第九話
「魔爪『オンブレ・チネージ』」
言葉と共にネロの影が揺らめく。
影が高速で伸縮し、黒い刃となってバルバリッチャへ迫った。
「は。それで攻撃しているつもりか?」
ガキィン、と音を立てて刃が弾かれる。
能力や武器を使った訳では無い。
素手だ。
ただの爪の一振りで、バルバリッチャはネロの攻撃を防いだ。
「今度はこっちからいくぞ…!」
獣のような笑みを浮かべ、バルバリッチャは拳を握り締める。
岩石のようなそれを、思い切り大地へと振り下ろす。
力任せの一撃は大地を破壊し、土の波となってネロの足下まで届いた。
「爆ぜろ!」
「!」
瞬間、ネロの立っている地面が音を立てて爆発した。
顔を腕で庇いながらネロの体が地面を転がる。
(地面が爆発した…? コレが、奴の能力か…!)
体勢を整えつつ、ネロはバルバリッチャを睨む。
最初はミサイル、そして今度は地面が爆発した。
爆弾、爆撃。
それがバルバリッチャの能力。
「ほらほらァ! 次、いくぞ…!」
バルバリッチャは捲れ上がった大地を蹴り飛ばす。
蹴散らされた土塊が空中で固まり、形を変えていく。
瞬く間に形成されたそれは、先程ネロ達を襲ったミサイルだった。
「ッ!」
ミサイルが着弾し、ネロの右腕を消し飛ばした。
「オラオラオラァ!」
情けも容赦もなく、バルバリッチャは追撃を放つ。
土塊が蹴り上げられる度、新たなミサイルが生成される。
回避など許さない速度でネロの体をボロボロに吹き飛ばした。
「ハハハッ! 俺の魔爪は『ボンバルディエーレ』…その意味は、爆撃機だ!」
地面から跳ねた小石を掴み取りながらバルバリッチャは獰猛に笑う。
「俺が触れた物は何であれ、爆弾に変わる! 全てが俺の武器となる!」
バルバリッチャの手の中で小石が爆弾へと変化する。
こんな小さな物でさえ、悪魔を容易く葬る威力の爆弾となる。
触れるだけで新たな爆弾を作れる為、その弾薬は無尽蔵。
全てを破壊し尽くすまで止まらない爆撃機そのものだ。
「分かったか! 俺はテメエ如き雑魚が楯突いていい存在じゃねえんだよ!」
「………」
片腕を失い、全身に酷い火傷を負ったままネロは無言でバルバリッチャを見つめる。
悪魔であっても重傷。
そのまま死んでもおかしくない傷を負いながら、ネロの目に恐れはなかった。
「コレが、魔王の眷属の力か」
ただ興味深そうに、自分の体に刻まれた傷を眺めていた。
「確かに強い力だ。正直、驚いた」
そう言いながらネロは自身の右腕を振り上げる。
(…右腕?)
そこでバルバリッチャは違和感を感じた。
たった今吹き飛ばした筈の右腕が、元に戻っている。
強靭な生命力を持つ悪魔なら腕を生やすことは可能だが、それでも再生が早すぎる。
まだ治りかけではあるが、もう殆ど新しい腕が生えている。
これほどの再生力はバルバリッチャ以上。
それこそ、魔王と同じ…
(馬鹿な。俺は何を考えている)
目の前に立っているのは、雑魚だ。
その気になればいつでも殺せるような、野良悪魔だ。
魔王と比べるまでも無い。
「頑丈さがお前の取り得か?」
だとするなら、肉の一欠片も残さず消し飛ばすまで。
「多少頑丈な程度で、この俺に勝てるとでも?」
「…ああ、勝つさ」
ネロは右腕を振り下ろした。
瞬間、影の中から無数の矢が放たれ、雨の如くバルバリッチャへ降り注いだ。
「俺は、魔王を倒すのだからな!」
「…何?」
黒い矢が降り注ぐ。
手を、足を、全身を矢が貫くが、バルバリッチャの顔に焦りはなかった。
心臓や頭部など、致命傷は避けている。
ならばこの程度の傷はダメージにすらならない。
再生して盛り上がる肉に押し出され、全身の矢が抜け落ちた。
「はは…はははははは! これは傑作だ! 魔王を倒すだと? お前が? お前如きが!」
バルバリッチャは嗤いながらネロの顔を見た。
その眼には隠し切れない嘲りが浮かぶ。
「今までに一体何人の馬鹿がそれを口にし、夢破れてきたと思っている? 魔王には誰も勝てねえんだよ! 誰一人な!」
絶対の事実を告げるようにバルバリッチャは叫んだ。
それは紛れもない真実だった。
人間と魔王による『魔大戦』から千年。
ただの一度も魔王が倒されたことは無い。
どれだけの悪魔が挑戦しようと、魔王は容易くそれを葬ってきた。
魔王とは絶対の存在だ。
誰も勝つことなど出来ないのだ。
「それは、お前もか?」
「…あ?」
ぴくり、とバルバリッチャの眉が動いた。
「お前も、かつては『挑戦者』の一人だったんじゃないか?」
それは、バルバリッチャを初めて見た時からネロが思っていたことだった。
凶暴で残忍な悪魔。
何者にも屈しない獣そのもの。
そんな雰囲気を持つ男なのに、どうして魔王に付き従っているのか。
女を探しているのも己の欲を満たす為ではなく、まず真っ先に考えることが魔王のご機嫌取りなのか。
「お前は確かに強いが、恐ろしくは感じない」
何故なら、それは既に屈した強さだから。
耐え難い敗北を知り、心が折れてしまった男だから。
己より強い者に媚び、己より弱い者にだけ力を振るう半端者など、恐ろしくはない。
「…言ってくれるじゃねえか、雑魚が!」
怒りで顔を真っ赤にして、バルバリッチャは大地に手を叩き付ける。
土が盛り上がり、それがミサイルへと変化する。
その数は十発。
ネロの体を塵一つ残さず吹き飛ばす爆撃だ。
「どうやっても勝てねえ化物に従うことの何が悪い! それが賢い生き方と言うやつだ! テメエみてえな馬鹿が早死にするんだよ!」
己の理屈を吐き捨てながら、バルバリッチャは腕を振り上げる。
あとは振り下ろすだけで、ネロは死ぬ。
それを確信しながら、バルバリッチャはネロを睨んだ。
「影は常に現実と同一。現実が強大になれば、影もまた強大になる…」
小さく呟きながら、ネロは手を振るう。
時と共にネロの影が形を変えていく。
その形は、
「な…」
バルバリッチャはそれを見て、思わず言葉を失った。
形成されたのは、ミサイル。
バルバリッチャが生み出した物と同じく、十発のミサイルがネロの背後に形成された。
まるで、常に同じ形を取る影のように。
「て、テメエ…!」
「もう一度言うぞ…」
ネロは真っ直ぐバルバリッチャを見つめた。
その眼は、バルバリッチャだけではなく、その先の存在を見据えていた。
「俺は、お前に勝つ」