わたしと眼球。
クリミナルマインドというアメリカのドラマがある。
FBIの行動分析課に所属する捜査員がサイコパスを捕まえるために日夜奮闘するクライムサスペンスだ。
わたしが登録している配信サイトではシーズン13まで見る事が出来る。
その一つに眼球を集めるサイコパスの話があった。
わたしも眼球が好きなので(物語は好きという言葉の範疇から大きくはみ出る内容だったが)、ひやぁとなった。
それで、せっかくエッセイというカテゴリもあることだし、わたしと眼球についてを書こうと思った。
というわけで、現在、クリミナルマインドを流しながらこの文章を書いている。
わたしが、眼球について思いめぐらせるとき思い出すのは祖母のことだ。
小学生の頃、母方の祖母と一緒に暮らしていた。
祖母は目が悪く、コンタクトレンズを使用していたのだが、自身ではできないので母が付け外しを行っていた。
当時、わたしはそれほど眼球に興味がなかったので、なんかやってんな、ぐらいだったが今振り返ってみると、とんでもねーな、とおののくばかりである。
祖母は微動だにせずに付け外しされていた。わたしなぞ、目薬さすのも満足にできなくて、眼科で点眼してもらうときも「目薬苦手ですか、ふふふ」と微笑まれる始末である。
そんなわたしが、何故眼球好きになったのか。
忘れもしない中学二年生の夏である。
通っていた学習塾の自習室で先輩が「コンタクトがなくなった!」と言い出したのだ。
そりゃ大変だ、ということでみんなで探した。
床に這いつくばるようにして探したが見つからない。
「もしかして、目の中にあるのかな?」
先輩は瞼を押さえて目の中を探した。
コンタクトレンズが白目の部分に移動してしまうことがあるというのは話には聞いていたが、そんなにゴロゴロ動いてしまうのか、と驚きながらわたしは先輩を見つめた。
しかし、それらしいものは見つからないようで、先輩はしびれを切らしたのかわたしに向かって「ちょっと見てくれない?」と言ってきた。
「あ、はい」
いや、断れよ。というか少しは躊躇えよ、と思わなくもないが、勢い余ってうなずいた。
承知したものの、コンタクトレンズを使ったことがないので、目の中に入っているそれがどのように見えるのかもわからない。
「コンタクトがあったらどうなってるんです?」
わたしは素直に尋ねた。
「コンタクトがあったら、薄っすら青くなってるから」
そう説明を受けて、じゃあ、見ます、と見ることになった。
先輩は上を向いて人差し指で上瞼を親指で下瞼を押さえ目を閉じないように固定し、それから白目をむいた。
え、白目!? とわたしはビビった。
白目ってそんな簡単になれるの!? と興奮もした。
人生においてこれほど綺麗に白目をむいた人を今のところわたしは見たことがない。
すげぇ、白目なってる、うはっ。と笑いがこみ上げてきた。
だが、相手は先輩である。わたしは後輩である。
先輩に頼みごとをされている以上は逆らってはならない。そんな上下関係的なものも働きわたしは努めて平静を装い白目を凝視した。
「……えー、薄っすら青くなって、るような……これがコンタクト?? ですかね? ちょっと自信ありませんが、青くなってると思います」
たしかに、わたしには薄っすら青く見えた。
「そうか。やっぱり上の方にいっちゃってるのか」
先輩は黒目に戻そうと再び目を瞑って瞼の上から目をこすった。
しばらくそうしていたが、どうしても降りてこない。
それでもうこれは無理と思ったのだろう。
「ちょっと、取ってくれない?」
そう言った。
「あ、はい」
わたしはまたしても勢いにまかせて頷いた。
先輩はさっきと同じポーズで白目をむいた。そこに何の迷いもないようだった。なのでわたしも薄っすら青くなっていると思われる白目の部分を触って取ろうとした。
今、思ったのだが、わたし、このとき手を洗っていなかったのでは?
超不衛生じゃん、手を洗おうよ。もう遅いが。
白目はぬるっとしていた。ぬるぬるとしていた。
ぬるぬるするばかりでコンタクトは動かない。
「えーこれコンタクトこびりついてる? のか、全然取れないです」
「じゃあ、ちょっと、目薬さすわ」
そう言うので一時中断し、先輩が目薬をさすのを待った。
それから、再挑戦である。
またしても勢いよく白目をむく先輩の目をぬるぬると触る。
わたしは必死に頑張った。
けれど、やはりどうしてもとれなかった。
これはもう無理だね、と二度目のチャレンジも諦めるに至った。
で、その後だが、結局、コンタクトレンズは床に落ちていた。
どういう経緯で見つかったのかは忘れてしまったのだが、とにかく床に落ちているのが見つかり、そして、わたしが触っていたのはもろに白目だったことがわかってしまった。
事実を知りわたしは思った。
人差し指の腹で触っててよかった。
コンタクトを取ろうとして爪を立てなくてよかった。
もし、爪を立てていたらどうなっていたのだろう……。
わたしはしばらくそのようなことばかりを考えたし、現在も、時々思い出しては震えるのである。
これがわたしが眼球好きになったきっかけだ。
こういう経験があるなら、トラウマになるか、好きになるかの二択だ。つまり、わたしの眼球好きはなるべくしてなったと言えるだろう。
物事には因果関係があることを証明するエピソードである。
眼球への興味が開花してしまったわたしは、それから眼球好きとして生きている。
具体的にはコンタクトレンズを付け外すのを見るのが好きになった。
生憎とわたし自身は使用してはいないので、(真似事として、人差し指を目に近づけて、これでひょいっと入れるのだな。うひゃーなどすることはある)旅行に行ったとき、友人が付け外すのを見せてもらったりしている。
冷静になれば何をやっているのだという話だが友人たちは誰も嫌がらず、
「ほら、あさな。コンタクト外すよ」
と自ら教えてくれる豪胆ぶりである。
わたしはきゃっきゃと喜びながら、彼女たちの目を覗き込みコンタクトレンズが付いたり外れたりする様を見る。
おかげさまで、大変満足眼球ライフを送れている。ありがたいことだ。
また、近頃では動画でコンタクトレンズの付け外しの方法を紹介するというものもある。
あれはよきもので、結構いろいろと見ているのだが、中でもネイルアートをしている方の、爪が邪魔で付け外しの難易度が上がっている状態からの簡単に付け外しする方法みたいなのは、アクロバティックで実に良いのでご興味ある方は是非見てほしい。
あと変わり種としては、コンタクトレンズをしたまま眠るのがどれだけ危険かを検証する目的で、鮮魚の目に入れて様子を見るというのも面白かった。わたしはそれまで人の目専門だったが、魚の目という発想……世界は広く、そして、深淵なのだ。
余談だが、ウィキペディア先生でコンタクトレンズを調べると日本の研究者として水谷豊さんという方の名前がある。ドラマ・相棒が好きなわたしは運命を感じてしまったことも最後に明記しておこう。
なんでも運命を感じるのがわたしの悪い癖というやつなのである。
読んでくださりありがとうございました。