第28話
ドドドドドド
地下都市中に、何かが打ちつけるような音が響いた。僕とマルグレット卿、パトリシア殿下は目を丸くする。
「いったい、この音は何だというのだ?」
パトリシア殿下が訝しげに呟いた。僕は耳を澄ます。
音は街全体で反響して出所が全く掴めない。闘技場の観覧席の最上階まで駆け上って周囲を見渡しても何も特段変なことは見当たらなかった。
隣でマルグレット卿が鋭い目を光らせる。その時、僕は背筋に嫌な予感がして、とっさにマルグレット卿を押し倒した。
次の瞬間、頭上から莫大な量の水が落下してきた。
「!?」
驚きでパトリシア殿下の目が見開かれる。僕とマルグレット卿はとっさに天井を見上げた。
天井のドーム。そこに開いた穴のふちから凄まじい勢いで水が流れ込んできていた。
まるで滝のように流れ落ちた水は都市の周縁に向かって流れていく。その勢いは止まる気配を見せない。あと数刻もすればこの都市が水没することは明白だった。
僕はこれが一体何かはっきりと理解した。あまりにもの間の悪さに思わず舌打ちをしてしまう。
「副団長、仕方がないとはいえ、最悪のタイミングですよ……っ!」
マルグレット卿が全く見当がつかないといった風に叫んだ。
「ショルツ卿、いったいどういうことですか!?」
「水攻めですよ! 副団長はこの小鬼の坑道を完全に水没させるつもりなんです!」
流れ落ちてくる水の中に、ちらほらと小鬼の溺死体が紛れ込むようになる。
恐らく、副団長はもう行方不明となった僕たちの生存が絶望的だと考えて水を坑道に流し始めたのだろう。
せめて、あと一日あれば……!
見る見るうちに帝国最後の栄光は水面の下に消えていった。例の大広間のあった建物は完全に濁った水面下で見えない。
「ショルツ、一体どうする!」
特等席からパトリシア殿下が声を張り上げた。見ると、パトリシア殿下は倒れている二人の怪物、スキニウス卿とモーディアス卿を助け起こそうとしていた。
僕は必死に頭を捻る。どうにかして、すぐさまこの都市を後にしなければ、僕たちは皆溺死してしまう。
………ん? 本当に溺死するのだろうか? 僕は天井を見上げた。そして、閃く。
「ガレー船です!」
いきなり大声を出した僕にマルグレット卿は目を丸くした。
「いや、確かにガレー船の残骸はありましたが、それがいったい………。」
「いいですか、狭い坑道にいるならともかく、今僕たちは小鬼の開けた大穴の底にいます。これは、言い換えれば水に浮いてさえいれば上昇する水面が地上まで僕たちを運んでくれるということなんです!」
電撃が走ったようにマルグレット卿は震えた。そして、ゆっくりと口を開く。
「ショルツ卿。」
「何ですか?」
「天才です。」
そのまま僕とマルグレット卿は闘技場へと通ずる通路に向かって走った。
半ば水没した通路の中から、かろうじて無事だったガレー船を見つける。しかし、僕とショルツ卿が引っ張っても、まったく動く気配を見せなかった。
焦る。このままでは上昇する水面に押しやられて天井にガレー船が圧し潰されてしまう。
その時、背後からにゅっと伸びてきた手ががっしりとガレー船の舳先を掴んだ。そして、そのまま闘技場へと引きずっていく。
振り返ると、あの怪物、スキニウス卿とモーディアス卿が立っていた。その巨体を真っ赤にしながら、全力でガレー船を引きずっていく。
「スキニウス卿………。」
すぐにガレー船は闘技場へと引き出された。既に腰まで水に浸っている。パトリシア殿下が真っ先にガレー船に飛び乗り、僕やマルグレット卿に手を差し出してきた。
「掴まれ、ショルツ、マルグレット!」
パトリシア殿下の助けを借りて、ガレー船に乗船する。すぐさま船底を確認するも、水漏れの様子はなかった。
水面の上昇と共に、ついにはガレー船が浮き始めた。
突然、パトリシア殿下が鎧を脱ぎ、ガレー船の外へと放り投げた。
