第2話
今日は騎士団長がこのベルゴグラード城に着任なされる日だ。いつもは暗い雰囲気が漂うこの陰気な城も、今日ばかりは活気に満ちた慌ただしさで満ち溢れていた。
新しい騎士団長が王族だということで、今夜の就任祝いの宴は豪勢なものになる予定だ。
騎士たちもご馳走にありつけるとパトリシア新騎士団長の到着を待ち望みにしている。
そんな喧騒をよそに、城の厩舎で僕は慣れない礼装に身を包み馬の準備をしていた。
僕は早速護衛として騎士団の領地の境までパトリシア殿下を迎えにいく大役を仰せつかっている。騎士団の領内は時折魔獣が現れて危険なのだ。
他の騎士団ならば馬の世話なんていう雑用は小姓に押し付けるのが普通なのだろうが、ここは北方騎士団。毎日のように戦いが行われるこの辺境では小姓なんて立派なものをもつ騎士のほうが少ない。
僕もご多分に漏れず小姓なんていないため、馬に自分で鐙や鞍をつけなければいけない。
まったく我ながらとんでもない騎士団に入ってしまったものだ。僕が馬の手入れをしながら文句を心の中で言っていると、厩舎内にもう二人、騎士が現れた。
副団長と、マルグレット卿だ。
マルグレット卿が柔らかな微笑を浮かべて僕に近づいてくる。長い赤髪が薄暗い厩舎の中でキラキラと揺れ動いていた。
マルグレット卿はこの北方騎士団にあって数少ない良識人のうちの一人だ。物腰も柔らかく、弓の腕前もたつ。北方騎士団にはもったいないほどの立派な騎士で、僕もよくお世話になっている一番の友人だ。
「これはショルツ卿、今回はよろしく頼みます。実は私も護衛役に加わることになりまして。」
感じのいい笑顔で僕に手を差し出してくる。僕はその豆だらけの手をしっかりと握った。
「マルグレット卿がいらっしゃるなら心強い。千の軍勢を味方につけたようなものですね。」
マルグレット卿ははにかんで顔を赤らめた。マルグレット卿は正面から称賛されるのに慣れていないのだ。
「パトリシア殿下の護衛として男だけでは不便だろうからな、マルグレット卿にもお願いすることにした。」
副団長が礼服の袖を整えながら付け加えた。
城門を副団長を先頭にして出る。城外の平原では騎士見習いたちが昨晩襲いかかってきた魔獣の死体を始末していた。
毛皮はこの騎士団の貴重な収入源の一つであるし、矢は回収すればまた使うことが出来る。こうした小さな工夫が北方騎士団の足元を支えているのだ。
いくつかの村々を過ぎ、騎士団の領地の境となる山地の峠までやってきた。
はるか昔、まだベルゴグラード城の一帯が森の一部だったころに魔獣から王国を守っていた砦が今は関所として騎士団領の入口を管理している。
副団長が関所の門番と話をしている間、僕とマルグレット卿は手持ち無沙汰で峠の道の先をぼうっと眺めながら世間話に興じていた。
話題はもちろん今晩の祝宴に出るであろう料理だ。
「騎士が二、三人森に狩りをしに出ましたから、今日は立派なジビエ料理が食べられるでしょうね。
ずっと前にショルツ卿が獲られた鹿は実に美味でした、また食べたいものです。」
マルグレット卿が顔をくしゃりととろけさせながらささやくように呟く。確かに偶然しとめたあの鹿は肉質がよく、素晴らしいご馳走だった。口の中によだれがあふれてくる。
「まったく、塩漬けの豚肉とニシンにはうんざりしていますからね。」
北方騎士団の食卓に上がるのはいつだってそうした肉や魚と固いパンか薄い麦粥ばかりで、ただ腹を満たすためだけの食事だった。
北の厳しい食糧事情ではそれも仕方がないことで、農民と比べれば恵まれたほうなのだ。だが、やはり食欲というものは際限がないものだ。
