そして二人のあんな姿を見るのが嫌になってきた。
誠が湊と一緒にいる姿を見ると、苦痛に思えてしまった。
誠と湊は旅館に戻り、夕食を食べることにした。
部屋に運び込まれ、おいしそうな湯気と香りを漂わせていた。
鍋料理をメインにしており、しゃぶしゃぶや茶碗蒸、御吸い物や刺身まであった。
「おいしそうだね。さっそく食べよ」
「おう。冷めないうちに食ってしまおうぜ」
二人は向かいあって座った。目の前のごちそうが食欲を増してくる。
「はい。兄さん。ちゃんと冷ましたから熱くないよ」
湊はしゃぶしゃぶの肉を誠のもとに持ってきた。ちゃんと口で息を吹きかけ熱くないようにしている。
「ここでもそんなことするのかよ」
「いいでしょ。私たちは恋人同士なんだから。はい、兄さん」
誠は少し戸惑ったが、最後は嬉しそうに湊からもらった。
「おお。おいしい。湊がくれたからよりおいしく感じるぜ」
「へへ。そう」
湊は嬉しそうに笑みを浮かべた。
「ほら。次は俺がしてやるよ」
誠は同じように湊にも持っていった。
「わ、私も? ……あ~ん」
湊も誠からもらう。ぱくっと口に含んだ。
「うん。おいしい」
「そっか。よかった」
2人は楽しそうに食事をしていた。
隣では、香りが一人食事を摂っていた。
「ああ~あ。料理はおいしいけど、一人は寂しいわね~」
香りはそっと耳をそば立てた。隣から楽しそうな笑い声が聞こえる。
「いいな~。私も誠と食べたいな」
そこで香ははっと口を抑えた。
「今、私……」
今確かに誠のことを考えていた。
誠と一緒に食事を摂りたい。誠と一緒に過ごしたいと。
でも、今誠は湊と過ごしている。
二人は付き合っている。邪魔することはおろか、自分がそこに入り込むこともできない。
そう思うと、胸が苦しくなってきた。ぎゅっと締め付けられ、体が震える。
「なに、この気持ち……」
香は胸を抑えると、その場に横になり、うずくまってしまった。