第5話
「取り逃がしました、か。」
燦燦とした日光が差し込む副団長の部屋にて、僕はあの後の顛末を聞いていた。
「ああ。ただでさえ夜で周囲が闇で閉ざされているというのに、それに加えて月が雲に隠れてしまってはどうしようもなかった。
余計な損害を騎士団から出すわけにもいかんからな、捜索はとっとと切り上げた。今は侵入経路を調査している最中だ。」
相変わらず山積みの羊皮紙の山に目を通しながら副団長は淡々《たんたん》と語った。
「それで一晩おいて、どうだ? 頭は冷えたか?」
副団長が顔を上げて僕の顔を見つめた。鋭い緑の瞳が僕を突き刺す。決まりの悪さを感じた僕はさっと目を逸らした。
「……ええ、流石に落ち着きました。もう二度とあんなことはしません。」
本当に昨日の僕はどうかしていた。
あの程度で腹を立てて身分や家柄もわからない相手に食ってかかるだなんて、最悪の場合不敬だと切り捨てられてもおかしくないことだ。
酒を飲みすぎて頭がおかしくなったんだろうか。
「なら、よい。北方騎士団屈指の剣士をこのような些事で失うわけにはいかんからな。」
副団長がふとため息をこぼす。固い木製の椅子の背にもたれかかると、天井をぼうっと眺めた。
「それに、殿下の騎士と揉め事を起こしたのは卿だけではなくてな。
まあ、騎士団の騎士と王族の騎士との間に諍いが起こるのは当然といえば当然だが、立場が下の北方騎士団ばかりが譲歩を強要されることにずいぶんと不満がたまっている。
まったく、面倒な話だ。」
北方騎士団は、跡取りになれなかったり失脚したりした、言い方は悪いが負け組の集まりだ。それに比べ王族に仕える騎士ともなれば騎士の中でも最上位の勝ち組。
殿下の騎士が北方騎士団を見下し、北方騎士団が殿下の騎士を煙たがるのも無理はない。
王族であるうえに騎士団長であるというパトリシア殿下の威を借る騎士に北方騎士団は苛立ちを隠せないだろうし、殿下の騎士は慣れない辺境の環境に鬱憤をためるだろう。
図らずも多忙な副団長の頭痛の種となってしまったことを僕が恥じていると、扉がノックされた。副団長が許可を出すと、マルグレット卿が室内に入ってくる。
マルグレット卿は鎧を身に着けたままで、その縁にはところどころ泥が飛んでいた。訝しげな僕の視線を察したのか、副団長がその訳を教えてくれる。
「マルグレット卿は自発的に夜間の捜索に加わってくれたのだ。ただ、すぐさま悪酔いがぶり返して城へと引き返したがな。おかげで私の眉間はしわが寄ったままだ。」
マルグレット卿の顔がさっと青ざめた。どうやら昨日の宴でのマルグレット卿の失言はバッチリと聞かれていたらしい。
あわあわと弁明の言葉を捻り出そうとするマルグレット卿を手で制して、副団長が深々と椅子に座りこむ。
「さてと、ショルツ卿にマルグレット卿。パトリシア殿下に護衛の件はあえなく断られてしまったが、だからといって殿下を放置するわけにはいかん。
卿らには秘密裏に殿下の警護についてほしいのだ。
日中の城内では不要だが、殿下が城外に出られた時やお休みになる時などは必ず卿らのうち一人が目を光らせて頂きたい。
無論、卿らに課せられていた仕事は大幅に軽減しよう。」
実に困難な命令だ。しかし、副団長をこれ以上失望させるわけにはいかない。僕とマルグレット卿は二つ返事で承った。
持ち回りの畑仕事を終えてからマルグレット卿と二人並んで正餐、つまり昼食に向かう。
基本的に北方騎士団の食事は一日に二回、昼と夕方に騎士が大広間に集まってとられる。
基本的に野菜が少し浮いているスープと黒パン、蜂蜜入りの薄いワインに加えて、時折塩漬けの肉かハムが大皿で与えられるのがせいぜいだ。
マルグレット卿と大広間に入ると、ボルゴグラード城内の不和が見て取れた。
殿下の騎士と北方騎士団の騎士とが別々に固まって座っていたからだ。勿論マルグレット卿と僕は同僚たちと席を共にする。
やがて昼食の時刻になり、各々祈りを捧げてから食事を取り始める。
昨日の祝宴とは比べ物にならないほど質素な食卓に、騎士たちはどこかげんなりとした様子だ。まあ、あの宴が豪華すぎたというのもあるのだろうが。
