第4話
ずきずきする頭を押さえながら、月明りを頼りに真夜中の城内を進む。結局、マルグレット卿を誤魔化しきることは出来ず、しこたまワインを飲まされたのだ。
当の本人であるマルグレット卿は宴の途中で眠りこけてしまい、僕が城の外郭の騎士たちの宿舎まで運ばなければならなかった。
明日になって酒精の抜けたマルグレット卿に出くわしたなら散々にからかってやろう。僕はとんでもない頭痛を必死にこらえながらそう決心した。
しかし、それにしてもこんなにお酒を飲んだのは久しぶりだ。明日は副団長とパトリシア殿下について話し合わなければいけないのに、酒臭い息が副団長にバレたらどうしようか?
僕は副団長のお叱りを想像して身を縮みこませた。
まったく、今日は厄日だ。殿下の護衛の拒否といい、狼の群れといい、マルグレット卿の酒乱といい、困ったことばかり起こる。
「ああ、本当に不幸だ……。
こんな夜に、侵入者が現れるなんて!」
勢いよく剣を抜き放ち、脇の扉に突きを放つ。木製の扉はいとも容易く穿たれ、突きの衝撃で吹き飛んだ。暗い室内に月明りが差し込む。
どうにも肉を貫いた感触はしなかった。手に伝わる感覚に僕は顔をしかめる。
どうやら間一髪よけられたらしい。まあいい、今の騒音でじきに周囲の騎士が集まってくるだろう。
未だ室内から漏れだす人の気配に、僕は声をかけた。
「その部屋から出てきたほうがいいんじゃないかい? その部屋は窓が狭くてね、とてもじゃないがこの扉からしか出られない。
このまま増援が来て困るのは君だと思うけど?」
しばらくの沈黙ののち、灰色のマントをまとった一人の不審者が姿を現した。月明りに照らされて手に握った短剣がギラリと光る。
顔は黒い頭巾に覆われてようとして見えない。
あんな薄暗い部屋の中で殺し合いなんかやってられないし、出てきてくれたのは素直にありがたい。無論、そんなことはおくびにも出さず、僕は剣を構え直した。
なぜ、ベルゴグラード城に侵入したのか。決まりきっている。この北方騎士団にはパトリシア殿下が着任なされたばかりだ。
恐らくこの不審者は殿下の殺害を命じられた暗殺者なのだろう。そうでなければ年中金欠のこんな田舎騎士団の本拠地に乗り込んでくるものか。
刃を水平に保ち前へと突き出して、いつでも突きを放てる体勢で目の前の暗殺者と思しき人物の様子を伺う。
今の僕は鎖帷子も着ておらず、完全に無防備だ。武器は手にもつこの剣だけ。
刃を受け止めることが全くできないこの剣に防御能力はないに等しく、僕は相手の攻撃を避けることしかできない。
暗殺者は手に持つ短剣をユラユラと動かしながらじりじりと距離を詰めてきている。
二人の間に距離がある今の間合いでは完全に僕のほうが有利だから、なんとかして懐に入り込もうとしているのだろう。
城のあちこちに明かりが灯される。金属同士が擦れ合う甲高い音を立てながら、鎧を着た騎士が刻一刻と迫っているはずだ。
月が雲間に隠れ、一瞬あたりが暗くなった。その瞬間、暗殺者が弾かれたように駆け出した。
どうやら僕の口封じよりも逃走を優先したようだ。僕は逃すまじと追撃を始める。
しかし、逃げるといったってどこに向かっているんだろうか。この城の城門とは全く違う方向へと走り続けている暗殺者の目的が僕には見当がつかなかった。
そうこうしているうちにもその暗殺者は城の城壁へと通じる尖塔に駆けこんでいった。
まさか。僕は暗殺者の狙いを悟った。城壁から堀へと飛び降りるつもりだ。そうはさせまいとより一層走る速度を上げる。
僕と暗殺者、二人はあまりにもの勢いにぐらつく階段を駆け上がっていった。
間一髪城壁へと続く扉の手前でなんとか暗殺者の背中を捉える。倒れこまんばかりの勢いで僕はその背中に向けて突きを放った。
暗殺者はその攻撃を察し身を無理やりひねって躱そうとするが、もう遅い。僕の突き出した剣は確かに暗殺者の背中を捉え、浅からぬ傷を残した。
どす黒い血がボトボトと床に垂れる。背中を庇うようにしながら、暗殺者は震える手で短剣を構えた。
勝負はついた。僕は無傷で立って剣を構え、かたや暗殺者は手負いで壁にもたれかかりながら短剣を構えている。後はじっくりと相手を弱らせていけばいい。
そう、僕が勝利を確信した時だった。背後からガチャガチャと鎧姿の騎士が階段を上ってくる音がした。僕がその増援に声をかけるよりも先に、肩に衝撃が走る。
背後からやってきた騎士に押しのけられたのだと僕が気がついた時にはもう完全に手遅れだった。
新しくやってきた騎士が鼻息荒くとどめを刺そうとしたときにはすでに暗殺者は身をひるがえして城壁へと通じる扉に姿を消している。
慌ててそれを追いかける騎士に続いて僕が城壁の上に立った頃には、暗殺者は宙に身を躍らせていた。
ドボンという水音と共に、暗殺者の姿は夜の闇の中に消えていった。
僕とその騎士が呆然と城壁の上で佇んでいると、にわかに明るい暖色の松明の灯が近づいてきた。どうやら副団長と当直の騎士一行が城壁に到着したようだ。
「暗殺者と思しき不審人物の背中に傷を負わせることには成功しましたが、すんでのところで取り逃がしました。」
僕は冷めやらぬ衝撃をなんとか抑え込みながら、淡々と副団長に報告する。そして、例の騎士に向き直った。
「卿は、いったい誰だ?」
強い語気の僕の問いかけにたじろいだのか、その騎士はおどおどと小さな声で名乗りをあげた。
「わ、私はパトリシア殿下の騎士のオルドラン、オルドラン・ド・モルドールだ。」
僕は胸中に渦巻く激情を出来うる限り丁寧な言葉で吐き出した。
「よろしい、オルドラン卿。手柄を立てる機会に血気はやるのは結構だが、その焦りで騎士団全体に迷惑をかけるなどという醜態は今度きりにして金輪際止めていただきたい。
北方騎士団はそのような武功を立てるための卿の遊び場ではない。」
言い切ったと同時に僕はオルドラン卿に背を向けた。これ以上あの馬鹿の顔を見ていると恐ろしく汚い罵倒が口から飛び出してしまいそうだったからだ。
背後から聞こえるオルドラン卿の怒りの声を無視して、僕は副団長の指示を待った。
「……短絡的な感情に任せてあのような言葉を口にするなどいつもの冷静沈着な卿らしくないぞ、ショルツ卿。少し頭を冷やせ、追撃は別の騎士を見繕う。」
いつも理性的で落ち着きはらっている副団長の瞳に驚きの色が見える。どこか心配げな声色で副団長は僕に待機を命じた。
「ご配慮感謝いたします、副団長。」
本当に今日は厄日だ。暗殺者を取り逃がすばかりか、感情的になって人を罵るなんて。