序章 - 御馴染の瞬間、一回
ドグシャッ
何の思いやりも優しさも、些細な気遣いすら感じられない音が響き渡る。
「ドグシャッ」か・・・ああ「ドグシャッ」はいい音だ。「ド」は明らかに何かが高速で接触したことを表しているし、「グシャッ」は世間一般では何かが潰れる音。つまり、何かが高速でヒットして、更に何かが高速でヒットしたことにより何かが潰れた音ってことだ。その表現のストレートさが実に爽快だ。
具体的に?・・・う〜んそうだな、例を上げるとすれば僕の顔面に100マイル程のスピードで拳がヒットして、何かが潰れちゃったってとこかな。何せ人体急所がたくさんある頭部への強打だからね、そりゃ色々と潰れもするよ。
はぁ〜、相変わらず手加減も容赦も無いな・・・彼女は。
時間がゆっくり流れているような、もしくは完全に止まっているかの様な錯覚を覚える。目の前に広がるモノトーン調の世界なんて、アニメとかでよくあるまさにその物だった。しかし、勿論僕はスタンド使いでも、どこかのお屋敷のメイド長さんみたいに時を操る能力を持っているわけでもない。平凡といえば平凡で、非凡と言えば非凡と言えなくもない、どこにでも居そうで、もしかしたらここにしか居ないようなただの男子高校生なのだ。
「時止め」なんて神がかり的な能力を所有しているはずが無い。
その証拠に・・・
ドサッ
背中から地面にぶっ倒れる僕。もう痛覚は麻痺しているようだ、後頭部を激しく床に打ち付けたが全くの無痛だった。
ただモノトーンの世界に亀裂が生じただけ。
飛んだ飛んだ今日も飛んだ。まるで、鳥になったみたいだ。
この大空に翼を広げ〜飛んでゆきたいよ〜♪
かの名曲を心の中で独唱しながら思う。今日も飛べるな・・・意識。
「おいこら〜、ご主人様を差し置いてまた寝る気か〜」
これから僕が落ちるのは「睡眠状態」ではなく「気絶状態」だっての。一応つっこみ・・・楽しくて仕方が無い。
ぶれにぶれまくって、もうほとんど正常さを失った視界に映り込んだ一人の女の子。状況が状況なだけにその表情は全く認識することはできない。無論、彼女が僕に翼を与えてくれた張本人なわけだが、声の調子を聞いている限りでは悪びれた様子は全く無い。
・・・嬉しいくらいにいつも通り。
「ここは雪山だぞ、死にてえのか〜」
・・・笑ってしまうほどにいつも通り。
「寝るな〜、寝たらトドメ刺すぞ〜」
・・・ワクワクするほどにいつも通り。でも、それはちょっと勘弁してほしいな。このまま死んじゃったらもう君に会えなくなるじゃないか。
それだけは、死んでもごめんだね。
怒りっぽくて、暴力的で、鬼畜で、自分勝手で、わがままで、欲深くて、猫被りで、ご主人様だけど・・・だけど僕は。
「どうしてこんな奴のことが好きなのかな〜」
誰にも、自分にすら聞こえないような音で呟く。彼女は相変わらず、今を時めく女子高生、四月からは華の女子大生とは思えないような汚くて、労わりの気持ちなど微塵も感じさせない言葉を容赦なく僕に吐きつけてくる。
ああ、だんだん気持ち良くなってきた、まるでお経のようだ。
坊さんに成仏させられる悪霊にでもなった気分だ。例えこの世に未練たらたらでも、最期にこんなにも心地よい気持ちになれるのなら成仏も悪くない。
坊さん、あんたは本当にいい仕事をするよ。
でも分かっているんだ。こんなことは日常茶飯事だから。こんなことはもう慣れっこだから。こんなことは日常生活の一ページだから。小説の百ページに一回登場する四字熟語ぐらい在り来りなものだから。こんなことで僕は死なないし、死ねない。何度目だっただろう、この感覚。残念ながら十回目以降はもう数えていない。数えるのが馬鹿らしくなるくらい頻発で、数えることを忘れてしまうほど通常。
・・・そろそろ完全に落ちてしまいそうだ。現世と暫しの別れってところか・・・別にそんなにカッコいいものじゃないけど。
楽しい夢を望んでいるわけでもない。
せめてそこに待っているのが悪夢でなければ僕は構わない。
虚無でいい、虚空でいい、空虚でいい。
別に何も無くていい。
ただ、君がその憎たらしいくらい悪い笑顔を失わずにいられるのなら。
僕はきっとそれだけで・・・
そこで僕の意識は飛んだ。