この食事に慣れた北方騎士団の騎士たちは粛々と悪態をつきながらも食べ物を詰め込むように口に運んでいるが、今まで王国の内地で比較的豪勢な料理に舌鼓をうっていたのだろう殿下の騎士たちはあまり手が進んでいないようだ。
可哀想だが仕方がない。北の辺境の食糧事情はあまりよろしくないのだ。慣れてもらうしかない。
マルグレット卿と二人横並びに座って無心で固くてボソボソしたパンを頬張っていると、どこかからか鐘の音が鳴り響いた。
珍しい、こんな時間に魔獣の襲来だなんて。
すぐさま北方騎士団の騎士たちは食事を中断し、各々の持ち場へと急ぐ。僕も立ち上がって鎖帷子を着こみにいこうと走る。
しかし、殿下の騎士たちは動きはしなかった。当然といえば当然だ。
北方騎士団ではなくパトリシア殿下に仕えている彼らにはこのボルゴグラード城を守る義務がない。
ただこれでまた不和が広がるだろうなあ。頭を抱えている副団長の姿を幻視して僕は苦笑いを浮かべた。
魔獣たちの襲撃は無秩序だ。知性を持たない獣たちは本能に従ってできるだけ多くの人間を狙おうとする。
森のすぐ近くにあり、多くの騎士や文官が住むボルゴグラード城は誘蛾灯のような役割を果たしていた。
すさまじく巨体の猪に向けて矢が射かけられる。何本か放たれた矢の内、幾本かが鼻や眼球に命中したらしく、猪は突進を止めてその場でもんどりうった。
今回は猪たちの群れが襲ってきたらしい。僕は城の城壁の上から煮えたぎった油を流しながら、尖塔の様子を伺った。
今あそこには副団長と殿下が見張り番と共にボルゴグラード城全体の指揮を執っているはずだ。
無意味に城の城壁に突進してくる猪の数が減ったところで、鐘が再び鳴らされる。
すでに北方騎士団の勝利は確定したが、どうやら生き延びた猪が遠方にたむろしているらしい。
このまま逃せば騎士団の領地を荒らされかねない、そう判断されたらしく選抜された騎士たちで追撃を加えることとなった。
僕を含めた十人ほどの騎士で突撃する。用意した馬に跨り、降ろされた跳ね橋を一団となって城から打って出た。
草原を走ってしばらくすると馬の二、三倍の巨体の猪が近づく僕たちに向かって突撃してくる。
鎧に身を包んだ騎士たちと毛皮に身を包んだ獣たちが交差する。瞬間、怒号と咆哮、地響きと振動、金属音と断末魔、周囲が喧騒に包まれた。
一頭、眼球から脳まで貫き、もう一頭は肩を刺し貫いて走れなくした。しばらく走ったところで反転する。
周りの騎士たちと再び位置を調整したところで気がついた。一人減っている。
しかし、今はそんなことを気にしている暇はなかった。再び猪たちに向けて馬を急き立てる。手綱から手を放し、剣を両手で構えた。
迫りくる牙を身を捻って躱し、心臓を一突き。次に迫る猪の眉間を貫いてやる。最後に走り去ろうとした猪の太ももを刺突。
二度の交錯の後、辺りを威勢よく走り回る猪の姿はなかった。
馬から降り、今だピクピクと動く猪に一匹ずつ止めを刺していく。そうしていくうちに、僕は猪の下敷きとなった一人の騎士を見つけた。
周囲の騎士たちを呼び、二三人がかりで既に息絶えた猪の死体を持ち上げる。
露わになった騎士の姿は見るも無残だった。猪の折れた牙が鎧を割り完全に心臓を刺し貫いている。致命傷だ。
こひゅっ、と血を吐き出すその騎士は僕の顔見知りだった。恐らくもう意識が朦朧としているのだろう、意味のある言葉がその口から紡がれることはない。
結局、その騎士は馬に乗せて城に戻る最中で絶命した。
立派な騎士だった。少なくともあんな猪なんていう獣に後れを取るような騎士ではなかった。
しかし、ここは北方騎士団。常に死と隣りあわせの騎士団。こんなことは日常茶飯事だ。
城外に騎士団の騎士たちの墓場はある。彼の墓には殿下の騎士からくすねた高級ワインを注いでやった。
下戸の僕には味はわからないが、酒豪だった彼が天で喜んでいることを切に願う。
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