第7話
「北方騎士団が剣、ショルツ・ド・バイヨンと申します、パトリシア殿下。」
僕の名乗りにパトリシア殿下はムッとした表情を浮かべた。
「殿下と私を呼ぶな、私はここでは騎士団長だ。それともあの副団長を普段団長とでも呼んでいるのかな。」
嫌味混じりに無茶なことを仰る。僕は、ふざけるなと叫びたくなった。王族のパトリシア殿下は気軽に団長などと呼んでいい相手ではない。
「はっ、畏まりました。パトリシア団長。」
僕がたどたどしく団長と呼ぶと、パトリシア殿下は満足げに頷き、とんでもないことを聞いてきた。
「それで、ショルツよ。お前がグウェンドリンがいうところの竜殺しの騎士なのか?」
とりあえず後でマルグレット卿は〆る。僕は声にならないありったけの罵倒をマルグレット卿に浴びせかけた。
マルグレット卿が僕が竜を退治したなんていうからこんな目にあうんだ。パトリシア殿下に目をつけられるなんて、面倒ごとの予感しかしない。絶対に嫌だ。
「はっ、おそらくはグウェンドリン卿の仰る人物とはこのショルツのことかと存じます。ただ、その竜については単なる法螺話に過ぎませぬ故……。」
兎に角、あの竜退治の話は嘘だったことにしてしまおう。
そうすれば僕はいたいけなグウェンドリン卿を騙した性悪な騎士だとパトリシア殿下には思われるかもしれないが、そもそもこんな辺境で左遷も失脚もないから僕に害はないはずだ。
それに、こんな一介の騎士などパトリシア殿下ほど高貴なお方はお忘れになるに違いない。
珍しく冴えてるじゃないか、僕! このままこそこそとこの場を退散してしまおう。
そう僕が自画自賛に浸っていると、パトリシア殿下の眉間にしわが寄った。
「ほう、ではこの私が今着ている鎧はいったい誰が狩った竜の鱗で出来ているのだろうな?」
しまった! 前言撤回、先ほどの僕を絞め殺してやりたい。
確かに、あの竜退治の後、牙やら骨やら鱗やらの一部を王家に献上させられたのは覚えている。
しかし、それがまさかパトリシア殿下の鎧となっているなどと、誰が想像できるというのだ。
「あ、いやそれは言葉の綾と申しますか…。」
パトリシア殿下に睨まれてタジタジな僕は稚拙な弁明をすることしか出来なかった。パトリシア殿下が大きくため息をつく。
冷や汗ダラダラの僕は戦々恐々《せんせんきょうきょう》として殿下の言葉を待った。
「まあいい、実はお前に頼みがあってな。
………この私に剣を教えてくれないか。」
はい? 僕の頭が真っ白になる。この王女、頭がおかしいんじゃないか?
一瞬、その場の全員が呆気にとられて立ちつくした。グウェンドリン卿だけは目を輝かせて羨ましそうにパトリシア殿下を見つめていたが。
「なっ、何を仰るのですか、殿下! 殿下の剣技指導は陛下からこの私に一任されていたはず…っ!」
オルドラン卿が慌ててパトリシア殿下に詰め寄る。というか、オルドラン卿がパトリシア殿下の剣術指南役だったのか。
おいおい、まさかこの王女様はよりにもよって指南役の目の前で剣を僕に教えてほしいと言い出したわけじゃないだろうな。
僕は副団長がなぜパトリシア殿下をお飾りの騎士団長に留めたがっているのか理解できた気がした。
僕は頭を抱えたくなる。こんな無神経な騎士団長が実権を握ったら三日で暴動が起こるぞ。
「それに、剣技指南役はただ武勇を誇ればよいものでもありませぬ! 王族の剣とは伝統と気品の証しでなければならんのです。
こんな田舎騎士の操る剣など諸侯の笑い物となりましょうぞ!」
オルドラン卿の言葉はまったくの正論だった。王族が僕みたいな粗暴な剣を身に着ける必要は全くない。
王族は基本的に戦場に出ず後方で指揮をとるのが役目であるし、剣術は見栄えが良くなくては臣下に侮られることもあるだろう。
僕の刺突剣を主体としたノーガード戦法などもってのほかだ。
「お言葉ですが、我が剣技は刺突剣を主体とした防御軽視の邪剣。とてもではありませんが団長にお教えできるようなものではございません。」
僕もオルドラン卿に続けて異議を申し立てる。オルドラン卿が僕の申し立てに目を丸くしていた。
まさかオルドラン卿に僕が加勢するとは思いもしなかったのだろう。
確かに、僕だってできればパトリシア殿下に逆らいたくはなかった。だが、物事には限度というものがある。いくらなんでも僕が剣を教えることだけは無理だ。