「ショルツ卿、あの一行は……?」
最初にパトリシア殿下一行に気がついたのは、マルグレット卿だった。マルグレット卿が指さす方向に僕も目を凝らすと、豆粒大ほどの馬に乗った人々の姿が見えた。
先頭を歩く従士が王家の紋章を縫いつけた旗を高々《たかだか》と掲げている。僕とマルグレット卿はすぐさま副団長に知らせた。
マルグレット卿が早くに一行を見つけられたおかげで、パトリシア殿下の騎乗する馬が峠の砦に着いた頃には僕たち三人は馬から降り、道の脇で臣下の礼をとってひざまずいていた。
「北方騎士団が副団長、シナトラ・ド・モンタギュー、第六十四代北方騎士団団長パトリシア殿下をお迎えに上がりました。
こちらの者は殿下の護衛として騎士団から選りすぐった精鋭の騎士でございます。どうかご傍においていただきますよう。」
副団長が下を向いたまま口上を述べる。僕とマルグレット卿もひざまずいたままだ。
しばらくすると、ガチャガチャと鎧のこすれあう音がして誰かが馬から地面に降りたつ気配がした。
「北方騎士団が団長、パトリシア・ド・トゥルモンド、副団長シナトラ卿の丁重な歓迎と気づかい、感謝する。
ただ、私に護衛は不要だ。私の騎士たちで十分に私の安全は確保されている。」
凛々しい声が頭上からかけられる。どうやらパトリシア殿下直々に言葉をくださったらしい。
しかし、護衛がいらないとは困った話だ。はいそうですかといって引き下がってもし殿下に何かあったら大問題であるし、かといって殿下の言いつけを無視して護衛をつければ不敬だと断罪されてもおかしくない。
「かしこまりました、殿下。それではベルゴグラード城まで私がご案内いたしましょう。城では宴の用意をしておりますゆえ……。」
副団長は一旦は引き下がることにしたようだ。副団長が目配せをし、さっと馬にまたがる。
僕とマルグレット卿もまた馬に乗り、殿下がひきつれる一行はのろのろと城への道を進んでいった。
パトリシア殿下の騎士たちは立派な鎧を身に纏っていた。少しも汚れの見当たらない、ピカピカに磨き上げられた鎧だ。騎乗する馬も体格がよく、上等な軍馬であるらしかった。
北方騎士団の騎士たちのみずほらしい姿とは大違いだ。
一行の後方に付き従う僕とマルグレット卿には、どこか侮蔑めいた視線が時折送られた。
王領に属する騎士たちからしてみれば北方騎士団の騎士など取るに足らないと見下しているのだろう。いつものことだ。
自分にぶつけられる不躾な目に耐えていると、うなじにふとピリッとした嫌な予感が走った。
僕は昔から悪意や敵意には敏感で、何度もこの直感に助けられている。どうやらパトリシア殿下一行を狙う不埒者がいるらしい。
「不穏な気配を感じました、様子を見てきます。機会を見繕って副団長にこの旨お伝え願います。」
脇に並んで馬を歩ませるマルグレット卿へと身を乗り出し、耳打ちをする。マルグレット卿が了承するように小さく頷くと、僕は馬の進路を脇の道に逸らした。
「おい、そこの北方騎士団の者! いったいどこに行くつもりだ!」
パトリシア殿下の騎士から声がかけられる。癪だがこいつらに怪我をしてもらっては困る。
手柄を立てる機会だと調子に乗って足でも引っ張られたらシャレにならない。
「いえ、遠くに旨そうなリンゴが木に生っていたんでさぁ。」
できるだけバカっぽい卑屈な声色を意識して返事をする。
「はははっ! いかにも田舎騎士の気にしそうなことだな!」
自身の背後で笑いが巻き起こるのを感じながら、僕はため息をついた。
道化を演じるのも楽じゃない。