第6話
ボルゴグラード城内の不和は日に日に深まっていく一方だった。
戦いもせず騎士団に何の貢献もしていないくせに幅を利かせている殿下の騎士たちに対して毎日激戦を繰り広げている北方騎士団内では反感が高まり続けている。
しかし、殿下の騎士たちはボルゴグラード城の守備は北方騎士団の責務であり、自分達にも戦うよう求めるのはお門違いだという考えなのだ。
当然この差は埋まるようなものではなかった。
さらにこの不和に拍車をかけたのがパトリシア殿下と副団長との対立だった。
今まで通りお飾りとしての騎士団長をパトリシア殿下に期待する副団長に対し、パトリシア殿下は不信感を抱いているらしくほとんどの時間を自身の騎士と過ごしていた。
無論、北方騎士団にとってはいくら王族とはいえぽっと出の何の信用もない騎士団長よりも長年指揮を執っていた信頼のおける副団長に命を預けたい。
しかし、それがパトリシア殿下には騎士団が殿下を蔑ろにしているとしか映らず、より一層の対立を生み出すという悪循環が成立していた。
ただ、殿下の騎士と北方騎士団が全員いがみあっているわけではない。
北方騎士団の中にも殿下の騎士に対して物腰柔らかに接する者もいるし、殿下の騎士の中にも北方騎士団に敬意を払う者がいる。
前者の筆頭がマルグレット卿で、後者の筆頭がグウェンドリン卿だった。
グウェンドリン卿は殿下の騎士たちの中でも人一倍年若く、人懐っこい少年だった。
顔をあわせる度に元気よく挨拶をされては無下にできるはずがない。その持ち前の純真さでグウェンドリン卿は北方騎士団に馴染んでいった。
「へぇ、ショルツ卿は竜と戦ったことがあるのですね、すごいなぁ!」
グウェンドリン卿がキラキラと瞳を輝かせてずいっと顔を僕に近づけた。そのあまりにも透き通った瞳に、僕は思わずのけぞってしまう。
「まあ、偶然ね…。もうあんな思いは二度としたくないけれど。」
あの赤い、縦に裂けた目。あの竜の爪は長く鋭く、あともう少しで僕の腹を掻っ捌かれるところだった。
あの時を思い出して僕は身震いする。我ながらよく生き延びれたものだ。
「何を言います、喜び勇んで一人で竜に突っこんで倒してしまったのは卿ではないですか。」
マルグレット卿が横から余計なことを口出ししてくる。僕はキッと目で睨みつけるも、マルグレット卿はどこ吹く風だった。
「えっ! ショルツ卿は竜退治をしたのですか!」
グウェンドリン卿の目がこの上ないほどに光を放った。憧れの視線に僕は後ろめたさを覚える。
あの時は手柄を立てればこの北方騎士団からおさらばしてどこかの大貴族の騎士団に迎えられると思っていたから……。
結局は副団長に目をつけられてあの手この手でこの北方騎士団に縛り付けられる羽目となったが。
「それより、マルグレット卿は矢一発でキメラを討伐したことがありますよ。あそこのマルグレット卿にその時の話を聞けば喜んで話をしてくれるでしょう。」
隣の席でマルグレット卿がワインを吹き出した。余計なことを喋った仕返しだ、お前も巻き込んでやる。
グウェンドリン卿は小躍りしながらマルグレット卿のほうへと駆け寄っていった。
グウェンドリン卿がいなくなってようやく一息つけた僕はそっと殿下の騎士たちのほうを伺った。
殿下の騎士たちはグウェンドリン卿の振る舞いにどこか苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべていた。
思った通りだ。いくらグウェンドリン卿が人付き合いが上手いからといっても、このボルゴグラード城内の不和を乗り越えきれたわけではない。
特に僕は初日の宴の後に揉め事を起こしている。なおのこと彼らは苦々《にがにが》しく思っているはずだ。
いつか、必ずこの不協和が爆発する瞬間が来る。僕のその予想はすぐに的中することになった。
ことは昼間僕が城の菜園の手入れをしているときに起こった。
「これはこれはショルツ卿。今日も田舎騎士らしく草いじりですか。」
背後から嘲りの言葉をかけられる。僕は嫌な予感がしながらも、渋々《しぶしぶ》振り返った。
菜園のそばにあのオルドラン卿が立っていた。あの宴の後の夜、僕と揉めた殿下の騎士だ。
「これはオルドラン卿。先日は失礼をいたしました。暗殺者の存在につい興奮していたもので騎士としてあるまじき言葉を卿にかけてしまった。」
内心は嫌だったけれど、僕はオルドラン卿の顔を立てることにした。これ以上揉め事を起こして副団長に迷惑をかけるわけにはいかないからだ。
「まったくその通りだ、ショルツ卿。貴様が私の足を引っ張らなければ私はあの暗殺者を捕らえ手柄を立てていたものを。」
ふざけるな、それはこっちの台詞だ。僕は喉元まで出かかった本音をなんとか飲み込んだ。
「まあその話は今はいい。私が今伝えておきたいのは、だ。貴様、二度とグウェンドリン卿に近づくな。」
やはり、僕とグウェンドリン卿が仲良くするのは殿下の騎士にとって腹立たしいことらしい。
残念だけれど、グウェンドリン卿。竜退治の話は聞かせてあげれそうにない。
僕は心の中でグウェンドリン卿に謝った。
「そもそも王家の宮宰の一族、ラシュタッド家の出であらせられるグウェンドリン卿はパトリシア殿下もお目にかけていらっしゃる将来を嘱望された優秀な騎士だ。
卑しい貴様が気軽に話しかけてよいお方ではないわ。
貴様が竜を退治したなどと法螺を吹いてグウェンドリン卿が感化されたらどうするというのだ。」
どうやらグウェンドリン卿は家柄がよくパトリシア殿下とも親しいらしい。だから、今まで誰もグウェンドリン卿に直接文句を言ったりしないのか。
グウェンドリン卿は殿下の騎士たちの中でも特別な立場にあるのだろう。
「はっ、申し訳ございません。グウェンドリン卿には今後近づかないようにいたします。」
まあ、あまり僕には関係のないことだ。これからは僕がグウェンドリン卿との会話を慎めばよいだけのこと。僕の返事にオルドラン卿は満足げだ。
これで、話は終わるはずだった。
「ショルツ卿、今何をなさっているのです!」
思わず舌打ちをしてしまいそうになる。どうしてよりによってこんな時にグウェンドリン卿がこんなところに現れるのだ。
なんとかしてグウェンドリン卿を言いくるめなければいけない。
僕がそう考えてグウェンドリン卿に向き直ろうとした時だった。
「オルドランではないか、今朝ぶりだな。」
僕は一瞬呆然とした。そして、すぐさま我に返って跪く。オルドラン卿が僕と同じように地面に跪くのを眺めながら、僕の頭の中は大混乱に陥っていた。
「そこの騎士、顔を上げよ。名を何という。」
菜園からほど近い城の廊下に鎧を身に纏ったパトリシア殿下がグウェンドリン卿と並んで佇んでいた。