オルドラン卿が我に返ったように再度パトリシア殿下をさとした。
「この通り、ショルツ卿も辞退なさっている。殿下、無茶を言ってショルツ卿を困らせてはなりませぬ。」
しかし、パトリシア殿下はオルドラン卿の忠告もどこ吹く風で、真剣に取りあう様子はない。
「そうチクチクと小言を言うな、オルドラン。分かっている、お前からも引き続き剣は教わるさ。
ただ、私は竜殺しの騎士から剣技を学んでみたいのだ。」
オルドラン卿が必死に食い下がる。
「しかし、何処の馬の骨とも知れぬ者の剣技を学ばせるわけには……。」
パトリシア殿下が苛立ったように語気を荒げた。
「分かった。オルドラン、お前数日後にでもショルツと試合をするがよい。お前と戦ってその技量を示せばお前も文句なかろう。
もしお前が勝ったなら私はショルツから剣を学ぶのを諦める。その代わり、負けたならその時は潔くショルツを認めるのだ。いいな?」
苛立ったようにそうまくし立てると、パトリシア殿下は踵を返して城の中へと姿を消した。
その後を慌ててグウェンドリン卿とオルドラン卿が追いかけていく。菜園には僕だけが取り残された。
なんだかパトリシア殿下は問題の本質を分かっているようには見えなかった。
そもそも王族がこんな田舎の騎士から剣を学ぶこと自体外聞が悪いし、それに僕の我流の剣が本来学ばなければいけない王族の剣に悪影響を与えたらそれこそ取り返しがつかない。
しかし、もうパトリシア殿下が聞く耳を持つとは思えなかった。偉い人に目をつけられると本当にろくなことにならない。僕は項垂れた。
僕とオルドラン卿が試合をするという噂は一日もしないうちに城中に広がった。その日の夕刻、副団長に呼び出される。
陰鬱な気持ちを抑えながら副団長の部屋に入ると、思いもかけない人物が副団長と共にいた。オルドラン卿だ。
「ショルツ卿、また厄介ごとを起こしてくれたな。」
やつれた様子の副団長が僕をギロリと睨む。僕が悪いんじゃない、パトリシア殿下がおかしいんです。
僕は反論したくなったが、ぐっとこらえた。
「まあいい。オルドラン卿が必死に説得なさったが、どうも殿下の決意は小揺るぎもしないらしい。
試合は明後日に、城外の草原で執り行われる。ショルツ卿、卿はその試合で何が何でもオルドラン卿に勝ちをお譲りしろ。」
「というと、つまり八百長ですか。」
僕が身も蓋もない言葉で言い換えると、脇に立つオルドラン卿が苛立った声で訂正してきた。
「計略と呼べ、計略と。」
結局、それが意味することは変わりはしない。つまり、事前に試合の流れを決めておいて、僕がわざと負けるということだ。
「オルドラン卿にも協力してもらい、出来る限り真剣勝負で文句なしに勝敗が決したように見せかけたい。
まず、試合が始まると同時にオルドラン卿がショルツ卿の剣を弾き落とす。そして…。」
明日の試合の段取りを決める最中、副団長が突然口を閉ざした。次いでガチャガチャと鎧の金属板が擦れ合う音が聞こえる。
敵襲もないこんな真昼間に鎧を着こんでいる人間など、このボルゴグラード城内には当直の騎士とパトリシア殿下しかいない。
扉が蹴破られんばかりの勢いで開けられる。副団長の室内にパトリシア殿下が姿を現した。僕たちはその場で跪く。
「これは、パトリシア殿下におかれましてはご機嫌麗しゅう。さて、この副団長に何か用でございますか?」
副団長の言葉を遮るようにして、顔を真っ赤にしたパトリシア殿下が怒鳴った。
「お前たちはここでいったい何をしていたのだ!」
「はっ、明後日の試合について諸連絡をと…。」
副団長がうまい言い訳を告げる。しかし、それもパトリシア殿下の耳には入らないようだ。
「シナトラ、貴様はまたそうやって私を騙そうというのだろう! お前たち、この部屋で八百長の相談でもしていたな!」
なんでまた、こういう時に限ってパトリシア殿下は察しがいいんだ。僕は舌打ちをしたくなった。
僕も、副団長も、オルドラン卿も、パトリシア殿下の激昂に言葉が出ない。
パトリシア殿下がプルプルと肩を震わす。怒り心頭といった様子でパトリシア殿下が爆発した。
「ええい、うるさい! お前たちはどうしていつもこの私のいうことを聞かんのだ! 分かった、分かったとも。
ショルツ、お前が負ければそこのシナトラ副団長をこの騎士団から放逐する!」