「殿下!?」
驚いて声をかける。
「お前たちも鎧を捨てろ! 私が後で補償してやる!」
そして、殿下はスキニウス卿とモーディアス卿、二人の怪物に向けて声を張り上げた。
「お前たちも乗るんだ! このままこの街にいればお前たちまで溺れ死んでしまうぞ!」
怪物が乗れるよう、出来るだけ船の重量を減らそうというのか。パトリシア殿下の意図を理解した僕とマルグレット卿は顔を見合わせ、すぐさま鎧を脱ぎ捨てた。
さらに船底の帆やら樽やらも船外に放り捨てる。これぐらい軽くすれば、本当にギリギリとなるが、怪物たちも乗ることができるだろう。
しかし、二人の怪物はゆっくりとかぶりを振った。そして、あろうことかガレー船に背を向け、都市へと向かっていく。
「な! 何をしている、戻ってこんか!」
殿下の驚きと当惑がこめられた声に、怪物たちは振り向くことなく答えた。
「ソレガシ、ココ、マモル、シメイ。ココ、ホロビカケ、ソレガシ、ハナレナイ。」
固い決意が秘められた、言葉だった。何よりも、数世紀の間この都市を守ってきた怪物たちの背中がよく物語っていた。
怪物たちはこの都市を最後まで守るつもりなのだ。
帝国最後の軍団長として、皇帝に忠義を誓った戦士として、そして、この都市に最後まで残った守護者として。怪物たちはこの水没を指をくわえてみていることは何があろうとできないのだ。
どんどんと怪物が遠ざかっていく。ガレー船もまた、上昇を開始した。
「スキニウス、モーディアス! 戻ってくるのだ、これは命令だぞ!」
怪物を呼び止めようとするパトリシア殿下の肩に手を置く。もの言いたげに振り向いた殿下の唇の上に指を置いた。そして、かぶりを振る。
ハッと悟った様子のパトリシア殿下は、遠ざかる二人の軍団長の背中をじっと見つめた。
「………よかろう、お前たちの帝国への最後の忠義を、私は尊重し、称賛する。大儀である、これまでも、これからも。」
怪物の足取りがピタリと止まる。
「だが、もし、この都市が水没しても安全だと! そう分かったのなら、必ずボルゴグラード城まで来るのだ! いいな!」
パトリシア殿下が喉が張り裂けんばかりの大声を上げた。
どんどんと怪物たちの姿が水に沈んでいく。その中で、二人の軍団長は、僕の見間違いでなければ、確かに笑っていた気がした。
ガレー船はどんどんと天井のドームへと近づいていく。オールまでも捨ててしまった今、僕たちはあの穴をガレー船がちょうど通るのを願うことしか出来ない。
ガリガリとマストが天井の彫刻に削られていく。
そして――――――――。
「日の、光だ。」
呆然とした様子で、パトリシア殿下が呟いた。
僕たちはなんとか帝国の地下都市からの脱出に成功した。
大穴の入口、そこからはさんさんと日光が差し込んでいた。眩しくて、思わず手をかざす。
周囲の坑道の穴からは次々と溺れて物言わなくなった小鬼の死骸が流れ込んでいた。
ふと、パトリシア殿下がよろける。僕はとっさに駆け寄り、その体を支えた。
「ああ、ショルツ、すまん。すこしめまいがしてな。」
頭に手を当てながら、殿下が呟いた。額を触ると、発熱している。今日は随分と無茶をした、疲労が限界に達しているのだろう。
「構いませんよ、殿下。しばし横になってお休みください。もう危険は脱しました。あとは地上にまでたどり着くのを待つだけです。」
周囲から小鬼が襲ってくる気配もない。油断はできないが、殿下が体を休めるぐらいの余裕はあるはずだ。
「そうだな、言葉に甘えるとするか。」
パトリシア殿下が淡く微笑みながら目を瞑った。
しばらくすると規則正しい寝息が聞こえてくる。深い眠りに落ちたようだ。
僕はパトリシア殿下をそっと横たえる。そして、振り返らずに、声をかけた。
「僕は、信じていますよ。マルグレット卿。」
背後で殿下に弓を構えるマルグレット卿にむけて。




